2014年 05月 21日
【チラシの裏】この頃、記事を作る際に心がけていること
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個人的な話で申し訳ありませんが、記事を書く際に最近意識している事があります。すなわち、特定の誰か・何かに対し人格否定に繋がりかねない言葉を投げつけない、という事を心がけるようにしています。ある人物・団体が行う事に対し必要があれば賞賛・批判はすべきだと思いますが、人物・団体そのものに賢愚・善悪など価値判断を伴う言葉、殊にマイナス方向の言葉を投げつけることは避けたいと考えています。もっとも、どの程度徹底できているかは自信ありませんし、今後どれだけ続けていけるかは分かりませんが。
理由としては、いくつかあります。一つ目は利己的な理由ですが、特定の相手にそうした言葉をぶつけた場合、自分がそれによって対外的に「色がついて」しまう恐れがある、という事です。政治的・思想的な話題だと特に。そうなると、以後は自身も思想的・政治的に特定陣営に属しているとみなされ、最初からこちらの言葉は色眼鏡付でしか見てもらえなくなるかもしれない。レッテルを貼った相手やその支持者とは、対話が以降は期待できなくなりますしね。
次に、二つ目の理由として、他人の価値についてどうこう言う資格が自分にはあるのか疑問である、というのもあります。自分には理解できない事でも、自分には見えないやむを得ない事情があるかもしれない訳で。また、ある程度の年数を生きていると自分の至らなさを思い知らされる機会が増えてきます。なので、個々の事例の適否はともかく、人間性に関わる話になると「他人のことを批評できる程自分は偉くないな」と思う訳で。…といっても僕も凡俗ですから何かの拍子についやっていまう事は多々ありますけどね。それでも、最低限、口には出さないよう慎みたいとは思っています。
むろん、政策とか思想とかそのものを批判すべきでない、などと無茶を言っている訳ではありません。ただ、その際にそれを唱える人物や団体の人格そのものを貶める必要はないんじゃないかな、とは思います。例えばですが、「この点は問題ではないか」と具体的な点を挙げて批判・討議するのは必要があれば大いにやるべきですが、それを提唱する相手そのものを「頭が悪い」とか「視線が××の方を向いていない」とか「所属先(国とか団体とか)を売ろうとしている」とか決めつける事は慎もう、という事です。
あと、批判する際にもその内容はしっかりと裏をとって間違いがないのを確認した上で、という事も当然心がけたいとは思っています。
『新約聖書』によればキリストも
と述べているそうで、また『蓮如上人一語記』は蓮如の教えとして
という言葉を伝えています。
という訳で、僕個人としては、今後も基本方針として上記の事を頭の片隅に置きつつやっていきたいと思っています。
【参考文献】
新約聖書 フランシスコ会聖書研究所訳注 中央出版社
知っておきたい日本の名言格言事典 大隅和雄・神田千里・季武嘉也・山本博文・義江彰夫著 吉川弘文館
関連記事:
「<言葉>他人に意見する際の心得~「非難」「叩き」より「面白さ」「寛容さ」を~」
「中国古代史から学ぶ、異なる考えの人間(特に目上)に意見する際の心得~相手の面子を潰すのは論外~」
「にっくき相手にどのような言葉をかけるべきか~侮辱・罵声・恫喝は無益です~」
理由としては、いくつかあります。一つ目は利己的な理由ですが、特定の相手にそうした言葉をぶつけた場合、自分がそれによって対外的に「色がついて」しまう恐れがある、という事です。政治的・思想的な話題だと特に。そうなると、以後は自身も思想的・政治的に特定陣営に属しているとみなされ、最初からこちらの言葉は色眼鏡付でしか見てもらえなくなるかもしれない。レッテルを貼った相手やその支持者とは、対話が以降は期待できなくなりますしね。
次に、二つ目の理由として、他人の価値についてどうこう言う資格が自分にはあるのか疑問である、というのもあります。自分には理解できない事でも、自分には見えないやむを得ない事情があるかもしれない訳で。また、ある程度の年数を生きていると自分の至らなさを思い知らされる機会が増えてきます。なので、個々の事例の適否はともかく、人間性に関わる話になると「他人のことを批評できる程自分は偉くないな」と思う訳で。…といっても僕も凡俗ですから何かの拍子についやっていまう事は多々ありますけどね。それでも、最低限、口には出さないよう慎みたいとは思っています。
むろん、政策とか思想とかそのものを批判すべきでない、などと無茶を言っている訳ではありません。ただ、その際にそれを唱える人物や団体の人格そのものを貶める必要はないんじゃないかな、とは思います。例えばですが、「この点は問題ではないか」と具体的な点を挙げて批判・討議するのは必要があれば大いにやるべきですが、それを提唱する相手そのものを「頭が悪い」とか「視線が××の方を向いていない」とか「所属先(国とか団体とか)を売ろうとしている」とか決めつける事は慎もう、という事です。
あと、批判する際にもその内容はしっかりと裏をとって間違いがないのを確認した上で、という事も当然心がけたいとは思っています。
『新約聖書』によればキリストも
裁いてはならない。そうすれば、あなたがたも裁かれないであろう。
兄弟の目にあるおがくずは見えるのに、なぜ、自分の目にある丸太に気づかないのか。
(いずれもフランシスコ会聖書研究所訳注『新約聖書』中央出版社 26頁)
と述べているそうで、また『蓮如上人一語記』は蓮如の教えとして
人の悪ろき事はよく見ゆるなり。我が身の悪ろき事は覚えざるものなり。
(大隅和雄・神田千里・季武嘉也・山本博文・義江彰夫著『知っておきたい日本の名言格言事典』吉川弘文館 104頁)
という言葉を伝えています。
という訳で、僕個人としては、今後も基本方針として上記の事を頭の片隅に置きつつやっていきたいと思っています。
【参考文献】
新約聖書 フランシスコ会聖書研究所訳注 中央出版社
知っておきたい日本の名言格言事典 大隅和雄・神田千里・季武嘉也・山本博文・義江彰夫著 吉川弘文館
関連記事:
「<言葉>他人に意見する際の心得~「非難」「叩き」より「面白さ」「寛容さ」を~」
「中国古代史から学ぶ、異なる考えの人間(特に目上)に意見する際の心得~相手の面子を潰すのは論外~」
「にっくき相手にどのような言葉をかけるべきか~侮辱・罵声・恫喝は無益です~」
by trushbasket
| 2014-05-21 23:10
| NF








