2014年 01月 26日
カレーの歴史 in 日本~キレンジャーにカレクック…~
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現代の日本人が好きな料理を挙げさせると、カレーは間違いなく上位に入ってくるのではないかと思います。例えば戦隊ものの元祖というべき『秘密戦隊ゴレンジャー』に登場する戦士の一人・キレンジャーの好物がカレーである事は御存知の方も多いでしょう。
そしてカレーがインド由来である事は知らない人がいないと思います。というより『キン肉マン』でインド代表超人が頭にカレーライスを載せた「カレクック」だったりするようにインドのイメージがカレー、という方も少なくないのではないでしょうか。
そんなカレーがどのようにして日本に定着したのか。今回はそれについて。…まあ、例によって『日本人はカレーライスがなぜ好きなのか』(リンク先はAmazon)という本を見つけたからなんですけどね。
本来「カレー」とはインドで香辛料を調合した料理の総称であり、語源には諸説あります。ヒンドゥー語で「ターカリー」(香り高いもの、おいしいもの)というのが元という説だとか、タミル語で「カリ」(ソース、具)が起源というものなど。ともかく、インドには胡椒、生姜、カルダモン、ウコンなど多種類のスパイスが原産されていましたから、早い段階からスパイスを調和させた料理が発達したものと考えられています。これが早くからジャワやマレー半島に伝播し現地風のカレーができたようです。
イギリスがインドに勢力を伸ばした際、現地に居住したイギリス人がカレーに馴染んで本国へ持ち帰りました。そして初代インド総督ウォレン・ヘースティングズが持ち帰ったカレーを参考に、エドモンド・クロスとトーマス・ブラックウェルがイギリス人の口に合うように調整して「C & B」のカレー粉を開発。これを契機にイギリスにもカレーは普及し、後に「C & B」カレー粉はビクトリア女王にも献上されたそうです。
日本人が初めてカレーに接したのは、開国して西洋文明に触れるようになって間もなくの事でした。1863年、益田孝や三宅秀ら若者達が欧州へ留学した際、船中でインド人が「飯の上へトウガラシ細味に散し、芋のドロドロのようなものをかけ」た料理を食べているのを目撃。これが日本人による最初のカレーに関する記録のようです。この頃、築地の精養軒ホテル(1870)や横浜の開陽亭と神田の三河屋(共に1871)といった西洋料理店が日本にも姿を現すようになります。1872年に敬学堂主人が出した『西洋料理指南』には葱・韮・生姜に鶏肉・海老・牡蠣などを煮てカレー粉を一匙混ぜる料理が掲載され、仮名垣魯文『西洋料理通』にも「カリー・ド・ウィル・オル・ファウル」というカレー粉で様々な具を調理し飯の上に盛り上げる料理が紹介されました。1877年にはフランス料理店風月堂がライスカレーを出しています。カレーは、ハイカラな西洋料理として日本に導入されたのです。
明治十年代になると、洋食が広がり滋養亭や青陽亭のような庶民を対象とした店も見られるようになります。1886年『婦女雑誌』や1898年『日曜百科全書』でカレーの作り方が紹介されている事からわかるように、十九世紀末には家庭料理としても受け入れられ始めたのです。因みにこの頃に関して特筆すべき事は、玉葱の使用が広まりカレーの具としても用いられるようになった事でしょう。保存が利く玉葱は、軍用食として重宝されたのを契機に消費量が増加したのです。
こうして二十世紀初頭にはカレーの普及も進み、1903年『食道楽』には「ライスカレーはカレー粉を買つてさえおけば、誰の家でも軽便に出来る西洋料理」と記されるようになっていますし夏目漱石『三四郎』でも主人公達がライスカレーをご馳走になる描写があります。一般人にとっても珍しい料理ではなくなっている事が分かります。こうした中で、1906年一貫堂「ライスカレーのたね」や1914年岡本商店「ロンドン土産即席カレー」といった固形カレーが販売されています。この当時はナイフで削って用いたようです。
こうしたカレー人気に押され、うどん屋・蕎麦屋は危機感を募らせていました。その中で早稲田の「三朝庵」がカレーうどん、目黒の蕎麦屋「朝松庵」がカレー南蛮蕎麦を売り出して客の呼び戻しに成功しています。うどんや蕎麦に合うとろみを付けたカレーの開発に成功したのが秘訣だったとか。そして1918年には浅草「河金」がカツレツにカレーをかけたカツカレーを開発、1927年に深川のパン屋「名花堂」がカレーパンを売り出しました。パンを揚げるという画期的なアイデアや一個八銭という値段が人気を呼び、現在に至るまで定番の惣菜パンとなっています。またこの頃、海外航路では食欲増進のためカレーが好んで食されました。日本郵船もドライカレーを食堂メニューに入れていましたが、この時に初めて福神漬けが添えられるようになっています。インドの「チャツネ」というスパイス漬けに影響されたようです。カレーはこの頃には外来料理であるに留まらず、日本人による手が加えられた国民料理になりつつあったのです。
こうした中で1918年の米騒動を受けて、政府は人々の不満を鎮めるため公設食堂で安い食事を提供する方針を打ち出しますが、その際の人気メニューがライスカレーであったようです。関東大震災後に増加した大衆食堂でもやはりライスカレーが人気となり、この頃には手軽な国民食となっていたといえます。1929年には大阪に阪急百貨店が登場し一杯二十銭と安価なカレーを食堂の目玉として好評を呼びました。これは関西の家庭にもカレーを普及させる結果となります。
その中で、異色だったのが新宿中村屋の「カリー・ライス」。インドのカレー本来のスパイスを用いてピクルスを沿え、カレーは別容器に入れて出すというものでした。インド独立の志士であるラス・ビハリ・ボースは中村屋主人の相馬愛義の娘婿となりましたが、日本で流行するカレーが本来のものと異なっているのを見てインド風のカレーを広めるため創始したとか。
さて全国的なカレー人気の中で、カレー粉を海外製品に頼っているのを遺憾として国産カレー粉の開発に挑む人々が現れてきます。大阪の薬種商・今村弥兵衛が1905年に「蜂カレー」を開発したのが最初でしたが、当時は輸入カレー粉に独自の味付けを加えるのが精一杯でした。また山崎峯太郎は浅草に「日賀志屋」(現在のヱスビー食品)を創業して独自のカレー粉開発に取り組み、苦心の末に1923年に自作成功。「S & B」カレーです。大阪でも浦上靖介の浦上商店(現在のハウス食品)が「マドラス純カレー」を開発して実演販売して評判を呼び、1931年には今の即席カレーに近い「ハウス即席カレー」を販売。薮内光治の弘木屋(メタル食品)も1930年に「ヒドリ印カレー粉」を開発しています。1931年のカレー粉偽造事件で「C & B」カレー粉が流通しなくなったのを契機に国産カレー粉が普及していきます。
長い戦争に入ると、国民の生活レベルも下がり国家総動員体制の下でスパイスの入手も困難となります。一方で明治期以来陸海軍でカレーは軍用食として不可欠とされていましたから、軍の管理下でカレー粉製造が行われました。とはいえ、戦局悪化の中で材料確保が不可能に近くなっていったようです。終戦直後には闇市で「カレー」が売り出されていましたが、ありあわせのスパイスを混ぜただけで本来のそれには程遠いものでした。この物資不足の時期にもカレー粉製造の苦心は続けられており、ヱスビー食品の山崎峯太郎は沢庵をウコンの代わりに用いて色を出していたといわれています。それでも味噌・ソースが不足する関係でカレー粉は貴重な調味料として珍重されました。1946年に学校給食が始まると、カレーは人気メニューとなります。48年にはGHQからスパイスが供出され、カレー粉の供給も軌道に乗り始めました。50年にインドと国交成立すると、スパイス輸入が増加し更に流通がスムーズとなります。そんな中、50年代にはカレールウが登場しテレビCMを通じて消費を増やしていきます。高度経済成長の時代に入ると、インスタントカレーが登場し更に種類も多様化して現在に至るのです。
現在は、従来のカレーだけでなくインドカレーやタイカレーの店も少なからず見られ多様化が進んでいるといえるでしょう。
上記のように、日本においてカレーはインド料理というより寧ろ西洋料理として広まり日本風に変化を加えられ定着しました。考えてみれば、もう一つのインド由来文化であるはずの仏教も当時の先進地域である中国から朝鮮半島を通じて伝わり中国文化として広がりました。日本は先進地域の背中を追いかける歴史を歩んできましたから、対象が前近代には中国であり近代に欧米となった訳ですね。
それにしても、インドから間接的であれ大きな影響を受けているのに日本人がインドについて中国と比べて関心が薄いのは憂慮すべきですね。ましてや、インドは経済的・政治的に強い影響力を持つと予想されていますから尚更です。歴史を振り返ると、意外に重要なポイントでインドから伝来した人物が活躍していますしね。精神文化に強い影響を与えた仏教と食文化に強く根付いたカレーの国、インド。決して無視できない存在なのは間違いありません。
【参考文献】
日本人はカレーライスがなぜ好きなのか 井上宏生 平凡社新書
カレーライスと日本人 森枝卓士 講談社現代新書
日本大百科全書 小学館
大辞林第二版 三省堂
関連記事:
「外国から見た日本、日本から見た外国―娯楽文化の視点から―(後半)」
「大アジア友好の偉大な架け橋 ~前近代日本史に現れたインド人~」
「古代インドの同盟術 ~西洋古代の蛮勇との対比において~ この世の戦場では金は実弾」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「インド民衆文化史」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/020614a.html)
「日本民衆文化史」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/021206.html)
「インド史」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/060113.html)
「『神皇正統記』から見るインド」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/020705c.html)
関連サイト:
「インドカリーの店 新宿中村屋」(http://www.nakamuraya.co.jp/restaurant/store01.html)
「カレー巡り」(http://currymeguri.blog106.fc2.com/)
関連サイト:
「スーパー戦隊百科」(http://www.super-sentai.net/sentai/index.html)より
「スーパー戦隊百科:秘密戦隊ゴレンジャー」(http://www.super-sentai.net/sentai/goranger.html)
そしてカレーがインド由来である事は知らない人がいないと思います。というより『キン肉マン』でインド代表超人が頭にカレーライスを載せた「カレクック」だったりするようにインドのイメージがカレー、という方も少なくないのではないでしょうか。
そんなカレーがどのようにして日本に定着したのか。今回はそれについて。…まあ、例によって『日本人はカレーライスがなぜ好きなのか』(リンク先はAmazon)という本を見つけたからなんですけどね。
本来「カレー」とはインドで香辛料を調合した料理の総称であり、語源には諸説あります。ヒンドゥー語で「ターカリー」(香り高いもの、おいしいもの)というのが元という説だとか、タミル語で「カリ」(ソース、具)が起源というものなど。ともかく、インドには胡椒、生姜、カルダモン、ウコンなど多種類のスパイスが原産されていましたから、早い段階からスパイスを調和させた料理が発達したものと考えられています。これが早くからジャワやマレー半島に伝播し現地風のカレーができたようです。
イギリスがインドに勢力を伸ばした際、現地に居住したイギリス人がカレーに馴染んで本国へ持ち帰りました。そして初代インド総督ウォレン・ヘースティングズが持ち帰ったカレーを参考に、エドモンド・クロスとトーマス・ブラックウェルがイギリス人の口に合うように調整して「C & B」のカレー粉を開発。これを契機にイギリスにもカレーは普及し、後に「C & B」カレー粉はビクトリア女王にも献上されたそうです。
日本人が初めてカレーに接したのは、開国して西洋文明に触れるようになって間もなくの事でした。1863年、益田孝や三宅秀ら若者達が欧州へ留学した際、船中でインド人が「飯の上へトウガラシ細味に散し、芋のドロドロのようなものをかけ」た料理を食べているのを目撃。これが日本人による最初のカレーに関する記録のようです。この頃、築地の精養軒ホテル(1870)や横浜の開陽亭と神田の三河屋(共に1871)といった西洋料理店が日本にも姿を現すようになります。1872年に敬学堂主人が出した『西洋料理指南』には葱・韮・生姜に鶏肉・海老・牡蠣などを煮てカレー粉を一匙混ぜる料理が掲載され、仮名垣魯文『西洋料理通』にも「カリー・ド・ウィル・オル・ファウル」というカレー粉で様々な具を調理し飯の上に盛り上げる料理が紹介されました。1877年にはフランス料理店風月堂がライスカレーを出しています。カレーは、ハイカラな西洋料理として日本に導入されたのです。
明治十年代になると、洋食が広がり滋養亭や青陽亭のような庶民を対象とした店も見られるようになります。1886年『婦女雑誌』や1898年『日曜百科全書』でカレーの作り方が紹介されている事からわかるように、十九世紀末には家庭料理としても受け入れられ始めたのです。因みにこの頃に関して特筆すべき事は、玉葱の使用が広まりカレーの具としても用いられるようになった事でしょう。保存が利く玉葱は、軍用食として重宝されたのを契機に消費量が増加したのです。
こうして二十世紀初頭にはカレーの普及も進み、1903年『食道楽』には「ライスカレーはカレー粉を買つてさえおけば、誰の家でも軽便に出来る西洋料理」と記されるようになっていますし夏目漱石『三四郎』でも主人公達がライスカレーをご馳走になる描写があります。一般人にとっても珍しい料理ではなくなっている事が分かります。こうした中で、1906年一貫堂「ライスカレーのたね」や1914年岡本商店「ロンドン土産即席カレー」といった固形カレーが販売されています。この当時はナイフで削って用いたようです。
こうしたカレー人気に押され、うどん屋・蕎麦屋は危機感を募らせていました。その中で早稲田の「三朝庵」がカレーうどん、目黒の蕎麦屋「朝松庵」がカレー南蛮蕎麦を売り出して客の呼び戻しに成功しています。うどんや蕎麦に合うとろみを付けたカレーの開発に成功したのが秘訣だったとか。そして1918年には浅草「河金」がカツレツにカレーをかけたカツカレーを開発、1927年に深川のパン屋「名花堂」がカレーパンを売り出しました。パンを揚げるという画期的なアイデアや一個八銭という値段が人気を呼び、現在に至るまで定番の惣菜パンとなっています。またこの頃、海外航路では食欲増進のためカレーが好んで食されました。日本郵船もドライカレーを食堂メニューに入れていましたが、この時に初めて福神漬けが添えられるようになっています。インドの「チャツネ」というスパイス漬けに影響されたようです。カレーはこの頃には外来料理であるに留まらず、日本人による手が加えられた国民料理になりつつあったのです。
こうした中で1918年の米騒動を受けて、政府は人々の不満を鎮めるため公設食堂で安い食事を提供する方針を打ち出しますが、その際の人気メニューがライスカレーであったようです。関東大震災後に増加した大衆食堂でもやはりライスカレーが人気となり、この頃には手軽な国民食となっていたといえます。1929年には大阪に阪急百貨店が登場し一杯二十銭と安価なカレーを食堂の目玉として好評を呼びました。これは関西の家庭にもカレーを普及させる結果となります。
その中で、異色だったのが新宿中村屋の「カリー・ライス」。インドのカレー本来のスパイスを用いてピクルスを沿え、カレーは別容器に入れて出すというものでした。インド独立の志士であるラス・ビハリ・ボースは中村屋主人の相馬愛義の娘婿となりましたが、日本で流行するカレーが本来のものと異なっているのを見てインド風のカレーを広めるため創始したとか。
さて全国的なカレー人気の中で、カレー粉を海外製品に頼っているのを遺憾として国産カレー粉の開発に挑む人々が現れてきます。大阪の薬種商・今村弥兵衛が1905年に「蜂カレー」を開発したのが最初でしたが、当時は輸入カレー粉に独自の味付けを加えるのが精一杯でした。また山崎峯太郎は浅草に「日賀志屋」(現在のヱスビー食品)を創業して独自のカレー粉開発に取り組み、苦心の末に1923年に自作成功。「S & B」カレーです。大阪でも浦上靖介の浦上商店(現在のハウス食品)が「マドラス純カレー」を開発して実演販売して評判を呼び、1931年には今の即席カレーに近い「ハウス即席カレー」を販売。薮内光治の弘木屋(メタル食品)も1930年に「ヒドリ印カレー粉」を開発しています。1931年のカレー粉偽造事件で「C & B」カレー粉が流通しなくなったのを契機に国産カレー粉が普及していきます。
長い戦争に入ると、国民の生活レベルも下がり国家総動員体制の下でスパイスの入手も困難となります。一方で明治期以来陸海軍でカレーは軍用食として不可欠とされていましたから、軍の管理下でカレー粉製造が行われました。とはいえ、戦局悪化の中で材料確保が不可能に近くなっていったようです。終戦直後には闇市で「カレー」が売り出されていましたが、ありあわせのスパイスを混ぜただけで本来のそれには程遠いものでした。この物資不足の時期にもカレー粉製造の苦心は続けられており、ヱスビー食品の山崎峯太郎は沢庵をウコンの代わりに用いて色を出していたといわれています。それでも味噌・ソースが不足する関係でカレー粉は貴重な調味料として珍重されました。1946年に学校給食が始まると、カレーは人気メニューとなります。48年にはGHQからスパイスが供出され、カレー粉の供給も軌道に乗り始めました。50年にインドと国交成立すると、スパイス輸入が増加し更に流通がスムーズとなります。そんな中、50年代にはカレールウが登場しテレビCMを通じて消費を増やしていきます。高度経済成長の時代に入ると、インスタントカレーが登場し更に種類も多様化して現在に至るのです。
現在は、従来のカレーだけでなくインドカレーやタイカレーの店も少なからず見られ多様化が進んでいるといえるでしょう。
上記のように、日本においてカレーはインド料理というより寧ろ西洋料理として広まり日本風に変化を加えられ定着しました。考えてみれば、もう一つのインド由来文化であるはずの仏教も当時の先進地域である中国から朝鮮半島を通じて伝わり中国文化として広がりました。日本は先進地域の背中を追いかける歴史を歩んできましたから、対象が前近代には中国であり近代に欧米となった訳ですね。
それにしても、インドから間接的であれ大きな影響を受けているのに日本人がインドについて中国と比べて関心が薄いのは憂慮すべきですね。ましてや、インドは経済的・政治的に強い影響力を持つと予想されていますから尚更です。歴史を振り返ると、意外に重要なポイントでインドから伝来した人物が活躍していますしね。精神文化に強い影響を与えた仏教と食文化に強く根付いたカレーの国、インド。決して無視できない存在なのは間違いありません。
【参考文献】
日本人はカレーライスがなぜ好きなのか 井上宏生 平凡社新書
カレーライスと日本人 森枝卓士 講談社現代新書
日本大百科全書 小学館
大辞林第二版 三省堂
関連記事:
「外国から見た日本、日本から見た外国―娯楽文化の視点から―(後半)」
「大アジア友好の偉大な架け橋 ~前近代日本史に現れたインド人~」
「古代インドの同盟術 ~西洋古代の蛮勇との対比において~ この世の戦場では金は実弾」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「インド民衆文化史」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/020614a.html)
「日本民衆文化史」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/021206.html)
「インド史」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/060113.html)
「『神皇正統記』から見るインド」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/020705c.html)
関連サイト:
「インドカリーの店 新宿中村屋」(http://www.nakamuraya.co.jp/restaurant/store01.html)
「カレー巡り」(http://currymeguri.blog106.fc2.com/)
by trushbasket
| 2014-01-26 12:28
| NF








