2013年 12月 14日
続「ああ人生に涙あり?―東西の回国伝説―」~まだいた世界の「水戸黄門」たち~
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大分前になりますが、徳川光圀のように身をやつして直接民衆の様子をさぐったという伝説がある君主は各地にいるという内容の記事を書きました。
この記事で述べた以外にもそうした君主はいるようで、今回はそうした実例をいくつか追加報告していきます。まず日本ですが、十四世紀後半における南朝の天皇であった長慶天皇も『後太平記』天部巻第七によれば永和四年(1378)に微行して各地を回ったとされています。もっとも、この時期の南朝は圧倒的劣勢な状況で長慶天皇自身からして即位が史実として間違いないと確認されたのが二十世紀になってからだという体たらくなので、各地を見て回るというよりあちこち逃げ回ってるんじゃないかと勘繰りたくなります。余り伝説の名君という感じじゃない事もそうしたイメージになってしまう原因でしょうね。
ここで海外に目を移すと、スウェーデンで十七世紀後半に君臨したカール11世にもそうした話があるようです。カール11世はスウェーデンがバルト海周辺全域に勢力を伸ばした黄金時代の国王で、彼自身も1676年にルンドの戦いでデンマーク・ノルウェーあいてに大勝利を収めるなど軍事的力量がある人物でした。しかし彼の時代は相次ぐ戦争で国家財政が危うくなりかかっており、それに対応するため下級貴族・聖職者・民衆を味方に付けた上で大貴族の土地を国家に返納させ農民に土地・家を貸与して軍役を課する政策を導入して財政再建を行っています。また「臨時調査委員会(コミッショーン)」を設立して陳情があれば側近を任命し現地調査を行うようにして、地方政治の刷新を図っています。臨時調査委員会には問題がある役人の任免権もあったようですからそれなりに効果が出たでしょうね。こうした名君としてのイメージ、中でも臨時調査委員会で直接国民の不満を吸い上げるよう務めていた事から、国王自身が粗末な灰色の合羽を着て国内を巡り庶民の生活や考えを知り、また民間の人材を探り出して登用し不正な役人を懲らしめたという伝説が生まれたようです。
中国にも回国伝説の例がありました。まず挙げられるのが宋の建国者・太祖趙匡胤。彼はお忍びで街にでて窮屈な宮殿生活の憂さを晴らすと共に民情視察を行ったと伝えられています。なお、この際に腹心である趙普の邸宅を訪問する事がしばしばだったもので、趙普は気の毒に帰宅しても正装して待ち構える習慣がついたとか。
あと、清の最盛期を築いた皇帝の一人である乾隆帝にもお忍びえで民情視察した話があり、『乾隆遊江南』にまとめられています。もっとも、彼の伝説はグルメというか食い意地が張ったものが多いようです。
例えばあるとき、皇帝は蘇州へお忍びし料理屋「松鶴楼」へ赴きますが、みすぼらしい身なりで靴も泥だらけだったので店員に軽んじられ安い料理を出されました。そこへ別の店の者が大皿に乗った高級料理「松鼠桂魚」を持って通りかかったのを見てそれを要求するものの「金はあるのか」と問われ怒ってスープの皿を店員にぶっかけるという暴挙に。それを見て外で控えていた高官が慌てて駆けつけ店員に金を渡し、店長も二人が只者でないと悟って「松鼠桂魚」を献上して事なきを得ました。結局、後に皇帝だという事が店側にも判明しそれを店の自慢としたという事です。ちなみに「松鼠桂魚」とは桂魚の腸を抜いて頭と尾を残す形で背骨を取り、その上で庖丁で肉に松笠様に切込みをいれ、油で揚げたものだとか。仕上げにトマトで出来たソースをかけると鼠の鳴くような音を立てるためこの名があるそうです。
他にこのような話もあります。杭州湾の町で皇帝は空腹になり、農家でほうれん草と豆腐の炒め物を分けてもらいました。老婆は彼が貴人であることを察し、料理名を問われた際にそのまま答えるのが気が引けたため「金鑲白玉枝、紅嘴緑鸚哥」と答えたとか(これが結局、料理名として語り継がれる事になります)。で、宮中に帰った後も、乾隆帝はこの料理が恋しく料理人に作らせるものの思うようなものが作れないもので何人もの料理人が処刑される羽目に。最終的に側近が上記の出来事を突き止めた上で該当する料理を作らせる事に成功しましたが、宮廷の美食に慣れていた帝は満足できずあの時は空腹が旨く感じさせていた事を悟ったそうです。我が国における落語「目黒のさんま」に似た点のある話ですが、結局貴人の味覚は庶民の食べ物を受け付けないという正反対の落ちがついています。
伝説の名君には民情を直接見聞したという伝説が生じるのは、東西を問わないという事ですね。
【参考文献】
吾妻鏡の謎 奥富敬之 吉川弘文館
スウェーデンを知るための60章 村井誠人編著 明石書店
世界ナンバー2列伝 山田昌弘 社会評論社
中華満喫 南條竹則 新潮選書
日本大百科全書 小学館
関連記事:
東西の「名君」たちに残る様々な伝説。
「ああ人生に涙あり?―東西の回国伝説―」
「覇者の胃袋 ~粗食、偏食、暴飲暴食の帝王たち~」
「ローマ帝国の男のロマン ~古代ローマ人のエロ願望が変態すぎて日本人もドン引きレベル~」
歴史上に名を残した名君たちには、アレなものも含めて様々な伝説が。社会評論社『ダメ人間の世界史』『ダメ人間の日本史』にもそうした話があったりします。興味のある方は御参照ください。
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太祖趙匡胤と趙普を始めとする様々な名君と補佐役の話は社会評論社『世界ナンバー2列伝』を御参照ください。
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※実は本日、別の記事をアップしていたのですが内容が軽率という事で差し替えさせていただきました。御了承ください。
関連記事:
「ああ人生に涙あり?―東西の回国伝説―」
この記事で述べた以外にもそうした君主はいるようで、今回はそうした実例をいくつか追加報告していきます。まず日本ですが、十四世紀後半における南朝の天皇であった長慶天皇も『後太平記』天部巻第七によれば永和四年(1378)に微行して各地を回ったとされています。もっとも、この時期の南朝は圧倒的劣勢な状況で長慶天皇自身からして即位が史実として間違いないと確認されたのが二十世紀になってからだという体たらくなので、各地を見て回るというよりあちこち逃げ回ってるんじゃないかと勘繰りたくなります。余り伝説の名君という感じじゃない事もそうしたイメージになってしまう原因でしょうね。
ここで海外に目を移すと、スウェーデンで十七世紀後半に君臨したカール11世にもそうした話があるようです。カール11世はスウェーデンがバルト海周辺全域に勢力を伸ばした黄金時代の国王で、彼自身も1676年にルンドの戦いでデンマーク・ノルウェーあいてに大勝利を収めるなど軍事的力量がある人物でした。しかし彼の時代は相次ぐ戦争で国家財政が危うくなりかかっており、それに対応するため下級貴族・聖職者・民衆を味方に付けた上で大貴族の土地を国家に返納させ農民に土地・家を貸与して軍役を課する政策を導入して財政再建を行っています。また「臨時調査委員会(コミッショーン)」を設立して陳情があれば側近を任命し現地調査を行うようにして、地方政治の刷新を図っています。臨時調査委員会には問題がある役人の任免権もあったようですからそれなりに効果が出たでしょうね。こうした名君としてのイメージ、中でも臨時調査委員会で直接国民の不満を吸い上げるよう務めていた事から、国王自身が粗末な灰色の合羽を着て国内を巡り庶民の生活や考えを知り、また民間の人材を探り出して登用し不正な役人を懲らしめたという伝説が生まれたようです。
中国にも回国伝説の例がありました。まず挙げられるのが宋の建国者・太祖趙匡胤。彼はお忍びで街にでて窮屈な宮殿生活の憂さを晴らすと共に民情視察を行ったと伝えられています。なお、この際に腹心である趙普の邸宅を訪問する事がしばしばだったもので、趙普は気の毒に帰宅しても正装して待ち構える習慣がついたとか。
あと、清の最盛期を築いた皇帝の一人である乾隆帝にもお忍びえで民情視察した話があり、『乾隆遊江南』にまとめられています。もっとも、彼の伝説はグルメというか食い意地が張ったものが多いようです。
例えばあるとき、皇帝は蘇州へお忍びし料理屋「松鶴楼」へ赴きますが、みすぼらしい身なりで靴も泥だらけだったので店員に軽んじられ安い料理を出されました。そこへ別の店の者が大皿に乗った高級料理「松鼠桂魚」を持って通りかかったのを見てそれを要求するものの「金はあるのか」と問われ怒ってスープの皿を店員にぶっかけるという暴挙に。それを見て外で控えていた高官が慌てて駆けつけ店員に金を渡し、店長も二人が只者でないと悟って「松鼠桂魚」を献上して事なきを得ました。結局、後に皇帝だという事が店側にも判明しそれを店の自慢としたという事です。ちなみに「松鼠桂魚」とは桂魚の腸を抜いて頭と尾を残す形で背骨を取り、その上で庖丁で肉に松笠様に切込みをいれ、油で揚げたものだとか。仕上げにトマトで出来たソースをかけると鼠の鳴くような音を立てるためこの名があるそうです。
他にこのような話もあります。杭州湾の町で皇帝は空腹になり、農家でほうれん草と豆腐の炒め物を分けてもらいました。老婆は彼が貴人であることを察し、料理名を問われた際にそのまま答えるのが気が引けたため「金鑲白玉枝、紅嘴緑鸚哥」と答えたとか(これが結局、料理名として語り継がれる事になります)。で、宮中に帰った後も、乾隆帝はこの料理が恋しく料理人に作らせるものの思うようなものが作れないもので何人もの料理人が処刑される羽目に。最終的に側近が上記の出来事を突き止めた上で該当する料理を作らせる事に成功しましたが、宮廷の美食に慣れていた帝は満足できずあの時は空腹が旨く感じさせていた事を悟ったそうです。我が国における落語「目黒のさんま」に似た点のある話ですが、結局貴人の味覚は庶民の食べ物を受け付けないという正反対の落ちがついています。
伝説の名君には民情を直接見聞したという伝説が生じるのは、東西を問わないという事ですね。
【参考文献】
吾妻鏡の謎 奥富敬之 吉川弘文館
スウェーデンを知るための60章 村井誠人編著 明石書店
世界ナンバー2列伝 山田昌弘 社会評論社
中華満喫 南條竹則 新潮選書
日本大百科全書 小学館
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東西の「名君」たちに残る様々な伝説。
「ああ人生に涙あり?―東西の回国伝説―」
「覇者の胃袋 ~粗食、偏食、暴飲暴食の帝王たち~」
「ローマ帝国の男のロマン ~古代ローマ人のエロ願望が変態すぎて日本人もドン引きレベル~」
歴史上に名を残した名君たちには、アレなものも含めて様々な伝説が。社会評論社『ダメ人間の世界史』『ダメ人間の日本史』にもそうした話があったりします。興味のある方は御参照ください。
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太祖趙匡胤と趙普を始めとする様々な名君と補佐役の話は社会評論社『世界ナンバー2列伝』を御参照ください。
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※実は本日、別の記事をアップしていたのですが内容が軽率という事で差し替えさせていただきました。御了承ください。
by trushbasket
| 2013-12-14 23:47
| NF








