「和魂洋才」について~国学・蘭学のハイブリッド~
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まずは宣長の師・賀茂真淵ですが、橘枝直という共通の知人の下で青木昆陽と面識があったようです。昆陽は甘藷(サツマイモ)普及で有名ですが、そのほかにもオランダ語の学習も行なっていました。その影響なのか、『国意考』で「オランダ文字」について言及し漢字より便利であると感想を述べています。
そして、宣長もまた「ヲランダ月名」「ヲランダノエト」に関する記述を遺していますし、発音に関してワ行が日本語と異なっていると記しています。どうやら、門人である小篠敏からオランダ語について聞き関心を寄せたもののようです。また、日本には中国のような詳細な暦が無かった事について述べた論敵に対し、正確さを問題にするならオランダ暦を見ると腰を抜かすぞと反論した事もあるようですから暦に関する知識もある程度仕入れていた可能性はありそうです。
真淵・宣長時代の蘭学への関心は、基本的に語学に関するものであったといえます。まあ、蘭学自体がまだ草創期ですから深い知識が日本に入っているとはいえませんでしたしね。
さて平田篤胤の時代になると、医学を中心として様々な蘭学の書物が翻訳され知識が導入されていました。それを反映してか、医師でもあった篤胤は賀川玄悦『産論』や宇田川玄真『医範提綱』、宇田川玄随『内科撰要』、更に『解体新書』を参考にして医療行為をするよう説いています。また篤胤はキリスト教教学や海外の神話といった知識も持ち合わせており自説を組み立てる上で参考にしたようです。
更に十九世紀前半には、より積極的な洋学受容の動きが見られるようになります。岡熊臣は『解体新書』の写本を作ったり鶴峯戊申『天柱考説』などの天文書や箕作省吾『坤輿図識』といった地理書を書写したほか、漂流記や伝聞を通じて海外情勢へ強い関心を示しました。蘭学の実学・合理主義的な性格を吸収すると共に、外国船がしばしば来航する中で国防への危機意識を高めつつあった事が読み取れるのです。同時代の人物で篤胤の門人であった大国隆正はより徹底しており長崎に遊学し吉尾権之助からオランダ語や天文学等の知識を身につけ、それを自らの国学説に積極的に取り入れようとしていました。弟子たちにも漢籍や仏典に加え蘭学の知識を積極的に身につけ、国学理論に活用するよう勧めていたそうで、「西に傾く」と非難される事もあったようです。
幕末期になると中島広足がクラオディウス『五月の歌』を『阿蘭陀国風詩』として五七調で和訳するなど相当なオランダ語学力を持つ国学者も存在したのです。また蘭学と国学を積極的に双方学ぶ人物も見られるようになっており、例えば大坂の中玉樹は藤井高尚から源氏物語・伊勢物語や神祇について教えを受けると同時に、『ハルマ和解』で知られる稲村三伯から蘭医学を学びその娘を娶って蘭方医として『パルベイン解体書』を翻訳したりもしています。彼は私塾に国学塾・小柴ノ舎を併設しており大坂における蘭学・国学双方を学べる稀有な場所だったようで、適塾で知られた緒方洪庵もここの出身です。また、緒方洪庵の甥に当たる大藤高雅は国学者が本職でしたが洋学知識にも関心を示し琵琶湖と鴨川を結ぶ疎水を構想したり紀伊と淡路島の間に暗礁を作るとなど海防政策を考えたりしたそうです。
また、蘭学者を本職とする人物にも和歌を中心に国学をも身につける例が少なからず見られるようになります。上述した緒方洪庵は中玉樹の他に萩原広道からも歌を学び和歌を好んだそうですし、上田仲敏は吉雄常三から銃砲・砲術について教えを受け『西洋砲術便覧』を著し、実際に大砲を鋳造した当代一流の蘭学者でしたが、更に本居大平から国学を学んだとも言われています。彼が設立した洋学堂には国学を学ぶ学生もいたらしく、彼らにも海防・攘夷を説いたようです。
この頃には、国防への危機意識からか従来の語学・医学に加えて砲術に代表される兵学への関心が強く見られるようになっていました。国学者も日本を守るという観点からこれに強い関心を示し、蘭学者の方でも国学により「日本」への関心を高める事で守る対象を認識したといえるでしょう。
個人レベルだけでなく、諸藩にも国学・蘭学双方に強い関心を抱き教育現場に取り入れた例は多く見られました。例えば浜田藩では宣長門下であった藩士・小篠敏を首班として藩校・長春館で国学を採用する一方で、江戸屋敷を中心に岡田甫説が大槻玄沢・桂川甫周らと交際し『ハルマ和解』翻訳に協力するなど蘭学への接近がなされました。津和野藩でも大国隆正を中心に国学教育をする一方で吉木蘭斎による種痘を含めた西洋医術の導入を行っているのです。
このように、国学と蘭学は必ずしも排斥しあう存在ではなく、特に幕末においては相互に補完しあうような関係として扱われていた感がありました。現代の視点からすれば、精神と技術だったり、文系と理系といった区分がなされているようにも見えます。蘭学から治療や国防に必要な先進技術と合理精神、国学からは伝統的情緒や自らのルーツへの愛情と誇りを彼らは学び取ったようです。こうした人々に志士的な熱情を持った人物が多いのは偶然ではないでしょう。仮想敵を含めた外国の優れた文物を率直に吸収できる柔軟性と、諸藩に分裂していたにもかかわらず「日本」全体を認識する愛国心。この二つが西洋の脅威に曝された危機の時代において日本の独立を守る上で大きな役割を果たしたのは間違いありません。まあ、漢学と違って、蘭学は精神・思想という形では取り入れられなかったので国学と衝突しなかったというのも大きいのでしょうね。良くも悪くも。
【参考文献】
国学と蘭学 佐野正巳著 雄山閣
本居宣長(上)(下) 小林秀雄 新潮文庫
人物叢書本居宣長 城福勇 吉川弘文館
人物叢書平田篤胤 田原嗣郎 吉川弘文館
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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「本居宣長」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2001/011214.html)
「日本前近代医学史」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2000/000602.html)
「『ダメ人間の世界史&日本史』ブログ版(試し読み用)(06) オタすぎてキモい大和魂の探究者 本居宣長」
「引きこもりニート列伝その32 平田篤胤」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet32.html)
関連サイト:
「大阪大学」(http://www.osaka-u.ac.jp/index.html)より
「適塾」(http://www.osaka-u.ac.jp/jp/annai/about/tekijuku/index.html)
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