2014年 03月 09日
徳川期の「武士道」と南北朝動乱~『葉隠』から見る南北朝~
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元佐賀藩士・山本常朝によって書かれた『葉隠』は「武士道は死ぬこととおぼえたり」という冒頭部分や、とにかく命を捨てても主君に忠義を尽くせ、殺す事や死ぬ事に躊躇するな、死ぬ方と生きる方なら死ぬ方を選ぶべきだとかいった過激な内容で知られています。余りにエキセントリックなので佐賀藩内部でも奇書扱いだったとか。とはいえそうした内容ばかりではなく、当代の武士たちが世間を生きるための知恵をしるした書物という側面もあった事は把握しておくべきでしょう。
さて、当時の武士達にとって過去の武人達の物語は武士としての行き方を知る上での指針となったり娯楽の種となった事でしょう。その中には、当然、十四世紀における南北朝動乱を扱った『太平記』も含まれています。そこで、今回は『葉隠』で南北朝動乱について言及した部分を幾つか見てみます。
これに関しては、特にコメントしようがありません。次に、
流石は名将、といいたい所ですが、実のところ正成が湊川の戦いで討死する前にそんなものを渡したという話なんて、『太平記』のどこを見ても書いていません。そもそも、正成が湊川の戦い直前に討死の覚悟を胸に正行に教訓を与えて別離したという逸話自体、『太平記』にしか書いてなくて現在の歴史家の間では疑問視する声があったりするわけで。話の出所はどこなのやら。
これまた、『太平記』のどこにも書いていません。『楠木正成兵庫記』というのは、名前からして後世の俗書でしょうね。「兵庫」の名が関されているところからして、湊川の戦い(現在の神戸市で行われた)での戦死に焦点を当てたものでしょう。徳川期には、『太平記』に端を発した南北朝ものの講談が盛んで、話に枝葉を付けた元ネタ本が色々あったようですからその中の一つだと思われます。おそらく、上の人相云々の話も講談の中で生まれたものでしょうね。因みに正成は、確かに『太平記』で正行に「足利軍相手に戦いぬけ」と遺言していますが、案外「謀」で降参するのは許してくれるかもしれませんよ。死んだふりを複数回した前歴がありますし、朝廷方の最終的勝利のためには手段を選ばない面がありますから。
…現代人としては、この部分に関しては「お前は何を言っているんだ」「いや、そのりくつはおかしい」という感想しか浮かびません。まあ、「そのくらいのつもりでやれ」という事なんでしょうし『葉隠』らしいといえばらしいですが、現代的な価値観からすれば根性論としても流石に無茶な気が致します。確かに、『太平記』本文にもそうした記述がありますけども、文飾された部分でしょうしね。
以上、『葉隠』が南北朝について語った部分を少し見てきました。どうやら、『太平記』本文だけでなく講談由来と思われる話が南北朝のイメージとして当時持たれていた事は読み取れそうです。それだけに山本常朝の南北朝談義は、近代歴史学の観点からすればかなりいい加減なのは否めません。とはいえ、この時期の人々の歴史認識を読み取るという意味において貴重な資料であるのは間違いありません。そして、我々もそれを笑う資格はないのかもしれません。例えば我々が中国三国時代に抱くイメージは、正史『三国志』だけでなく『三国演義』、更に吉川英治や横山光輝の『三国志』、漫画『蒼天航路』やコーエーのゲームなどで作られた虚像からも大きな影響を受けているのは否定できないところですからね。
そういうふうに考えると、『葉隠』から当時の社会において南北朝が人気コンテンツとして消費されていたという点も推測され、一人の南北朝ファンとしては現状と比べてその辺りは眩しく思えたりいたします。
【参考文献】
葉隠(上) 和辻哲郎・古川哲史校訂 岩波文庫
日本古典文学大系太平記 一~三 岩波書店
日本大百科全書 小学館
関連記事:
「主要戦国大名家の祖先たち in 南北朝(前半)」、「(後半)」
「南北朝研究史概論」
「<雑記>南北朝武将版「全選手入場!!!!」【ネタ記事】」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「南北朝関連発表まとめ」を参照。
関連サイト:
「芝蘭堂」(http://homepage1.nifty.com/sira/)
『梅松論』を始めとして南北朝関連文献の現代語訳などがあります。
さて、当時の武士達にとって過去の武人達の物語は武士としての行き方を知る上での指針となったり娯楽の種となった事でしょう。その中には、当然、十四世紀における南北朝動乱を扱った『太平記』も含まれています。そこで、今回は『葉隠』で南北朝動乱について言及した部分を幾つか見てみます。
後醍醐天皇隠岐国より還幸の時、赤松、楠木御迎へに参上、御感の勅諚あり。円心は唯平伏して退く。正成は御請け申し上げたり。よき御請なり。本書にて見るべきなり。(『葉隠(上)』 岩波文庫 54頁)
<訳>後醍醐天皇が(鎌倉幕府に敗れ流されていた)隠岐国から京へ御帰りになられたとき、倒幕戦で活躍した赤松円心と楠木正成が御迎えに参上したので、天皇から感謝の御言葉があった。円心はただそれに対し平伏しただけで引き下がったが、正成は御返事を申し上げた。良い御返事であった。『太平記』本文で見ておくべきである。
これに関しては、特にコメントしようがありません。次に、
人相を見るは、大将の専要なり。正成湊川にて正行らに相渡し候一巻の書には、眼ばかり書きたりと云ひ伝へたり。人相に大秘事これあるなり。口伝。(同 62頁)
<訳>人相を見るのは、大将にとって大切な事である。楠木正成が(圧倒的劣勢で敗北必至な)湊川の戦いの際に息子の正行と今生の別れをした際に渡したという一巻の書物には、人の眼の絵ばかり描かれていたと伝えられている。人相に関する大きな秘密が書かれていたのである。口伝えで聞いた話だ。
流石は名将、といいたい所ですが、実のところ正成が湊川の戦いで討死する前にそんなものを渡したという話なんて、『太平記』のどこを見ても書いていません。そもそも、正成が湊川の戦い直前に討死の覚悟を胸に正行に教訓を与えて別離したという逸話自体、『太平記』にしか書いてなくて現在の歴史家の間では疑問視する声があったりするわけで。話の出所はどこなのやら。
楠木正成兵庫記の中に、『降参と云ふことは、謀にても、君のためにても、武士のせざる事なり。』とあり。忠臣はかくの如くあるべき事なり。(同 76頁)
これまた、『太平記』のどこにも書いていません。『楠木正成兵庫記』というのは、名前からして後世の俗書でしょうね。「兵庫」の名が関されているところからして、湊川の戦い(現在の神戸市で行われた)での戦死に焦点を当てたものでしょう。徳川期には、『太平記』に端を発した南北朝ものの講談が盛んで、話に枝葉を付けた元ネタ本が色々あったようですからその中の一つだと思われます。おそらく、上の人相云々の話も講談の中で生まれたものでしょうね。因みに正成は、確かに『太平記』で正行に「足利軍相手に戦いぬけ」と遺言していますが、案外「謀」で降参するのは許してくれるかもしれませんよ。死んだふりを複数回した前歴がありますし、朝廷方の最終的勝利のためには手段を選ばない面がありますから。
出し抜きに首打ち落されても、一働きはしかと成る筈に候。義貞の最期証拠なり。心かひなく候て、その儘打ち倒ると相見え候。大野道賢が働きなどは近き事なり。これは何かする事と思ふぞ只一念なり。武勇の為、怨霊悪鬼とならんと大悪念を起したらば、首の落ちたるとて、死ぬ筈にてはなし。(同 109頁)
<訳>いきなり首を切り落とされたとしても、それから一つくらい働きは必ずできるはずである。(南朝の忠臣である)新田義貞の最期がその証拠だ(注:『太平記』によれば流れ矢に当って致命傷を負った義貞は、自ら首をはねて泥田に埋め覆いかぶさって首を隠したとある)。大半の人は根性が足りないので、首を切られたらそのまま倒れると思われる。大坂の陣で奮戦した大野道賢の働きぶりもこれに近いものが有る。これは、何かしでかしてやろうと思う一念だけである。武勇によって、怨霊悪鬼となってやろうと強く思ったならば、首が落ちたからといって、死ぬはずはない。
…現代人としては、この部分に関しては「お前は何を言っているんだ」「いや、そのりくつはおかしい」という感想しか浮かびません。まあ、「そのくらいのつもりでやれ」という事なんでしょうし『葉隠』らしいといえばらしいですが、現代的な価値観からすれば根性論としても流石に無茶な気が致します。確かに、『太平記』本文にもそうした記述がありますけども、文飾された部分でしょうしね。
以上、『葉隠』が南北朝について語った部分を少し見てきました。どうやら、『太平記』本文だけでなく講談由来と思われる話が南北朝のイメージとして当時持たれていた事は読み取れそうです。それだけに山本常朝の南北朝談義は、近代歴史学の観点からすればかなりいい加減なのは否めません。とはいえ、この時期の人々の歴史認識を読み取るという意味において貴重な資料であるのは間違いありません。そして、我々もそれを笑う資格はないのかもしれません。例えば我々が中国三国時代に抱くイメージは、正史『三国志』だけでなく『三国演義』、更に吉川英治や横山光輝の『三国志』、漫画『蒼天航路』やコーエーのゲームなどで作られた虚像からも大きな影響を受けているのは否定できないところですからね。
そういうふうに考えると、『葉隠』から当時の社会において南北朝が人気コンテンツとして消費されていたという点も推測され、一人の南北朝ファンとしては現状と比べてその辺りは眩しく思えたりいたします。
【参考文献】
葉隠(上) 和辻哲郎・古川哲史校訂 岩波文庫
日本古典文学大系太平記 一~三 岩波書店
日本大百科全書 小学館
関連記事:
「主要戦国大名家の祖先たち in 南北朝(前半)」、「(後半)」
「南北朝研究史概論」
「<雑記>南北朝武将版「全選手入場!!!!」【ネタ記事】」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「南北朝関連発表まとめ」を参照。
関連サイト:
「芝蘭堂」(http://homepage1.nifty.com/sira/)
『梅松論』を始めとして南北朝関連文献の現代語訳などがあります。
by trushbasket
| 2014-03-09 23:27
| NF








