2013年 09月 16日
プロ野球の歴代シーズン本塁打最多記録を見てみましょう
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昨日、東京ヤクルトスワローズのバレンティン選手が56号・57号本塁打を打ち、日本プロ野球におけるシーズン本塁打記録を本当に久しぶりに更新したそうです。それまでの記録保持者である王貞治氏の55本という記録は長らく「聖域」視する声も強く、これまでもその牙城に迫ろうとする打者(奇しくもいずれも外国人選手でした)が現れた際にはこの記録を抜かされまいとする動きが取り沙汰されたりしたのも有名です。それもあってか、記録更新には約半世紀という時を要しました。我々は、時代が動く瞬間を目撃したと言えるのかもしれません。
さて、せっかくなので日本プロ野球のシーズン本塁打記録がこれまでどのような変遷をたどってきたのかを見ることにしましょう。ここに登場するのは、本塁打記録という山の頂点を少しずつ高めていった偉大なるスラッガーたちです。
まずは、プロ野球のリーグ戦が開始された1936年秋。最初の本塁打王たちが残した記録は以下の通り。
今思うと、随分と少ないですね。一年に2シーズンのため試合数が少なかったり、ボールが飛ばなかったりといった要因が大きいようです。
以後、シーズン本塁打最多記録は以下のように推移していきます。
シーズン本塁打が初めて二桁に乗ったのが、
当時は注目されなかったようですが、初の三冠王が誕生したシーズンでもありました。
鶴岡と言えば南海の名監督というイメージですが、現役時代は球界を代表する強打者でもあったんですね。思えば、ホークスに栄冠をもたらした監督は鶴岡・野村克也・王貞治・秋山幸二といずれも長距離打者。昨年に引退した小久保もいずれはホークスの監督になるんでしょうが、彼にとって縁起の良いジンクスなんじゃないかと思います。
物資不足の中で粗悪なボールのため本塁打記録が伸びなかった時代を経て戦後の1946年、歴史を塗り替える男が登場します。
御存知、「青バット」の人です。一気に倍増ですね。これを機に、ホームランへの関心は高まりプロ野球人気も(まだ大学野球に及ばないとは言え)徐々に高まっていったそうです。なお、セネタースは現在の北海道日本ハムファイターズの前身です。
ホームラン競争が高まった影響で
と記録が更新され、1949年・50年には「飛ぶボール」が導入。
翌年から「飛ぶボール」の使用が控えられたせいかしばらくは本塁打記録が動く事はありませんでしたが、
そして翌年には
という記録が誕生するに至ります。以降、全体的な本塁打数は上昇するものの個人記録は半世紀に至るまで変化せず、1985年にランディ・バース(阪神タイガース)が迫るものの54本止まりだったこと、21世紀初頭にも二人の助っ人が挑戦しましたが
とタイ記録止まりだった事は皆様良く御存知かと思います。
今年は前年までと比べて球が飛ぶようになったとはいえ、それでも2010年以前と比べるとまだ飛ばない方だそうです。そんな中での新記録。賞賛に値するのは言うまでもありません。試合数はまだしばらくあるのも考えると、どこまで記録を伸ばしてくれるのか、楽しみですね。
関連記事:
「統一球時代の成績をどう評価するか ~簡易補正式が作れないか考えてみる~」
「続・統一球時代の成績をどう評価するか ~簡易補正式が作れないか考えてみる OPS、WHIP、DIPS編~」
「「バースの再来」と呼ばれたメジャーリーガーたち~虎で夢破れた助っ人たちが海の向こうで見せていた雄姿~」
関連サイト:
「プロ野球データ管理室」(http://www.din.or.jp/~nakatomi/index.html)
※2013/9/19 この記事が二重投稿になっていましたので片方を削除しました。お恥ずかしい。
さて、せっかくなので日本プロ野球のシーズン本塁打記録がこれまでどのような変遷をたどってきたのかを見ることにしましょう。ここに登場するのは、本塁打記録という山の頂点を少しずつ高めていった偉大なるスラッガーたちです。
まずは、プロ野球のリーグ戦が開始された1936年秋。最初の本塁打王たちが残した記録は以下の通り。
1936年秋 藤村富美男(大阪タイガース) 2本
山下実(阪急軍)
古谷倉之助(名古屋金鯱軍)
今思うと、随分と少ないですね。一年に2シーズンのため試合数が少なかったり、ボールが飛ばなかったりといった要因が大きいようです。
以後、シーズン本塁打最多記録は以下のように推移していきます。
1937年春 松木謙治郎(大阪タイガース) 4本
中島治康(東京巨人軍)
1937年秋 高橋吉雄(イーグルス) 6本
1938年春 バッキー・ハリス(イーグルス) 6本
シーズン本塁打が初めて二桁に乗ったのが、
1938年秋 中島治康(東京巨人軍) 10本
当時は注目されなかったようですが、初の三冠王が誕生したシーズンでもありました。
1939年 鶴岡一人(南海) 10本
鶴岡と言えば南海の名監督というイメージですが、現役時代は球界を代表する強打者でもあったんですね。思えば、ホークスに栄冠をもたらした監督は鶴岡・野村克也・王貞治・秋山幸二といずれも長距離打者。昨年に引退した小久保もいずれはホークスの監督になるんでしょうが、彼にとって縁起の良いジンクスなんじゃないかと思います。
物資不足の中で粗悪なボールのため本塁打記録が伸びなかった時代を経て戦後の1946年、歴史を塗り替える男が登場します。
1946年 大下弘(セネタース) 20本
御存知、「青バット」の人です。一気に倍増ですね。これを機に、ホームランへの関心は高まりプロ野球人気も(まだ大学野球に及ばないとは言え)徐々に高まっていったそうです。なお、セネタースは現在の北海道日本ハムファイターズの前身です。
ホームラン競争が高まった影響で
1948年 青田昇(東京読売ジャイアンツ) 25本
川上哲治(東京読売ジャイアンツ)
と記録が更新され、1949年・50年には「飛ぶボール」が導入。
1949年 藤村富美男(大阪タイガース) 46本
1950年 小鶴誠(松竹ロビンス) 51本
翌年から「飛ぶボール」の使用が控えられたせいかしばらくは本塁打記録が動く事はありませんでしたが、
1963年 野村克也(南海ホークス) 52本
そして翌年には
1964年 王貞治(東京読売ジャイアンツ) 55本
という記録が誕生するに至ります。以降、全体的な本塁打数は上昇するものの個人記録は半世紀に至るまで変化せず、1985年にランディ・バース(阪神タイガース)が迫るものの54本止まりだったこと、21世紀初頭にも二人の助っ人が挑戦しましたが
2001年 タフィ・ローズ(大阪近鉄バファローズ) 55本
2002年 アレックス・カブレラ(西武ライオンズ) 55本
とタイ記録止まりだった事は皆様良く御存知かと思います。
今年は前年までと比べて球が飛ぶようになったとはいえ、それでも2010年以前と比べるとまだ飛ばない方だそうです。そんな中での新記録。賞賛に値するのは言うまでもありません。試合数はまだしばらくあるのも考えると、どこまで記録を伸ばしてくれるのか、楽しみですね。
関連記事:
「統一球時代の成績をどう評価するか ~簡易補正式が作れないか考えてみる~」
「続・統一球時代の成績をどう評価するか ~簡易補正式が作れないか考えてみる OPS、WHIP、DIPS編~」
「「バースの再来」と呼ばれたメジャーリーガーたち~虎で夢破れた助っ人たちが海の向こうで見せていた雄姿~」
関連サイト:
「プロ野球データ管理室」(http://www.din.or.jp/~nakatomi/index.html)
※2013/9/19 この記事が二重投稿になっていましたので片方を削除しました。お恥ずかしい。
by trushbasket
| 2013-09-16 17:44
| NF








