<言葉>他人に意見する際の心得~「非難」「叩き」より「面白さ」「寛容さ」を~
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落語について、立川談志氏は「人間の業の肯定を前提とする一人芸」(パオロ・マッツァリーノ『つっこみ力』ちくま新書 74頁)と、柳家つばめ氏は「落語の精神は寛容にある」(同書 同頁)と述べているとか。要はどんな相手でも徹底的に追い詰めるのでなく程々で許してやる精神だそうで。パオロ氏も「つっこみは全面攻撃ではなく、笑いによって相手の逃げ道を確保」(同書 同頁)するものだと心得を述べています。曰く、相手をまともに論理で批判・論破してしまうと角が立つ。それより、第三者の目も意識して、面白さによって巻き込んで味方にしたほうが得策だという事だと。思えば以前に少し触れた『史記』「滑稽列伝」に登場する人々も、そのような存在でありました。
確かに、相手の否定をするだけでは、たとえ正しくとも建設的とはいえません。否定的な言葉を並べて非難するだけでは、見聞する第三者としても決して気分の良いものではありませんからね。それに相手の面子を潰してしまうと色々と問題があるのは以前に申し上げたとおり。ならば、上述の言葉にあるような寛容さと面白さを持ちながら、それによって周囲を魅了し味方にしてしまう方が良い。それはまったくその通りだと思います。同じ事を言うのでも、周囲にとって快く前向きに聞こえる方が良いじゃないですか。言われる方にしても、面子を潰されない方が意固地にならず軌道修正が聞きやすいでしょうし。ただダメ出しして皆の気分を悪くするより、何らかの光明を人々が見出せるような発言をしたいものです。僕もまだまだ力量・人格共に不足はあるでしょうが、心がけとしてはそのようでありたいと思っています。
【参考文献】
つっこみ力 パオロ・マッツァリーノ ちくま新書
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関連サイト:
「今日の言わせれ」(http://blog.zaq.ne.jp/iwasere/)より
「正論を「人を叩く道具」にしてるのを見ると……」(http://blog.zaq.ne.jp/iwasere/article/2367/)