2013年 11月 27日
もし直前三場所の成績で横綱昇進を評価したら~あの横綱・大関の運命が変わっていたかも~
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大相撲は今年納めの九州場所も終了し、横綱日馬富士が横綱決戦を制して優勝し面目を施したそうですね。思うように星が挙がらず批判された場所もありましたから、喜びもひとしおでないかと思います。あと、この日馬富士を含めた二横綱を撃破して準優勝に当たる13勝を挙げた大関稀勢の里も優勝が絶対条件ながら来場所が「綱取り」になるそうで。
そういえば、横綱昇進の基準について以前何度か論じた事があります。その際に横綱審議委員会成立以降の昭和期横綱昇進から導き出した基準は、
というものでした。これに
という条件を加えたものを他の時代の昇進を評価する上での目安とした記憶があります。以下、この基準を「直前二場所方式」と仮に呼ばせていただきます。なお、平成以降の横綱昇進は「二場所連続優勝」を厳密に求める傾向があります。この基準を以下では「二場所連続優勝方式」と呼びます。
さて、直前の二場所だけでなくより長期的な安定を感を重視した評価にすべきではないかという話も聞いたことはあります。そこで直前三場所の成績で評価した場合、どうなるでしょう。「直前二場所方式」から換算すると、一場所あたり求められる平均白星は12-13勝の間とするのが妥当でしょう。それを考慮して三場所の合計成績を考慮すると、12勝2回・13勝1回に相当する計37勝、あるいは12勝1回・13勝2回に相当する計38勝となりましょうか。この方法だと三場所頑張らねばならない分だけ大変になりますが、同時に昇進二場所前でずっこけても挽回可能という側面もあります。と言うわけで、今回用いてみる基準は以下の通り。
以下、これを「三場所方式」と呼ばせていただきます。この基準で、横綱審議委員会成立後に昇進した横綱たちを見てみます。
なお、戦前ではありますが大関二場所で横綱昇進を果たした事例も複数ある事を考慮して、大関昇進直前の場所も計算に入れる事を可能とする事にします。(優)は優勝、(優同)は優勝同点を意味します。
・千代の山
大関は1949年9月場所より、横綱は1951年9月場所より
直前二場所方式あるいは三場所方式計37勝基準なら、
の成績で史実より早い昇進が可能となります。もっとも、史実での昇進もこの際に昇進が大人の事情で見送られた埋め合わせだったようですが。ところが、三場所方式でも計38勝となると該当時期がありません。計37勝は他にも横綱昇進後の
があるのですけど。
・鏡里
大関は1951年5月場所より、横綱は1953年3月場所より
直前二場所方式・三場所方式計37勝基準なら
で史実通りの時期に昇進します。しかし三場所方式計38勝基準であれば、
まで昇進時期がずれ込んだと思われます。
・吉葉山
大関は1951年5月場所より、横綱は1954年3月場所より
いずれの基準でも
と史実通りの昇進となります。
・栃錦
大関は1953年1月より、横綱は1955年1月より
いずれの基準でも
と史実よりかなり早い昇進に。この時に見送られたとしても、翌5月も13勝2敗ですからそこで昇進させてしかるべきかと。史実は随分と待たされた昇進だったのですね。
・若乃花(初代)
大関は1956年1月より、横綱は1958年3月より
三場所方式計37勝基準なら
で史実より早い昇進。直前二場所方式なら1956年3月での昇進になりますね。なお、三場所方式でも計38勝基準なら
まで昇進時期がずれ込む事に。
・朝潮
大関は1957年5月より、横綱は1959年5月より
三場所方式だといずれの基準でも
で史実通りの昇進。直前二場所方式で評価した場合は、1958年9月に11勝4敗を挙げており同年11月の時点で基準を満たしているため史実より少し早い昇進となります。朝潮の昇進は、「三場所方式」に近い形で評価されたようですね。それまでが不安定とみなされたためでしょうか。
・柏戸
大関は1960年9月より、横綱は1961年11月より
直前二場所方式であれば
での史実より早い昇進となりますが、三場所方式ですと計37勝基準を満たしている時期は
と史実より大幅にずれ込みます。ただ、1963年は1月から7月まで四場所連続で休場しているため、もし横綱になっていなければ間違いなく大関陥落、関脇も守れずで横綱昇進どころではなかった危険が。次の計37勝は
更に三場所方式でも計38勝基準なら、満たすのは以下の時期。
この時までに大関に返り咲いていれば横綱昇進がなります。柏戸は怪我に悩まされたせいもあって三場所連続で安定した成績を求められると厳しいようです。強いときは強いんですけどね。彼の昇進事情は、1961年3月に見送られたけれど何とか横綱にしたいという協会の思惑があり、ライバル大鵬の昇進に合わせて以前の埋め合わせのように昇進させたというところでしょうか。
・大鵬
大関は1961年1月より、横綱は1961年11月より
彼の大関時代は
直前二場所方式だと史実通り、三場所方式ですといずれの基準でも史実より一場所遅れての昇進となります。5月の成績も決して悪くないのを考えるとやはり三場所で評価するのは厳しいのでしょうか?
・栃ノ海
大関は1962年7月より、横綱は1964年3月より
いずれの基準でも
と史実通りでの昇進。
・佐田の山
大関は1962年5月より、横綱は1965年3月より
昇進直前の成績は
となっており直前二場所方式だと史実より少し早い1964年11月、三場所方式だといずれの基準でも史実通りでの昇進。
・玉の海
大関は1966年11月より、横綱は1970年3月より
直前二場所方式や三場所方式計37勝基準なら
と史実よりかなり早い昇進。一方、三場所方式でも計38勝基準なら
と史実より少し遅れて昇進となるようです。
・北の富士
大関は1966年9月より、横綱は1970年3月より
三場所方式だといずれの基準でも
と史実通りの昇進。直前二場所方式だと少し早い同年11月ですね。それまでが少し不安定とみなされたのでしょうか。
・琴櫻
大関は1967年11月より、横綱は1973年3月より
直前二場所方式か三場所方式計37勝基準であれば、
と史実通りの昇進を遂げます。しかし三場所方式計38勝基準で直前場所に12勝以上となると満たす時期はありませんでした。
・輪島
大関は1972年11月より、横綱は1973年7月より
いずれの基準でも
で史実通りの昇進。
・北の湖
大関は1974年3月より、横綱は1974年9月より
昇進する少し前の成績は
となっており、直前二場所方式だと史実通り。三場所方式計37勝基準だと同年5月で史実より少し早い昇進。ここで見送られると
と少し遅れての昇進に。
計38勝基準ですと、
での昇進となります。
・若乃花(二代目)
大関は1977年3月より、初優勝は1977年5月、横綱は1978年7月より
三場所方式だといずれの基準でも
と史実通りの昇進。直前二場所方式だと一場所早い同年3月での昇進となります。優勝がなかったのが待たされた要因でしょうか。
・三重ノ海
初優勝は1975年11月、大関は1976年1月より、横綱は1979年9月より
直前二場所方式・三場所方式計37勝基準だと
と史実通りの昇進。三場所方式計38勝基準ですと、
と史実より二場所遅れての昇進に。
・千代の富士
大関は1981年3月より、横綱は1981年9月より
三場所方式だといずれの基準でも
と史実より少し早い昇進に。ここで見送られてもいずれにせよ翌7月の14勝1敗(優)で史実通りの昇進となります。直前二場所方式でも史実通りの昇進ですね。
・隆の里
大関は1982年3月より、初優勝は1982年9月、横綱は1983年9月より
三場所方式だといずれの基準でも
で史実通りの昇進に。なお、初優勝は1982年9月ですので直前二場所方式ですと1983年5月場所後の昇進となりますね。
・双羽黒
大関は1986年1月より、横綱は1983年9月より
三場所方式だといずれの基準を満たす時期もありませんでした。より安定性を求められる三場所連続方式だと厳しかったようです。直前二場所方式でも
と「直前二場所で25勝以上」「直前場所は12勝以上」を満たす時期はあるものの優勝経験のなさがネックになります。
・北勝海
大関は1986年9月より、横綱は1987年7月より
直前二場所方式だと
で史実通りの昇進ですが、三場所方式ですと
と史実より少し遅れての昇進に。
・大乃国
大関は1985年9月より、横綱は1987年11月より
三場所方式ですといずれの基準でも
と史実通りの昇進。直前二場所方式ですと7月場所後の昇進となりますが、それまで不安定だったため据え置かれたという事のようです。
・旭富士
大関は1987年11月より、横綱は1990年9月より
計37勝基準だと
で1月場所後、あるいはこの時に見送られても3月場所後での昇進となります。計38勝基準ですと翌5月の12勝3敗での昇進。直前二場所方式だと1988年1月・3月を含めもっと昇進可能な時期が多かったのは以前に述べたとおり。いずれにせよ、史実よりかなり早い昇進です。双羽黒廃業事件による昇進基準厳格化のあおりを食っている事が良く分りますね。
・曙
大関は1992年7月より、横綱は1993年3月より
直前二場所方式ですと史実通り
で昇進となりますが、三場所方式ですといずれの基準でも
と史実より遅れての昇進。二場所連続優勝方式と三場所方式のいずれがより厳しいのか、よく分らなくなってきました。
・貴乃花
大関は1993年3月より、横綱は1995年1月より
直前二場所方式と三場所方式のいずれでも、
と史実よりかなり早い昇進になります。その後も史実での昇進以前に
といずれの基準も満たす時期があります。彼も昇進基準厳格化の犠牲者ですね。
・若乃花(三代目)
大関は1993年9月より、横綱は1998年7月より
直前二場所方式ですと史実通り
での昇進ですが三場所方式いずれの基準を満たす時期もありません。曙と同様、二場所連続優勝方式と三場所方式のいずれが厳しいかを一概に評価するのは難しいと思わせる一例です。
・武蔵丸
大関は1994年3月より、横綱は1999年7月より
で、三場所方式だと
で史実より相当早い昇進となっていました。その後も直前二場所方式・三場所方式計37勝基準なら
と史実での昇進前に満たしている時期があります。彼も二場所連続優勝方式でなければ昇進が早まっていた一人ですね。
・朝青龍
大関は2002年9月より、横綱は2003年3月より
いずれの基準でも
と史実通りの昇進となります。
・白鵬
大関は2006年5月より、横綱は2007年7月より
いずれの基準でも
と史実より早めの昇進に。なお、この時に見送られていると
と史実通りになります。
・日馬富士
大関は2009年1月より、横綱は2012年11月より
いずれの基準でも
と史実通りになります。
次に、当該時期に綱取りに挑んだ強豪大関を評価してみます。この条件だと綱に届いたかも知れない大関は以下の通り。
・若嶋津
大関は1983年1月より
三場所方式ですといずれの基準でも
で満たしており横綱昇進していた可能性があります。なお、直前二場所方式を満たす時期はありませんでした。
・霧島
大関は1990年5月より
三場所方式計37勝基準だと
と満たしている時期があります。計38勝基準・直前二場所方式を満たす時期はありませんでした。
・小錦
大関は1987年7月より
三場所方式で見ますと、計37勝基準だと
で満たしており計38勝基準だと
で満たしていました。1992年1月・3月は直前二場所方式でも条件を満たしていますね。なお、直前二場所方式だと他にも
で満たしているのは以前に申し上げたとおり。昇進基準厳格化に泣かされた人だった事を改めて実感しました。
なお余談ですが、貴乃花の父・貴ノ花(大関は1972年11月より、初優勝は1975年3月)は三場所方式を満たす時期はありませんが直前二場所方式ですと
と満たしたことがあるようです。ただ、不安定な成績が多いためもう一場所様子をみる事になったようですね。
三場所方式だと、史実で横綱になっていた人でも時期がずれこんだり横綱昇進が果たせなかったりした人もいる事が分りました。一方、逆に時期が早まったり史実では大関どまりだった人も横綱になっていた可能性がある事も判明。まとめなおすと、
・三場所方式だと横綱になれなかった人
千代の山(計38勝の場合)、柏戸(条件を満たす前に怪我で大関陥落している可能性)、琴櫻(計38勝の場合)、双羽黒、若乃花(三代目)
・三場所方式だと史実より昇進時期が早まった人
栃錦、若乃花(初代)(計37勝の場合)、玉の海(計37勝の場合)、北の湖(計37勝の場合)、千代の富士、旭富士、貴乃花、武蔵丸、白鵬
・三場所方式だと史実より昇進時期が遅れた人
鏡里(計38勝の場合)、若乃花(初代)(計38勝の場合)、玉の海(計38勝の場合)、北の湖(計38勝の場合)、三重ノ海(計38勝の場合)、北勝海、曙
・直前二場所方式だと史実より昇進時期が早まった人
栃錦、朝潮、隆の里、大乃国、旭富士、貴乃花、武蔵丸、白鵬
・二場所連続優勝方式・三場所方式は満たしていないが直前二場所方式を満たした事がある大関
初代貴ノ花
・二場所連続優勝方式・直前二場所方式は満たしていないが三場所方式だと条件を満たしていた大関
若嶋津、霧島(計37勝の場合)
・二場所連続優勝方式は満たしていないが直前二場所方式・三場所方式だと条件を満たしていた大関
小錦
といったところ。
二場所連続優勝方式導入以前は、直前二場所方式と三場所方式を都合よく使い分けていた印象でした。基本は直前二場所方式ですが、「それまでが不安定なのでもう一場所見たい」「横綱が欲しいが直前二場所だけでは不足」といった時に三場所方式が用いられているような感じ。まあ、なぜもう一場所待ったか良く分らない事例もありましたが。
あと付け加えると、直前二場所方式と二場所連続優勝方式では後者のほうが厳しいといって良さそうですが、三場所評価だと直前二場所方式・二場所連続優勝方式と比べて緩いのか厳しいのか、評価が難しいところのようです。直前の爆発力と安定性のいずれを評価するか、という事なんでしょうね。
関連サイト:
「相撲評論家之頁」(http://park11.wakwak.com/~tsubota/door1.html)
「MS-DATABASE SPORTS DATA INDEX」
(http://www2.wbs.ne.jp/~ms-db/database(sports).htm)
力士たちの成績は、このサイトを参考にさせていただきました。
※2013/11/29 朝潮の成績を一部訂正しました。
※2013/12/2 霧島の名を太文字に修正しました。
※2014/2/16 霧島の成績を修正しました。
関連サイト:
「NHK NEWSWEB」(http://www3.nhk.or.jp/news/index.html)より
「稀勢の里の綱とり 13勝以上の優勝が条件」(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131125/t10013326591000.html)
そういえば、横綱昇進の基準について以前何度か論じた事があります。その際に横綱審議委員会成立以降の昭和期横綱昇進から導き出した基準は、
・直前二場所で計25勝以上
・直前場所は12勝以上
というものでした。これに
・優勝経験あり(直前場所含む)
という条件を加えたものを他の時代の昇進を評価する上での目安とした記憶があります。以下、この基準を「直前二場所方式」と仮に呼ばせていただきます。なお、平成以降の横綱昇進は「二場所連続優勝」を厳密に求める傾向があります。この基準を以下では「二場所連続優勝方式」と呼びます。
さて、直前の二場所だけでなくより長期的な安定を感を重視した評価にすべきではないかという話も聞いたことはあります。そこで直前三場所の成績で評価した場合、どうなるでしょう。「直前二場所方式」から換算すると、一場所あたり求められる平均白星は12-13勝の間とするのが妥当でしょう。それを考慮して三場所の合計成績を考慮すると、12勝2回・13勝1回に相当する計37勝、あるいは12勝1回・13勝2回に相当する計38勝となりましょうか。この方法だと三場所頑張らねばならない分だけ大変になりますが、同時に昇進二場所前でずっこけても挽回可能という側面もあります。と言うわけで、今回用いてみる基準は以下の通り。
・直前三場所で計37勝、または計38勝以上
・直前場所は12勝以上
・三場所のうちに負け越しがない
・優勝経験あり(直前場所含む)
以下、これを「三場所方式」と呼ばせていただきます。この基準で、横綱審議委員会成立後に昇進した横綱たちを見てみます。
なお、戦前ではありますが大関二場所で横綱昇進を果たした事例も複数ある事を考慮して、大関昇進直前の場所も計算に入れる事を可能とする事にします。(優)は優勝、(優同)は優勝同点を意味します。
・千代の山
大関は1949年9月場所より、横綱は1951年9月場所より
直前二場所方式あるいは三場所方式計37勝基準なら、
1949年 5月(大関昇進直前):12勝3敗 9月:13勝2敗(優) 1950年 1月:12勝3敗(優)
の成績で史実より早い昇進が可能となります。もっとも、史実での昇進もこの際に昇進が大人の事情で見送られた埋め合わせだったようですが。ところが、三場所方式でも計38勝となると該当時期がありません。計37勝は他にも横綱昇進後の
1954年 9月:12勝3敗 1955年 1月:12勝3敗(優) 3月:13勝2敗(優)
があるのですけど。
・鏡里
大関は1951年5月場所より、横綱は1953年3月場所より
直前二場所方式・三場所方式計37勝基準なら
1952年 5月:11勝4敗 9月:12勝3敗 1953年 1月:14勝1敗(優)
で史実通りの時期に昇進します。しかし三場所方式計38勝基準であれば、
1955年 5月:11勝4敗 9月:14勝1敗(優) 1956年 1月:14勝1敗(優)
まで昇進時期がずれ込んだと思われます。
・吉葉山
大関は1951年5月場所より、横綱は1954年3月場所より
いずれの基準でも
1953年 5月:14勝1敗 9月:11勝4敗 1954年 1月:15戦全勝(優)
と史実通りの昇進となります。
・栃錦
大関は1953年1月より、横綱は1955年1月より
いずれの基準でも
1952年 9月(大関昇進直前):14勝1敗(優) 1953年 1月:11勝4敗 3月:14勝1敗(優)
と史実よりかなり早い昇進に。この時に見送られたとしても、翌5月も13勝2敗ですからそこで昇進させてしかるべきかと。史実は随分と待たされた昇進だったのですね。
・若乃花(初代)
大関は1956年1月より、横綱は1958年3月より
三場所方式計37勝基準なら
1956年 1月:13勝2敗 3月:12勝3敗(優同) 5月:12勝3敗(優)
で史実より早い昇進。直前二場所方式なら1956年3月での昇進になりますね。なお、三場所方式でも計38勝基準なら
1958年 5月:11勝4敗 7月:13勝2敗(優) 9月:14勝1敗(優)
まで昇進時期がずれ込む事に。
・朝潮
大関は1957年5月より、横綱は1959年5月より
三場所方式だといずれの基準でも
1958年 11月:14勝1敗(優) 1959年 1月:11勝4敗 3月:13勝2敗
で史実通りの昇進。直前二場所方式で評価した場合は、1958年9月に11勝4敗を挙げており同年11月の時点で基準を満たしているため史実より少し早い昇進となります。朝潮の昇進は、「三場所方式」に近い形で評価されたようですね。それまでが不安定とみなされたためでしょうか。
・柏戸
大関は1960年9月より、横綱は1961年11月より
直前二場所方式であれば
1961年 1月:13勝2敗(優) 3月:12勝3敗
での史実より早い昇進となりますが、三場所方式ですと計37勝基準を満たしている時期は
1963年 9月:15戦全勝(優) 11月:10勝5敗 1964年 1月:12勝3敗
と史実より大幅にずれ込みます。ただ、1963年は1月から7月まで四場所連続で休場しているため、もし横綱になっていなければ間違いなく大関陥落、関脇も守れずで横綱昇進どころではなかった危険が。次の計37勝は
1966年 5月:12勝3敗 7月:12勝3敗 9月:13勝2敗(優同)
更に三場所方式でも計38勝基準なら、満たすのは以下の時期。
1967年 3月:11勝4敗 5月:13勝2敗 7月:14勝1敗(優)
この時までに大関に返り咲いていれば横綱昇進がなります。柏戸は怪我に悩まされたせいもあって三場所連続で安定した成績を求められると厳しいようです。強いときは強いんですけどね。彼の昇進事情は、1961年3月に見送られたけれど何とか横綱にしたいという協会の思惑があり、ライバル大鵬の昇進に合わせて以前の埋め合わせのように昇進させたというところでしょうか。
・大鵬
大関は1961年1月より、横綱は1961年11月より
彼の大関時代は
1961年 5月:11勝4敗 7月:13勝2敗(優) 9月:12勝3敗(優) 11月:13勝2敗(優)
直前二場所方式だと史実通り、三場所方式ですといずれの基準でも史実より一場所遅れての昇進となります。5月の成績も決して悪くないのを考えるとやはり三場所で評価するのは厳しいのでしょうか?
・栃ノ海
大関は1962年7月より、横綱は1964年3月より
いずれの基準でも
1963年 9月:11勝4敗 11月:14勝1敗(優) 1964年 1月:13勝2敗
と史実通りでの昇進。
・佐田の山
大関は1962年5月より、横綱は1965年3月より
昇進直前の成績は
1964年 9月:13勝2敗 11月:13勝2敗 1965年 1月:13勝2敗(優)
となっており直前二場所方式だと史実より少し早い1964年11月、三場所方式だといずれの基準でも史実通りでの昇進。
・玉の海
大関は1966年11月より、横綱は1970年3月より
直前二場所方式や三場所方式計37勝基準なら
1968年 1月:12勝3敗 3月:12勝3敗 5月:13勝2敗(優)
と史実よりかなり早い昇進。一方、三場所方式でも計38勝基準なら
1970年 1月:13勝2敗(優同) 3月:13勝2敗 5月:12勝3敗
と史実より少し遅れて昇進となるようです。
・北の富士
大関は1966年9月より、横綱は1970年3月より
三場所方式だといずれの基準でも
1969年 9月:12勝3敗 11月:13勝2敗(優) 1970年 1月:13勝2敗(優)
と史実通りの昇進。直前二場所方式だと少し早い同年11月ですね。それまでが少し不安定とみなされたのでしょうか。
・琴櫻
大関は1967年11月より、横綱は1973年3月より
直前二場所方式か三場所方式計37勝基準であれば、
1972年 9月:9勝6敗 11月:14勝1敗(優) 1973年:14勝1敗(優)
と史実通りの昇進を遂げます。しかし三場所方式計38勝基準で直前場所に12勝以上となると満たす時期はありませんでした。
・輪島
大関は1972年11月より、横綱は1973年7月より
いずれの基準でも
1973年 1月:11勝4敗 3月:13勝2敗 5月:15戦全勝(優)
で史実通りの昇進。
・北の湖
大関は1974年3月より、横綱は1974年9月より
昇進する少し前の成績は
1974年 1月(大関昇進直前):14勝1敗(優) 3月:10勝5敗 5月:13勝2敗(優) 7月:13勝2敗(優同)
となっており、直前二場所方式だと史実通り。三場所方式計37勝基準だと同年5月で史実より少し早い昇進。ここで見送られると
1974年 11月:12勝3敗(優同) 1975年 1月:12勝3敗(優) 3月:13勝2敗(優同)
と少し遅れての昇進に。
計38勝基準ですと、
1975年 1月:12勝3敗(優) 3月:13勝2敗(優同) 5月:13勝2敗(優)
での昇進となります。
・若乃花(二代目)
大関は1977年3月より、初優勝は1977年5月、横綱は1978年7月より
三場所方式だといずれの基準でも
1978年 1月:13勝2敗 3月:13勝2敗(優同) 5月:14勝1敗(優同)
と史実通りの昇進。直前二場所方式だと一場所早い同年3月での昇進となります。優勝がなかったのが待たされた要因でしょうか。
・三重ノ海
初優勝は1975年11月、大関は1976年1月より、横綱は1979年9月より
直前二場所方式・三場所方式計37勝基準だと
1979年 3月:10勝5敗 5月:13勝2敗 7月:14勝1敗(優同)
と史実通りの昇進。三場所方式計38勝基準ですと、
1979年 7月:14勝1敗(優同) 9月:11勝4敗 11月:14勝1敗(優)
と史実より二場所遅れての昇進に。
・千代の富士
大関は1981年3月より、横綱は1981年9月より
三場所方式だといずれの基準でも
1981年 1月(大関昇進直前):14勝1敗(優) 3月:11勝4敗 5月:13勝2敗
と史実より少し早い昇進に。ここで見送られてもいずれにせよ翌7月の14勝1敗(優)で史実通りの昇進となります。直前二場所方式でも史実通りの昇進ですね。
・隆の里
大関は1982年3月より、初優勝は1982年9月、横綱は1983年9月より
三場所方式だといずれの基準でも
1983年 3月:12勝3敗 5月:13勝2敗 7月:14勝1敗(優)
で史実通りの昇進に。なお、初優勝は1982年9月ですので直前二場所方式ですと1983年5月場所後の昇進となりますね。
・双羽黒
大関は1986年1月より、横綱は1983年9月より
三場所方式だといずれの基準を満たす時期もありませんでした。より安定性を求められる三場所連続方式だと厳しかったようです。直前二場所方式でも
1986年 5月:12勝3敗 7月:14勝1敗(優同)
と「直前二場所で25勝以上」「直前場所は12勝以上」を満たす時期はあるものの優勝経験のなさがネックになります。
・北勝海
大関は1986年9月より、横綱は1987年7月より
直前二場所方式だと
1987年 1月:11勝4敗 3月:12勝3敗(優) 5月:13勝2敗
で史実通りの昇進ですが、三場所方式ですと
1987年 5月:13勝2敗 7月:11勝4敗 9月:14勝1敗(優)
と史実より少し遅れての昇進に。
・大乃国
大関は1985年9月より、横綱は1987年11月より
三場所方式ですといずれの基準でも
1987年 5月:15戦全勝(優) 7月:12勝3敗 9月:13勝2敗
と史実通りの昇進。直前二場所方式ですと7月場所後の昇進となりますが、それまで不安定だったため据え置かれたという事のようです。
・旭富士
大関は1987年11月より、横綱は1990年9月より
計37勝基準だと
1987年 9月(大関昇進直前):12勝3敗 11月:11勝4敗 1988年 1月:14勝1敗(優) 3月:12勝3敗
で1月場所後、あるいはこの時に見送られても3月場所後での昇進となります。計38勝基準ですと翌5月の12勝3敗での昇進。直前二場所方式だと1988年1月・3月を含めもっと昇進可能な時期が多かったのは以前に述べたとおり。いずれにせよ、史実よりかなり早い昇進です。双羽黒廃業事件による昇進基準厳格化のあおりを食っている事が良く分りますね。
・曙
大関は1992年7月より、横綱は1993年3月より
直前二場所方式ですと史実通り
1992年 9月:9勝6敗 11月:14勝1敗(優) 1993年 1月:13勝2敗(優)
で昇進となりますが、三場所方式ですといずれの基準でも
1993年 5月:13勝2敗 7月:13勝2敗(優) 9月:14勝1敗(優)
と史実より遅れての昇進。二場所連続優勝方式と三場所方式のいずれがより厳しいのか、よく分らなくなってきました。
・貴乃花
大関は1993年3月より、横綱は1995年1月より
直前二場所方式と三場所方式のいずれでも、
1993年 3月:11勝4敗 5月:14勝1敗(優) 7月:13勝2敗(優同)
と史実よりかなり早い昇進になります。その後も史実での昇進以前に
1994年 1月:14勝1敗(優) 3月:11勝4敗 5月:14勝1敗(優)
1994年 5月:14勝1敗(優) 7月:11勝4敗 9月:15戦全勝(優)
といずれの基準も満たす時期があります。彼も昇進基準厳格化の犠牲者ですね。
・若乃花(三代目)
大関は1993年9月より、横綱は1998年7月より
直前二場所方式ですと史実通り
1998年 3月:14勝1敗(優) 5月:12勝3敗(優)
での昇進ですが三場所方式いずれの基準を満たす時期もありません。曙と同様、二場所連続優勝方式と三場所方式のいずれが厳しいかを一概に評価するのは難しいと思わせる一例です。
・武蔵丸
大関は1994年3月より、横綱は1999年7月より
直前二場所方式だと
1994年 5月:12勝3敗 7月:15戦全勝(優)
で、三場所方式だと
1994年 7月:15戦全勝(優) 9月:11勝4敗 11月:12勝3敗
で史実より相当早い昇進となっていました。その後も直前二場所方式・三場所方式計37勝基準なら
1994年 11月:12勝3敗 1995年 1月:13勝2敗(優同) 3月:12勝3敗
1997年 9月:13勝2敗(優同) 11月:12勝3敗 1998年 1月:12勝3敗(優)
と史実での昇進前に満たしている時期があります。彼も二場所連続優勝方式でなければ昇進が早まっていた一人ですね。
・朝青龍
大関は2002年9月より、横綱は2003年3月より
いずれの基準でも
2002年 9月:10勝5敗 11月:14勝1敗(優) 2003年 1月:14勝1敗(優)
と史実通りの昇進となります。
・白鵬
大関は2006年5月より、横綱は2007年7月より
いずれの基準でも
2006年 3月(大関昇進直前):13勝2敗(優同) 5月:14勝1敗(優) 7月:13勝2敗
と史実より早めの昇進に。なお、この時に見送られていると
2007年 1月:10勝5敗 3月:13勝2敗(優) 5月:15戦全勝(優)
と史実通りになります。
・日馬富士
大関は2009年1月より、横綱は2012年11月より
いずれの基準でも
2012年 5月:8勝7敗 7月:15戦全勝(優) 9月:15戦全勝(優)
と史実通りになります。
次に、当該時期に綱取りに挑んだ強豪大関を評価してみます。この条件だと綱に届いたかも知れない大関は以下の通り。
・若嶋津
大関は1983年1月より
三場所方式ですといずれの基準でも
1984年 3月:14勝1敗(優) 5月:9勝6敗 7月:15戦全勝(優)
で満たしており横綱昇進していた可能性があります。なお、直前二場所方式を満たす時期はありませんでした。
・霧島
大関は1990年5月より
三場所方式計37勝基準だと
1990年 9月:13勝2敗 11月:10勝5敗 1991年 1月:14勝1敗(優)
と満たしている時期があります。計38勝基準・直前二場所方式を満たす時期はありませんでした。
・小錦
大関は1987年7月より
三場所方式で見ますと、計37勝基準だと
1989年 11月:14勝1敗(優) 1990年 1月:10勝5敗 3月:13勝2敗(優同)
で満たしており計38勝基準だと
1991年 11月:13勝2敗(優) 1992年 1月:12勝3敗 3月:13勝2敗(優)
で満たしていました。1992年1月・3月は直前二場所方式でも条件を満たしていますね。なお、直前二場所方式だと他にも
1991年 5月:14勝1敗(優同) 7月:12勝3敗
1990年 1月:10勝5敗 3月:13勝2敗(優同) 5月:12勝3敗
で満たしているのは以前に申し上げたとおり。昇進基準厳格化に泣かされた人だった事を改めて実感しました。
なお余談ですが、貴乃花の父・貴ノ花(大関は1972年11月より、初優勝は1975年3月)は三場所方式を満たす時期はありませんが直前二場所方式ですと
1977年 1月:12勝3敗 3月:13勝2敗
と満たしたことがあるようです。ただ、不安定な成績が多いためもう一場所様子をみる事になったようですね。
三場所方式だと、史実で横綱になっていた人でも時期がずれこんだり横綱昇進が果たせなかったりした人もいる事が分りました。一方、逆に時期が早まったり史実では大関どまりだった人も横綱になっていた可能性がある事も判明。まとめなおすと、
・三場所方式だと横綱になれなかった人
千代の山(計38勝の場合)、柏戸(条件を満たす前に怪我で大関陥落している可能性)、琴櫻(計38勝の場合)、双羽黒、若乃花(三代目)
・三場所方式だと史実より昇進時期が早まった人
栃錦、若乃花(初代)(計37勝の場合)、玉の海(計37勝の場合)、北の湖(計37勝の場合)、千代の富士、旭富士、貴乃花、武蔵丸、白鵬
・三場所方式だと史実より昇進時期が遅れた人
鏡里(計38勝の場合)、若乃花(初代)(計38勝の場合)、玉の海(計38勝の場合)、北の湖(計38勝の場合)、三重ノ海(計38勝の場合)、北勝海、曙
・直前二場所方式だと史実より昇進時期が早まった人
栃錦、朝潮、隆の里、大乃国、旭富士、貴乃花、武蔵丸、白鵬
・二場所連続優勝方式・三場所方式は満たしていないが直前二場所方式を満たした事がある大関
初代貴ノ花
・二場所連続優勝方式・直前二場所方式は満たしていないが三場所方式だと条件を満たしていた大関
若嶋津、霧島(計37勝の場合)
・二場所連続優勝方式は満たしていないが直前二場所方式・三場所方式だと条件を満たしていた大関
小錦
といったところ。
二場所連続優勝方式導入以前は、直前二場所方式と三場所方式を都合よく使い分けていた印象でした。基本は直前二場所方式ですが、「それまでが不安定なのでもう一場所見たい」「横綱が欲しいが直前二場所だけでは不足」といった時に三場所方式が用いられているような感じ。まあ、なぜもう一場所待ったか良く分らない事例もありましたが。
あと付け加えると、直前二場所方式と二場所連続優勝方式では後者のほうが厳しいといって良さそうですが、三場所評価だと直前二場所方式・二場所連続優勝方式と比べて緩いのか厳しいのか、評価が難しいところのようです。直前の爆発力と安定性のいずれを評価するか、という事なんでしょうね。
関連サイト:
「相撲評論家之頁」(http://park11.wakwak.com/~tsubota/door1.html)
「MS-DATABASE SPORTS DATA INDEX」
(http://www2.wbs.ne.jp/~ms-db/database(sports).htm)
力士たちの成績は、このサイトを参考にさせていただきました。
※2013/11/29 朝潮の成績を一部訂正しました。
※2013/12/2 霧島の名を太文字に修正しました。
※2014/2/16 霧島の成績を修正しました。
by trushbasket
| 2013-11-27 19:47
| NF








