2014年 01月 12日
本居宣長門下への入門に際して~入門誓紙から見えてくる当時の国学事情~
|
国学の大成者であった本居宣長の下には、数多くの弟子が入門していました。中には宣長の養子となって後継者になった稲掛大平や、没後に入門を許された伴信友のような例もあります。因みに平田篤胤も宣長の没後門人と称していますが、実際には本居春庭(宣長の実子、失明し家督を継ぎませんでしたが鈴屋門下の一雄ではありました)に入門していたんだそうです。さて、入門の際には決まった手続きがあったようで決められた書式での誓紙を提出したんだそうです。その文面を以下に引用します。なお、漢字は新字体に改めています。
現代語訳すると、以下の通りです。
最初の項目や最後の結びで途中改行があるのは、「皇朝」「神」「天神国神」など敬すべき対象が来るからです。現代でも、目上の相手に出す手紙では相手のことに言及する際には改行したりしますが、それと同じだと思ってください。上記の文章からは、意外と色々な事が分かります。
まず、原文が漢文風である事に注目してください。勿論、純正な漢文ではなく仮名も混じった「和製英語」ならぬ「和製漢文もどき」ですが。当時の改まった文書は一般的にこんな風でした。宣長を始めとして国学者達は漢籍偏重の風潮を非難していましたが、漢学の素養そのものを排除するのは実際問題として流石に難しかったようです。そして宣長は自分の主張と異なる内容が世間で行われていても、それもまた「神の御心」として表向きは受け入れるのを常としていましたから、ここでも世間一般の常識に従ったと言う事でしょう。更に、実際問題として『古事記』『日本書紀』を読む上でも漢文知識は不可欠でしたし、漢籍の知識があれば古典における元ネタが分かったり日本と中国の比較もしやすかったりと非常に便利でした。そのため、宣長は著作で漢籍を引用したことも少なくありませんし、著書『うひ山ぶみ』でも余裕があれば漢籍をも読むようにと勧めています(ただし、日本の古典が第一と念を押していますが)。なお、宣長は青年期に京で医学と並んで儒学も修めていますから、漢籍の素養には不足していませんでした。平田篤胤も漢籍や蘭学の知識をも吸収し独自の学問を作り上げる上で大いに役立てています。まあ、国学に限らず蘭学を学ぶに当っても漢文・漢籍の知識は求められた時代ではありました。
次に、国学と言えば「尊王思想につながり幕末には倒幕運動の思想背景となった」と学校で習いますし、事実討幕運動に奔走した国学者も多いようです。しかし、この時点ではあくまでも太古における日本の姿を知り日本の本来の精神を探求するという性格が強く時の体制をどうこうしようとは全く考えていない事もここから読み取れます。事実、宣長は紀伊藩主の求めで政治的献言をした著作『玉くしげ』において徳川政権の治世を積極的に肯定しているのです(まあ、紀伊藩主が徳川氏なので追従した面はあるんでしょうけど)。
更に、世間から見て奇異な説を唱える事を戒めたり、弟子たちの間で意見の違いをめぐり争う事を禁じています。もっとも、なかなかそううまくはいかないようで、宣長自身も意見の違いを巡り上田秋成等と論争をしていますし、宣長没後には篤胤がトンデモと受け取られても仕方ない説を唱えて物議をかもしたり、宣長直系の弟子たちが篤胤と論争したり仲違いをしたりといった事は生じています。まあ、人間のやる事ですからどうしてもそうした事は起こってくるでしょうね。他、秘伝のような類を批判しているのも目に付きます。神道学説にしろ歌道にしろ、弟子の一部にだけ教える閉鎖的な教えは本来の道とは違い胡散臭いといって宣長は様々な著作で批判しています。
以上、入門誓詞一つとってもそこから様々な事が見えてくるわけですね。そういえばこれまで何回か触れてきたように、宣長先生は精神的に現代オタクに通じる一面がありました。そのせいかどうかは分りませんが、余り世間から逸脱して思うがままに暴走したらまずいという事は痛感していたんでしょうね。だから、自分の影響を受けるであろう弟子達にもあらかじめ注意をして世間からキモがられないよう心を配ったものでしょうか。
【参考文献】
本居宣長全集第二十巻 筑摩書房
漢文の素養 加藤徹 光文社新書
うひ山ぶみ・鈴屋答問録 本居宣長著 村岡典嗣校訂 岩波文庫
本居宣長(上)(下) 小林秀雄 新潮文庫
人物叢書新装版本居宣長 城福勇 吉川弘文館
排蘆小船・石上私淑言 本居宣長著 子安宣邦校注 岩波文庫
本居宣長全集第八巻 筑摩書房
人物叢書平田篤胤 田原嗣郎 吉川弘文館
宣長と篤胤の世界 子安宣邦著 岩波叢書
関連記事:
「本居宣長異聞~大和心とメイドさん~」
「<過去記事・発表紹介>絢爛たる国学者たち」
「国学者流論争決着法~「男なら‘男’のデカさを見せてみろ」「すごく…大きいです…」~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
宣長先生に関連する発表については
「本居宣長関連発表まとめ」
にあるリンク先を御参照ください。
関連サイト:
「本居宣長記念館」
(http://www.norinagakinenkan.com/)
本居宣長を始めとする主要国学者については、社会評論社『ダメ人間の日本史』でも触れていますので興味のある方は御参照ください。
Amazon :『ダメ人間の日本史』(ダメ人間の歴史vol 2)
楽天ブックス:『ダメ人間の日本史』(ダメ人間の歴史vol 2)
当ブログ内紹介記事
誓詞
一、此度御門入奉願候処、御許容被成下、御教子之列に被召加、本懐之至奉存候、然上者、専
皇朝之道を致尊信、最敬
神之儀怠慢致間敷、永蒙御教諭、生涯師弟之義を忘却仕間敷事
一、公之御制法に相背候儀者不申及、惣而古之道を申立、世間にかはりたる異様之行を致、人之見聞を驚し候様之儀有之間敷、殊更師伝と偽り、奇怪之説なと申立候義なと、一切仕間敷事
一、於大人御流義者、秘伝口授なと申儀曾而無之旨堅相守、左様之品を申立、渡世之便りと致候様之儀なと、惣而鄙劣之振舞を致、古学之名を穢申間敷事
一、大人万歳之後、学之兄弟、不相替随分むつましく相交り、互に古学興隆之志を相励し可申、立我執争論なと致候儀有之間敷事
右之条々謹而相守可申、若及違犯候はは、八百万之
天神国神明に可所知食者也、仍誓詞如件
年号月日 何国何郡何村 姓名判
奉
鈴屋大人御許
(『本居宣長全集第二十巻』筑摩書房 191頁)
現代語訳すると、以下の通りです。
誓詞
一、この度、先生へのご入門をお願い申し上げましたところ、御許可下さり、御弟子の列に御加え下さりました事は、この上なく有難い事と存じます。この上は、専ら
皇朝の道を尊び信じ申し上げ、
神を最も尊ぶ事を怠り弛まず、ずっと御教えや御諭しを頂き、生涯にわたり師弟関係を忘れません。
一、お上の御制度・御法律に背くような事は言うまでもなく、総じて古い道と申し立てて、世間から見て変わった異様な行いをしたり、人の目や耳を驚かすような事は決してせず、また殊更に師匠から伝えられた事と偽って、奇怪な説などを申し立てるような事などは、一切致しません。
一、大人の御流儀においては、秘伝や口授などと申すようなものは決してない事を堅く互いに守り、そのようなものを申し立てて、世を渡る手段に致すなどのような、総じて卑劣な振舞いを致して、古学の名を汚し申し上げる事は致しません。
一、大人が御逝去なされた後も、学問における兄弟弟子は、互いに変わらず十分に仲良く交際し、互いに古学の隆盛する志をもって励まし合い申し上げ、自説に執着して言い争うなどは致しません。
以上の条件を謹んで互いに守り申し上げます。もしこれに違反しましたなら、八百万の
天つ神や国つ神がすぐに御存知となるでしょう。これにより、誓詞は上記の通りです。
年号月日 何国何郡何村 姓名 判(サイン)
奉
鈴屋大人御許
最初の項目や最後の結びで途中改行があるのは、「皇朝」「神」「天神国神」など敬すべき対象が来るからです。現代でも、目上の相手に出す手紙では相手のことに言及する際には改行したりしますが、それと同じだと思ってください。上記の文章からは、意外と色々な事が分かります。
まず、原文が漢文風である事に注目してください。勿論、純正な漢文ではなく仮名も混じった「和製英語」ならぬ「和製漢文もどき」ですが。当時の改まった文書は一般的にこんな風でした。宣長を始めとして国学者達は漢籍偏重の風潮を非難していましたが、漢学の素養そのものを排除するのは実際問題として流石に難しかったようです。そして宣長は自分の主張と異なる内容が世間で行われていても、それもまた「神の御心」として表向きは受け入れるのを常としていましたから、ここでも世間一般の常識に従ったと言う事でしょう。更に、実際問題として『古事記』『日本書紀』を読む上でも漢文知識は不可欠でしたし、漢籍の知識があれば古典における元ネタが分かったり日本と中国の比較もしやすかったりと非常に便利でした。そのため、宣長は著作で漢籍を引用したことも少なくありませんし、著書『うひ山ぶみ』でも余裕があれば漢籍をも読むようにと勧めています(ただし、日本の古典が第一と念を押していますが)。なお、宣長は青年期に京で医学と並んで儒学も修めていますから、漢籍の素養には不足していませんでした。平田篤胤も漢籍や蘭学の知識をも吸収し独自の学問を作り上げる上で大いに役立てています。まあ、国学に限らず蘭学を学ぶに当っても漢文・漢籍の知識は求められた時代ではありました。
次に、国学と言えば「尊王思想につながり幕末には倒幕運動の思想背景となった」と学校で習いますし、事実討幕運動に奔走した国学者も多いようです。しかし、この時点ではあくまでも太古における日本の姿を知り日本の本来の精神を探求するという性格が強く時の体制をどうこうしようとは全く考えていない事もここから読み取れます。事実、宣長は紀伊藩主の求めで政治的献言をした著作『玉くしげ』において徳川政権の治世を積極的に肯定しているのです(まあ、紀伊藩主が徳川氏なので追従した面はあるんでしょうけど)。
更に、世間から見て奇異な説を唱える事を戒めたり、弟子たちの間で意見の違いをめぐり争う事を禁じています。もっとも、なかなかそううまくはいかないようで、宣長自身も意見の違いを巡り上田秋成等と論争をしていますし、宣長没後には篤胤がトンデモと受け取られても仕方ない説を唱えて物議をかもしたり、宣長直系の弟子たちが篤胤と論争したり仲違いをしたりといった事は生じています。まあ、人間のやる事ですからどうしてもそうした事は起こってくるでしょうね。他、秘伝のような類を批判しているのも目に付きます。神道学説にしろ歌道にしろ、弟子の一部にだけ教える閉鎖的な教えは本来の道とは違い胡散臭いといって宣長は様々な著作で批判しています。
以上、入門誓詞一つとってもそこから様々な事が見えてくるわけですね。そういえばこれまで何回か触れてきたように、宣長先生は精神的に現代オタクに通じる一面がありました。そのせいかどうかは分りませんが、余り世間から逸脱して思うがままに暴走したらまずいという事は痛感していたんでしょうね。だから、自分の影響を受けるであろう弟子達にもあらかじめ注意をして世間からキモがられないよう心を配ったものでしょうか。
【参考文献】
本居宣長全集第二十巻 筑摩書房
漢文の素養 加藤徹 光文社新書
うひ山ぶみ・鈴屋答問録 本居宣長著 村岡典嗣校訂 岩波文庫
本居宣長(上)(下) 小林秀雄 新潮文庫
人物叢書新装版本居宣長 城福勇 吉川弘文館
排蘆小船・石上私淑言 本居宣長著 子安宣邦校注 岩波文庫
本居宣長全集第八巻 筑摩書房
人物叢書平田篤胤 田原嗣郎 吉川弘文館
宣長と篤胤の世界 子安宣邦著 岩波叢書
関連記事:
「本居宣長異聞~大和心とメイドさん~」
「<過去記事・発表紹介>絢爛たる国学者たち」
「国学者流論争決着法~「男なら‘男’のデカさを見せてみろ」「すごく…大きいです…」~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
宣長先生に関連する発表については
「本居宣長関連発表まとめ」
にあるリンク先を御参照ください。
関連サイト:
「本居宣長記念館」
(http://www.norinagakinenkan.com/)
本居宣長を始めとする主要国学者については、社会評論社『ダメ人間の日本史』でも触れていますので興味のある方は御参照ください。
Amazon :『ダメ人間の日本史』(ダメ人間の歴史vol 2)楽天ブックス:『ダメ人間の日本史』(ダメ人間の歴史vol 2)
当ブログ内紹介記事
by trushbasket
| 2014-01-12 09:47
| NF








