2013年 09月 18日
【『ニセチャイナ』を読んでみました】前近代に中国で作られた傀儡王朝の話
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広中一成氏の著作『ニセチャイナ』(社会評論社)を最近、拝読しました。御存知の方もおられるかと思いますが、昭和前期に日本および日本軍が中国に建設した様々な傀儡政権について解説した本です。有名な「満州国」を含むこうした政権の成立経緯、日本側の思惑、日本軍に協力した現地側の思惑や政権の性質などについて詳細に解説されており、読み応えがあります。満州国を中心にこれらの政権での航空・鉄道や国歌・軍歌事情に関するコラムもあったりして興味深い一品となっています。当時に政権に協力した方へのインタビュー記事もあり、このデリケートな題材をよくぞここまで多くの角度から詳細にまとめたものだと感嘆させられました。
一方で、日本政府・日本軍が状況に流されつつある様子や、関東軍(中国東北部に駐屯する日本陸軍部隊)の肝煎りで成立したにもかかわらず日本政府が最後まで正式承認しなかった政権なんて事例もあったりで何だか切ない気分にもさせられました。
それはともかく、日本に協力し政権首班となった人々にも彼ら自身の思惑があり、日本軍の動きを好機として自らの政治的野心や民族の悲願(独立)を果たそうとしたものもあれば、何とか彼らの助けを借りてでも現地の治安を回復したり戦争を終結させたりしようという使命感によるものもあったりだったようです。そんな彼らも、戦後になると「漢奸」(漢民族の裏切り者)と呼ばれ、処罰されたりと後々まで厳しい非難を受けたようです。特に善意・使命感から動いたはずの人々の運命は、哀れとしか言いようがありませんね。
思えば、敗戦必至と思われる中で首脳として祖国を救おうと奮闘した人々の話は、以前に『敗戦処理首脳列伝』でまとめられています。その中にも「傀儡政権」と呼ばれても不思議はない事例はいくつかありました。最も有名なところでは、第二次大戦序盤でフランスがドイツに降伏した際に成立したヴィシー政府のペタン元帥が挙げられますが、他にもパラグアイ戦争終盤でブラジルによって擁立され戦争終結に従事したパラグアイのシリロ・アントニオ・リバロラ、第二次アフガン戦争でイギリスに占拠された中で即位したヤークーブ・ハーンあたりがその範疇でしょうか。彼らも時代に翻弄され、売国奴として弾劾されるなど報われない末路をたどっています。興味のある方は御参照ください。
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閑話休題、中国史において異民族の侵攻を受ける最中において彼らと和平する事で国を救おうとした事例と言えば南宋の秦檜でしょうか。彼もまた、後世から「漢奸」として厳しく弾劾されています。もっとも、彼自身は強権を握って反対派を弾圧し権力の座にあるままで天寿を全うしていますが。そういえば『ニセチャイナ』末尾に汪兆銘夫妻が後ろ手に縛られた姿で跪いた像の写真がありましたが、あれは明らかに秦檜の同様な像を准えたものでしょうしね。秦檜につきましては、『戦後復興首脳列伝』で触れておりますのでもしよろしければこちらも御参照いただけますと幸いです。彼だけではなく、戦乱が終結した後に祖国の再建・復興に従事した首脳たちの話をまとめてあります。
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さて、秦檜が活躍した時代においても中国に傀儡政権が樹立されたのはご存知でしょうか。当時、中国の統一王朝であった北宋は北方の遼からの圧迫に苦しんでいました。そこで新興国である金と協力して遼を挟撃した訳ですが、今度は金との関係で外交的失態を繰り返し金からの侵攻を受ける羽目になります。軍事的敗北に直面した北宋は崩壊、皇帝の弟が中国南方に逃れ国家を再建。これが南宋と呼ばれます。一方、中国北部を占領した金は当初、直接統治する自信がなかったのか捕虜にした漢民族のうちから適当な人物を擁立して傀儡皇帝としようとしていました。
最初に白羽の矢が立ったのは張邦昌。彼は当初、北宋の宰相でしたが金に捕虜として北方に拉致されました。金が中国北部を占拠した中で間接統治の手段として半ば無理やりに即位させられたようです。時に1127年、国号は楚。しかし金の軍勢が引き上げると、張邦昌は恐れ多さで堪らなくなり南方へ逃亡して宋皇帝の弟を擁立。こうして金の傀儡国家・楚王朝はわずか三十三日で消滅。南宋が成立したのです。なお、張邦昌は南宋によって許されたものの、最終的に口実をつけて処刑されたようです。気の毒に。
こうして最初の傀儡政権が瓦解した金ですが、なおも諦めてはいませんでした。済南(山東省)の知事であった劉予を降伏させ、黄河以南淮水以北の地域を中心とした傀儡国家・斉を建国。1130年の事です。劉予は張邦昌とは異なって積極的に皇帝として振る舞い、南宋への工作・遠征も目論んだりしました。しかし金と南宋との戦いが膠着状態となり、また金が中国北部を自力で統治する見通しが立った事もあり斉の存在は宗主国・金からも軽んじられるようになり1138年に廃止されました。
中国史上を見ると、侵入した異民族が中国直接支配の自信がない際に現地の人間を擁立して傀儡国家を樹立させる事は時に見られるようです。五代十国末期に滅亡した前王朝の一族が北方民族の助けを得て地方に割拠し「北漢」を樹立した事例も、北方民族の傀儡と見る事ができたりしますし。昭和初期の日本もその顰に倣った一例であったという事ができそうです。
【参考文献】
ニセチャイナ 広中一成 社会評論社
岳飛と秦檜 外山軍治著 富山房
世界の歴史6宋と元 宮崎市定 中公文庫
関連記事:
「【『戦後復興首脳列伝』出版記念】旧敵との落とし前の付け方~名を取るか、実を取るか~」
「「敗戦処理首脳」の難易度別について少し考えてみる」
「「あの国のあの法則」 ~50年前の碩学の言葉と地政学的証明~」
大陸情勢に首を突っ込まない方が良い、という経験則的教訓の話。
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「中国史概説」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/050520a.html)
興味のある方は、社会評論社『敗戦処理首脳列伝』『戦後復興首脳列伝』も御参照ください。
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※2014/8/19 少し表現を変えています。
一方で、日本政府・日本軍が状況に流されつつある様子や、関東軍(中国東北部に駐屯する日本陸軍部隊)の肝煎りで成立したにもかかわらず日本政府が最後まで正式承認しなかった政権なんて事例もあったりで何だか切ない気分にもさせられました。
関連サイト:
『ニセチャイナ』(リンク先はAmazon)
『ニセチャイナ』(リンク先は楽天ブックス)
「Cool Ja本 世界で通用する日本本 ハマザキカク本」(http://hamazakikaku.blog136.fc2.com/)より
「『ニセチャイナ』完成しました! 中味お見せします!」(http://hamazakikaku.blog136.fc2.com/blog-entry-339.html)
それはともかく、日本に協力し政権首班となった人々にも彼ら自身の思惑があり、日本軍の動きを好機として自らの政治的野心や民族の悲願(独立)を果たそうとしたものもあれば、何とか彼らの助けを借りてでも現地の治安を回復したり戦争を終結させたりしようという使命感によるものもあったりだったようです。そんな彼らも、戦後になると「漢奸」(漢民族の裏切り者)と呼ばれ、処罰されたりと後々まで厳しい非難を受けたようです。特に善意・使命感から動いたはずの人々の運命は、哀れとしか言いようがありませんね。
思えば、敗戦必至と思われる中で首脳として祖国を救おうと奮闘した人々の話は、以前に『敗戦処理首脳列伝』でまとめられています。その中にも「傀儡政権」と呼ばれても不思議はない事例はいくつかありました。最も有名なところでは、第二次大戦序盤でフランスがドイツに降伏した際に成立したヴィシー政府のペタン元帥が挙げられますが、他にもパラグアイ戦争終盤でブラジルによって擁立され戦争終結に従事したパラグアイのシリロ・アントニオ・リバロラ、第二次アフガン戦争でイギリスに占拠された中で即位したヤークーブ・ハーンあたりがその範疇でしょうか。彼らも時代に翻弄され、売国奴として弾劾されるなど報われない末路をたどっています。興味のある方は御参照ください。
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閑話休題、中国史において異民族の侵攻を受ける最中において彼らと和平する事で国を救おうとした事例と言えば南宋の秦檜でしょうか。彼もまた、後世から「漢奸」として厳しく弾劾されています。もっとも、彼自身は強権を握って反対派を弾圧し権力の座にあるままで天寿を全うしていますが。そういえば『ニセチャイナ』末尾に汪兆銘夫妻が後ろ手に縛られた姿で跪いた像の写真がありましたが、あれは明らかに秦檜の同様な像を准えたものでしょうしね。秦檜につきましては、『戦後復興首脳列伝』で触れておりますのでもしよろしければこちらも御参照いただけますと幸いです。彼だけではなく、戦乱が終結した後に祖国の再建・復興に従事した首脳たちの話をまとめてあります。
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さて、秦檜が活躍した時代においても中国に傀儡政権が樹立されたのはご存知でしょうか。当時、中国の統一王朝であった北宋は北方の遼からの圧迫に苦しんでいました。そこで新興国である金と協力して遼を挟撃した訳ですが、今度は金との関係で外交的失態を繰り返し金からの侵攻を受ける羽目になります。軍事的敗北に直面した北宋は崩壊、皇帝の弟が中国南方に逃れ国家を再建。これが南宋と呼ばれます。一方、中国北部を占領した金は当初、直接統治する自信がなかったのか捕虜にした漢民族のうちから適当な人物を擁立して傀儡皇帝としようとしていました。
最初に白羽の矢が立ったのは張邦昌。彼は当初、北宋の宰相でしたが金に捕虜として北方に拉致されました。金が中国北部を占拠した中で間接統治の手段として半ば無理やりに即位させられたようです。時に1127年、国号は楚。しかし金の軍勢が引き上げると、張邦昌は恐れ多さで堪らなくなり南方へ逃亡して宋皇帝の弟を擁立。こうして金の傀儡国家・楚王朝はわずか三十三日で消滅。南宋が成立したのです。なお、張邦昌は南宋によって許されたものの、最終的に口実をつけて処刑されたようです。気の毒に。
こうして最初の傀儡政権が瓦解した金ですが、なおも諦めてはいませんでした。済南(山東省)の知事であった劉予を降伏させ、黄河以南淮水以北の地域を中心とした傀儡国家・斉を建国。1130年の事です。劉予は張邦昌とは異なって積極的に皇帝として振る舞い、南宋への工作・遠征も目論んだりしました。しかし金と南宋との戦いが膠着状態となり、また金が中国北部を自力で統治する見通しが立った事もあり斉の存在は宗主国・金からも軽んじられるようになり1138年に廃止されました。
中国史上を見ると、侵入した異民族が中国直接支配の自信がない際に現地の人間を擁立して傀儡国家を樹立させる事は時に見られるようです。五代十国末期に滅亡した前王朝の一族が北方民族の助けを得て地方に割拠し「北漢」を樹立した事例も、北方民族の傀儡と見る事ができたりしますし。昭和初期の日本もその顰に倣った一例であったという事ができそうです。
【参考文献】
ニセチャイナ 広中一成 社会評論社
岳飛と秦檜 外山軍治著 富山房
世界の歴史6宋と元 宮崎市定 中公文庫
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「「あの国のあの法則」 ~50年前の碩学の言葉と地政学的証明~」
大陸情勢に首を突っ込まない方が良い、という経験則的教訓の話。
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
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※2014/8/19 少し表現を変えています。
by trushbasket
| 2013-09-18 19:22
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