2013年 09月 22日
【販促の一環】歴史上における「偉大な個人」の力が及ぶ範囲と限界~『戦後復興首脳列伝』から見る~
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歴史は偉人だけが作るものではなく、背後にいる無数の名も無き人々が作り上げるものだ。しばしば、このように言われますしその通りだとも思います。とはいえ、歴史を彩る偉大な個性が与える影響は決して無視できないものだとも感じます。そこで、今回は『戦後復興首脳列伝』を題材に、その辺りの問題を考えてみたいと思います。
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『戦後復興首脳列伝』で扱った中には、偉大な首脳の個人的力量によって何とか復興体制が維持されていたケースもまま見られました。顕著な例としては、
・スラ(古代ローマ)
クーデターによって独裁体制を築く事で元老院体制・共和制の伝統を再建しようと尽力。しかし元老院主導の体制は制度疲労を起こしており、スラが心血を注いで建設した体制は彼の死と同時になし崩しにされていく。それが彼の抜擢した部下たちの手によって、彼がかつて用いた「非常手段」を模倣する形でなされていったのは何とも皮肉である。スラ体制は時代に逆行したものであり、スラ個人の超人的手腕によって辛うじて維持されていたもののようだ。
・ディオクレティアヌス(ローマ帝国)
動揺する大帝国の国防を担わせるため、皇帝四人による四分統治を導入。しかしこれはディオクレティアヌスの傑出したカリスマがなければ主導権争いによって分裂の種となる方法である事は、彼の引退によって間もなく明らかになる。専制君主制の導入による支配再編という方針に関しては、期せずして「良き後継者」が現れたためローマ再建の努力は継続される事となったが…。ディオクレティアヌスは自分の偉大さと事態の困難さを過小評価していたかもしれない。
・王安石(北宋)
彼が打ち出した様々な改革は斬新かつ合理的ではあったが、当時の社会構造において遂行するには難があったかもしれない。彼が政界を去った後、彼の「新法」を巡る争いは単なる政争の具へと堕した。
・世宗(金)
支配民族である女真が中国化・都市化によって弱体化する中、女真の質実剛健な民族文化復興に尽力。しかし、被支配民族である漢民族が多数派である以上は避けられない流れであったし、都市化も同様であった。
・ルイ一八世(フランス)
彼自身は決して飛び抜けて有能でも開明的でもなかったが、時計の針は絶対王政時代へと巻き戻せない事、フランス革命の成果を無視できない事は理解していた。残念ながら、ブルボン王室の主要メンバーでそれを分かっていたのは彼だけだったのか?ルイ一八世死後、過激王党派を止めるものはいなくなり、王政復古は短い夢に終わった。彼を「偉大な個人」と呼んで良いかは疑問だが、「存在する」「君臨する」事自体に意義があったのは認めざるを得ない。
・フランツ・ヨーゼフ(オーストリア二重帝国)
斜陽にあり国内の諸民族による民族主義も盛んになる中、君臨し続け真摯に国務に向き合い続ける事で敬愛され、帝国を支え続けた存在。彼が世を去り、臣民からすれば馴染みのない後継者が帝位についた時、帝国の崩壊は現実のものとなった。
・シュトレーゼマン(ワイマール共和国)
敗北・革命で混迷に陥ったドイツにおいて国際的地位回復のため奔走。彼が若くして世を去った後は共和国を支えられる指導者は登場せず、ナチス政権の成立へと歴史は流れる。
・チトー(ユーゴスラビア)
多くの民族が織り成す複雑な構成の共和国を、在世中はまとめあげていた。共産主義国でありながら、独自路線を取りしかもソ連とも決定的な対立は避けるしたたかぶり。しかし、彼の死と冷戦終結によって民族運動の箍は外れ、ユーゴは分裂・内戦に突入。
こうして見ると、戦後復興に従事した首脳が政権の座から去ると同時に体制が瓦解するケースも結構ありますね。「偉大な個人」が与える影響は決して無視はできないようです。一方、スラや世宗のようにいかに「偉大な個人」であっても時代の流れに逆らい続けるには無理がある事もわかります。また、決して傑出した能力の持ち主でなくとも君臨する事自体が体制崩壊を防いでいた君主の事例もあって面白いです。「偉大さ」というのは決して能力だけではないのですね。
【参考文献】
戦後復興首脳列伝 麓直浩 社会評論社
関連記事:
「【告知】『戦後復興首脳列伝』、いよいよ発売迫る」
「【『戦後復興首脳列伝』出版記念】旧敵との落とし前の付け方~名を取るか、実を取るか~」
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※2014/8/19 表現を少し変えています。
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・スラ(古代ローマ)
クーデターによって独裁体制を築く事で元老院体制・共和制の伝統を再建しようと尽力。しかし元老院主導の体制は制度疲労を起こしており、スラが心血を注いで建設した体制は彼の死と同時になし崩しにされていく。それが彼の抜擢した部下たちの手によって、彼がかつて用いた「非常手段」を模倣する形でなされていったのは何とも皮肉である。スラ体制は時代に逆行したものであり、スラ個人の超人的手腕によって辛うじて維持されていたもののようだ。
・ディオクレティアヌス(ローマ帝国)
動揺する大帝国の国防を担わせるため、皇帝四人による四分統治を導入。しかしこれはディオクレティアヌスの傑出したカリスマがなければ主導権争いによって分裂の種となる方法である事は、彼の引退によって間もなく明らかになる。専制君主制の導入による支配再編という方針に関しては、期せずして「良き後継者」が現れたためローマ再建の努力は継続される事となったが…。ディオクレティアヌスは自分の偉大さと事態の困難さを過小評価していたかもしれない。
・王安石(北宋)
彼が打ち出した様々な改革は斬新かつ合理的ではあったが、当時の社会構造において遂行するには難があったかもしれない。彼が政界を去った後、彼の「新法」を巡る争いは単なる政争の具へと堕した。
・世宗(金)
支配民族である女真が中国化・都市化によって弱体化する中、女真の質実剛健な民族文化復興に尽力。しかし、被支配民族である漢民族が多数派である以上は避けられない流れであったし、都市化も同様であった。
・ルイ一八世(フランス)
彼自身は決して飛び抜けて有能でも開明的でもなかったが、時計の針は絶対王政時代へと巻き戻せない事、フランス革命の成果を無視できない事は理解していた。残念ながら、ブルボン王室の主要メンバーでそれを分かっていたのは彼だけだったのか?ルイ一八世死後、過激王党派を止めるものはいなくなり、王政復古は短い夢に終わった。彼を「偉大な個人」と呼んで良いかは疑問だが、「存在する」「君臨する」事自体に意義があったのは認めざるを得ない。
・フランツ・ヨーゼフ(オーストリア二重帝国)
斜陽にあり国内の諸民族による民族主義も盛んになる中、君臨し続け真摯に国務に向き合い続ける事で敬愛され、帝国を支え続けた存在。彼が世を去り、臣民からすれば馴染みのない後継者が帝位についた時、帝国の崩壊は現実のものとなった。
・シュトレーゼマン(ワイマール共和国)
敗北・革命で混迷に陥ったドイツにおいて国際的地位回復のため奔走。彼が若くして世を去った後は共和国を支えられる指導者は登場せず、ナチス政権の成立へと歴史は流れる。
・チトー(ユーゴスラビア)
多くの民族が織り成す複雑な構成の共和国を、在世中はまとめあげていた。共産主義国でありながら、独自路線を取りしかもソ連とも決定的な対立は避けるしたたかぶり。しかし、彼の死と冷戦終結によって民族運動の箍は外れ、ユーゴは分裂・内戦に突入。
こうして見ると、戦後復興に従事した首脳が政権の座から去ると同時に体制が瓦解するケースも結構ありますね。「偉大な個人」が与える影響は決して無視はできないようです。一方、スラや世宗のようにいかに「偉大な個人」であっても時代の流れに逆らい続けるには無理がある事もわかります。また、決して傑出した能力の持ち主でなくとも君臨する事自体が体制崩壊を防いでいた君主の事例もあって面白いです。「偉大さ」というのは決して能力だけではないのですね。
【参考文献】
戦後復興首脳列伝 麓直浩 社会評論社
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※2014/8/19 表現を少し変えています。
by trushbasket
| 2013-09-22 18:50
| NF








