2014年 06月 15日
「道徳」の必要最低限ラインについて考えてみる~人に悪意を向けて動くな、という事に尽きそう~
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「道徳」とはどの程度求められるべきか、それについては人によって意見が分かれるところかと思います。もし道徳がなければ、漫画『北斗の拳』のような無政府状態にもなりかねませんから必要なのは理解できるにしても、あまり道徳の力が強すぎても色々と窮屈。仏教学者ひろさちや氏は、道徳を「強者が、弱者を支配するための武器」(ひろさちや『世間も他人も気にしない』文春新書 177頁)とまで述べています。人間は弱く愚かで不完全な存在であるから、道徳にこだわる事は人を苦しめる事にしかならない、とのこと。確かに、時の権力が人々を従わせるために道徳が利用されてきた歴史があるのは否定できないところ。それに、道徳の力が強すぎると、他人を陥れ自分が優位に立とうとする人々に利用されかねません。ひろ氏は「他人の過ちを赦せる度量がなくなった」(同書 149頁)正義は弱者を踏みにじる魔類の正義に堕するとも言っています。
そのあたりを考えると、道徳は不可欠であるにしてもあまり煩く振りかざすべきものではないのでしょうね。という訳で、どのあたりが必要最小限ラインなのかを考えてみたいと思います。
まず最低ラインとして考え付くのが、漢王朝の始祖・劉邦が秦王朝を滅亡させた際に提唱した「法三章」。厳しかった秦の法律に代わり、簡潔にして寛容な法で人々の心をつかんだとされる逸話です。すなわち、「人を殺した者は死、人を傷つけたると、盗みたるは罪にあたる」というもの。これは劉邦の独創ではなく、朝鮮半島にも同様な復讐法があったことからも氏族社会内での慣習法だったのではないかと言われています。
もっとも、場合によっては「盗み」を罪に含めないケースもあったようです。前漢滅亡後、後漢成立前に勃発した赤眉の乱では反乱軍に「人を殺した者は死、人を傷つけた者は償う」という規律があったとか。また、『呂氏春秋』は戦国時代における墨家教団の指導者が「人を殺した者は死、人を傷つけた者は刑」なのが国法をも上回る「天下の大義」として我が子を処刑したという話を伝えています。「盗み」に関してはある程度私有財産を持っている富裕層が氏族社会の指導に当たるようになって生まれてきたものではないか、という説もあるようで。
ここで思い出すのが『論語』のこの一説。
これまで挙げてきた法三章、あるいは二章、あと『論語』の言葉を参考にして複雑な現代社会にそぐう形で簡潔化できるだけ簡潔化すると、
という事になるんでしょうか。もっとも、人間生きている限り何らかの形で他人に迷惑をかけざるをえないでしょうし、それを矯正しようとすると(自分自身も含め)別の誰かに迷惑がかかることもあるでしょうからそのあたりの兼ね合いは難しいところ。
・(自身を含め)人間に悪意を向けず、人格を否定しない。
・実害を与えていることが明らかになれば、修正するよう(無理のない範囲で)努める。
というあたりが落としどころなんでしょうかねえ。どうなんでしょうか。
【参考文献】
週刊朝日百科 世界の歴史17 法と裁判 朝日新聞社
世間も他人も気にしない ひろさちや 文春文庫
「Web漢文大系」(http://kanbun.info/index.html)より
「論語」(http://kanbun.info/keibu/rongo00.html)
関連記事:
「<言葉> 自由な社会の基本ルール」
「江戸の碩学達が語る、「悪徳」にどう対処するべきか~直接の実害がなければ大目に見なさい~」
「悪事・不徳を開き直らないように~仏教説話から~」
人間の不完全さ、多少の「悪徳」をも大目に見る寛容さを学ぶ上では、社会評論社『ダメ人間の世界史』『ダメ人間の日本史』も参考になるかもしれません。偉人でさえ、様々な不完全さや「悪徳」を有していたのですから、いわんや我々凡俗をや、という事。
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そのあたりを考えると、道徳は不可欠であるにしてもあまり煩く振りかざすべきものではないのでしょうね。という訳で、どのあたりが必要最小限ラインなのかを考えてみたいと思います。
まず最低ラインとして考え付くのが、漢王朝の始祖・劉邦が秦王朝を滅亡させた際に提唱した「法三章」。厳しかった秦の法律に代わり、簡潔にして寛容な法で人々の心をつかんだとされる逸話です。すなわち、「人を殺した者は死、人を傷つけたると、盗みたるは罪にあたる」というもの。これは劉邦の独創ではなく、朝鮮半島にも同様な復讐法があったことからも氏族社会内での慣習法だったのではないかと言われています。
もっとも、場合によっては「盗み」を罪に含めないケースもあったようです。前漢滅亡後、後漢成立前に勃発した赤眉の乱では反乱軍に「人を殺した者は死、人を傷つけた者は償う」という規律があったとか。また、『呂氏春秋』は戦国時代における墨家教団の指導者が「人を殺した者は死、人を傷つけた者は刑」なのが国法をも上回る「天下の大義」として我が子を処刑したという話を伝えています。「盗み」に関してはある程度私有財産を持っている富裕層が氏族社会の指導に当たるようになって生まれてきたものではないか、という説もあるようで。
ここで思い出すのが『論語』のこの一説。
己所不欲。勿施於人。(衛霊公篇)
己の欲せざる所は人に施すこと勿れ
【現代語訳】自分がしてほしくない事は、他人にもしてはいけない。
これまで挙げてきた法三章、あるいは二章、あと『論語』の言葉を参考にして複雑な現代社会にそぐう形で簡潔化できるだけ簡潔化すると、
「人間に悪意をもって害を与えないよう努める」
という事になるんでしょうか。もっとも、人間生きている限り何らかの形で他人に迷惑をかけざるをえないでしょうし、それを矯正しようとすると(自分自身も含め)別の誰かに迷惑がかかることもあるでしょうからそのあたりの兼ね合いは難しいところ。
・(自身を含め)人間に悪意を向けず、人格を否定しない。
・実害を与えていることが明らかになれば、修正するよう(無理のない範囲で)努める。
というあたりが落としどころなんでしょうかねえ。どうなんでしょうか。
【参考文献】
週刊朝日百科 世界の歴史17 法と裁判 朝日新聞社
世間も他人も気にしない ひろさちや 文春文庫
「Web漢文大系」(http://kanbun.info/index.html)より
「論語」(http://kanbun.info/keibu/rongo00.html)
関連記事:
「<言葉> 自由な社会の基本ルール」
「江戸の碩学達が語る、「悪徳」にどう対処するべきか~直接の実害がなければ大目に見なさい~」
「悪事・不徳を開き直らないように~仏教説話から~」
人間の不完全さ、多少の「悪徳」をも大目に見る寛容さを学ぶ上では、社会評論社『ダメ人間の世界史』『ダメ人間の日本史』も参考になるかもしれません。偉人でさえ、様々な不完全さや「悪徳」を有していたのですから、いわんや我々凡俗をや、という事。
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by trushbasket
| 2014-06-15 09:48
| NF








