2014年 05月 25日
老後の孤独にどう向き合うか~本人に関しては覚悟次第だけど…~
|
生涯未婚率が高くなると言われている昨今、晩年に孤独となることを選んだ人や選ばざるを得なくなった人が多くなる時代が来ると思われます。何でも厚生労働省が今年発表した推計では、2035年には高齢世帯が四割を超え全世帯の三分の一が独居となる見込だとか。
もはや、未婚率・独居率の上昇は時代の風潮として受け入れざるを得ない状況という事でしょうね。あと個人レベルの問題としては、晩年の孤独にどう対処するか迫られる人が続出しそうです。老後の孤独は若いときのそれとは違うとも言われたりしますし、どういった心構えを持つべきかを考えるのは無駄ではないと思われます。今回、それに関して参考になりそうな話をいくつか探してみようかと。
作家、永井荷風は最終的には市川の自宅で孤独死したことで知られています。その日の朝、近所に住んで身の回りの世話をしていた老女が通常通り彼家へ赴いた所、「古びた紺の背広に、よれよれのこげ茶のズボンをはいたまま、血を吐いて死んでゐた」(唐木順三『無用者の系譜』筑摩書房 80頁)のが発見されたとか。周囲には食べ残しのチーズクラッカーが散らばっていたそうで。死因は胃潰瘍から来る吐血。第三者からすれば「惨めな最期」というべきなんでしょうが、唐木順三が「心がけによつては、自分らしい最期をとげられるものだな」(同書 83頁)と感想を述べているのが印象的でした。こうした死に方であっても「自分らしい」と肯定的に捉える考え方もありうるのですね。
独居老人が迎える晩年の孤独に対する心がけを述べていた事例として、兼好法師が挙げられます。彼は以前の記事で指摘されているように「キング・オブ・非モテ」というべき人物で俗世間から距離を置いて生涯を終えた人物ですからその発言には説得力があるでしょう。『徒然草』の第75段では
と述べており、また第112段では
と言っています。随分と過激ですね。でもまあ、兼好法師の発現はいささか極端ではありますが、孤独に生きる事を余儀なくされる場合には、それくらいに世間と距離を置いたほうが精神的には楽かもしれません。
現代に孤独な人生を選び取った人々にも同様な考えを持っている人はいるようです。例えば作家・長山靖夫氏は、別に相手にされなくても構わない、という心構えを早い段階から持っておけば、晩年に世間から疎んじられる年頃にちょうど釣り合いが取れる、と一種の開き直りを説いています。その上で
と激励。自分で主体的に選び取った生き方だと心に刻み込んでおけば大丈夫だと言わんばかりです。
どうやら、孤独に対する本人の心構えについては、覚悟を決めてしまえば案外どうにでもなる、という事のようです。唐木順三ではないですが、誰一人看取る者がない中で苦しみ死んでいくのも本望と受け入れてしまえるだけの覚悟と主体性があれば、という中々高いハードルではありますが。
あとは、周辺の人々や地域の問題ですね。彼らが事後処理に関して対価を払わざるを得ないのですから。独居の人間が増える事がもはや避けられない社会的風潮である以上は、行政も含めそれを前提とした対策・制度を作るより選択肢はなさそうです。アメリカなど海外では、独居の人間も社会から孤立せず生きられるようなシステム作りの試みがあるようです。予算やマンパワーの確保といった問題から考えても、こちらは一朝一夕ではいかずなかなかに前途多難そうですね。とはいえ、後始末で困るのは社会そのものなのですから、できる範囲で手を付けていくしかなさそうではあります。なかなかに頭の痛い話ですな。
【参考文献】
無用者の系譜 唐木順三 筑摩書房
徒然草 西尾実・安良岡康作校注 岩波文庫
「人間嫌い」の言い分 長山靖夫 光文社新書
ひとりで死んでも孤独じゃない 矢部武 新潮選書
関連記事:
「古代後期民衆の「サイレントテロ」は現代より過激だった~「車離れ」どころか「戸籍離れ」~」
「歴史を手がかりに「非婚」化の原因を考えてみる~異性不信、経済的自立、不安感~」
「スイーツ(笑)断罪 1330 ~リアル女はノー・センキュー 僕はフィクションに恋をする~ 徒然草の恋愛論」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「ベリサリウス」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/1999/990430.html)
孤独な最晩年を迎えたとする伝承があるようです。
関連サイト:
「日本経済新聞」(http://www.nikkei.com/)より
「高齢世帯、35年に4割超 3分の1以上が一人暮らし」
(http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1103B_R10C14A4MM8000/)
もはや、未婚率・独居率の上昇は時代の風潮として受け入れざるを得ない状況という事でしょうね。あと個人レベルの問題としては、晩年の孤独にどう対処するか迫られる人が続出しそうです。老後の孤独は若いときのそれとは違うとも言われたりしますし、どういった心構えを持つべきかを考えるのは無駄ではないと思われます。今回、それに関して参考になりそうな話をいくつか探してみようかと。
作家、永井荷風は最終的には市川の自宅で孤独死したことで知られています。その日の朝、近所に住んで身の回りの世話をしていた老女が通常通り彼家へ赴いた所、「古びた紺の背広に、よれよれのこげ茶のズボンをはいたまま、血を吐いて死んでゐた」(唐木順三『無用者の系譜』筑摩書房 80頁)のが発見されたとか。周囲には食べ残しのチーズクラッカーが散らばっていたそうで。死因は胃潰瘍から来る吐血。第三者からすれば「惨めな最期」というべきなんでしょうが、唐木順三が「心がけによつては、自分らしい最期をとげられるものだな」(同書 83頁)と感想を述べているのが印象的でした。こうした死に方であっても「自分らしい」と肯定的に捉える考え方もありうるのですね。
独居老人が迎える晩年の孤独に対する心がけを述べていた事例として、兼好法師が挙げられます。彼は以前の記事で指摘されているように「キング・オブ・非モテ」というべき人物で俗世間から距離を置いて生涯を終えた人物ですからその発言には説得力があるでしょう。『徒然草』の第75段では
つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよけれ。
世に従へば、心、外の塵に奪われて惑ひ易く、人に交れば、言葉、よその聞きに随ひて、さながら、心にあらず。人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。その事、定まれる事なし。分別みだりに起りて、得失止む時なし。惑ひの上に酔へり。酔の中に夢をなす。走りて急がはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくの如し。
未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。「生活・人事・伎能・学問等の諸縁を止めよ」とこそ、摩訶止観にも侍れ。(『徒然草』岩波文庫 135頁)
<現代語訳>
することがない生活を辛いものだと思う人は、どのような心がけなのやら。何者にも心奪われず、ただ一人でいる状態が何よりも好ましいものではないか。
俗世間に順応すれば、心が外界の雑事に奪われて惑わされやすくなるし、他人とむやみに交われば、他人の言葉や噂に動かされてありのままの心情ではなくなってしまう。人や物事にかかずらわって、一喜一憂する。そうしたやり方では、心が迷妄に陥る。あれこれと思い煩いがおこり、損得勘定が止む事がない。迷いの中に我を忘れ、忘れた中で時間が過ぎていく。あれこれと忙しく走り回り、本来の心の有り様を忘れてしまうのは、誰でもそうなってしまうものだ。
まだ、仏道に目覚めていなくとも、俗世間の縁を離れて静かな環境に身を置き、面倒に関わらずに心を安らげる事で、かりそめにも安楽を得る事が出来るのである。「生計、交際、技能、学問などの周囲との係わり合いをやめよ」とは経典『摩訶止観』にも書かれていることだ。
と述べており、また第112段では
日暮れ、道遠し。吾が生既に蹉蛇たり。諸縁を放下すべき時なり。信をも守らじ。礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。毀るとも苦しまじ。誉むとも聞き入れじ。(同書 191頁)
<現代語訳>
人生は、思うようにいかない。私の一生も既に躓いたようなものだ。世間とのしがらみを捨て去るべきときである。世間的な信義も、礼儀もかまいはしない。この心中がわからないものから、正気でないといおうが思いやりがないと言われようが構わない。悪口を言われても構わないし、逆に褒められたとしてもそれで心動かされたりはしない。
と言っています。随分と過激ですね。でもまあ、兼好法師の発現はいささか極端ではありますが、孤独に生きる事を余儀なくされる場合には、それくらいに世間と距離を置いたほうが精神的には楽かもしれません。
現代に孤独な人生を選び取った人々にも同様な考えを持っている人はいるようです。例えば作家・長山靖夫氏は、別に相手にされなくても構わない、という心構えを早い段階から持っておけば、晩年に世間から疎んじられる年頃にちょうど釣り合いが取れる、と一種の開き直りを説いています。その上で
元々の人間嫌いは、端から厄介者扱いされて世を渡ってきたので、「晩年」には強い。若い頃から老人のような顔をしてきたので、訓練ができている。(長山靖夫『「人間嫌い」の言い分』光文社新書 208頁)
と激励。自分で主体的に選び取った生き方だと心に刻み込んでおけば大丈夫だと言わんばかりです。
どうやら、孤独に対する本人の心構えについては、覚悟を決めてしまえば案外どうにでもなる、という事のようです。唐木順三ではないですが、誰一人看取る者がない中で苦しみ死んでいくのも本望と受け入れてしまえるだけの覚悟と主体性があれば、という中々高いハードルではありますが。
あとは、周辺の人々や地域の問題ですね。彼らが事後処理に関して対価を払わざるを得ないのですから。独居の人間が増える事がもはや避けられない社会的風潮である以上は、行政も含めそれを前提とした対策・制度を作るより選択肢はなさそうです。アメリカなど海外では、独居の人間も社会から孤立せず生きられるようなシステム作りの試みがあるようです。予算やマンパワーの確保といった問題から考えても、こちらは一朝一夕ではいかずなかなかに前途多難そうですね。とはいえ、後始末で困るのは社会そのものなのですから、できる範囲で手を付けていくしかなさそうではあります。なかなかに頭の痛い話ですな。
【参考文献】
無用者の系譜 唐木順三 筑摩書房
徒然草 西尾実・安良岡康作校注 岩波文庫
「人間嫌い」の言い分 長山靖夫 光文社新書
ひとりで死んでも孤独じゃない 矢部武 新潮選書
関連記事:
「古代後期民衆の「サイレントテロ」は現代より過激だった~「車離れ」どころか「戸籍離れ」~」
「歴史を手がかりに「非婚」化の原因を考えてみる~異性不信、経済的自立、不安感~」
「スイーツ(笑)断罪 1330 ~リアル女はノー・センキュー 僕はフィクションに恋をする~ 徒然草の恋愛論」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「ベリサリウス」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/1999/990430.html)
孤独な最晩年を迎えたとする伝承があるようです。
by trushbasket
| 2014-05-25 19:41
| NF








