2014年 06月 18日
氏、姓、苗字の大まかな区分~大体こんなもんだと思います~
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最近、流石にネタが切れてきました。ところで、「姓名」「氏名」というように、「氏」「姓」が「苗字」ともども英語で言うところのfamily nameとして現在では用いられていますが、嘗てはそれぞれ別のものでした。それぞれの違いについて、辞書的な説明を簡単にしようかと思います。
・「氏(うぢ)」:
古代社会における血縁関係による同族集団。(生物学的に事実かはともかく)共通の祖先を持つと認識する集団です。集団の長が内部の調停権を持っていました。それぞれの「氏」が地位により「姓(かばね)」を与えられました。九世紀以降になると、「氏」間での淘汰が進み源・平・藤(藤原)・橘といった少数に絞られるようになりました。後の時代は新興豪族もこれら四氏の末裔と称するようになり、一族区分としての実用性は中世初期においてなくなったといえます。院政期・鎌倉期以降は後述する「苗字」の台頭により嘗ての「姓」と同様に社会的地位・身分を誇示する意味合いの称号といった性格が強くなります。
・「姓(かばね)」:
古代の同族集団「氏」に中央政府が与えた称号。臣(おみ)、連(むらじ)、造(みやつこ)などが知られており社会的地位・身分の上下や職能を現しています。七世紀後半の天武朝に「八色の姓」が制定され真人(まひと)・朝臣(あそん)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなき)の八種に整理されました。中央政府の集権化が進められる中で、新たに貴族たちの階層整理が行われたといえます。九世紀以降になると、「朝臣」「宿禰」を称する者が多数を占める(有力者は大半が「朝臣」)ようになり意味合いが薄くなりました。平安中期以降は中央の有力者は「朝臣」で統一されます。やがて嘗ての「氏」が「姓」の役割に近くなり、「源平藤橘」も本来は「氏」ですが「四姓」と称されています。
・「苗字(みゃうじ)」:同じ「氏」から分かれた分家を区別するための名称。「氏」が少数に絞られ同族集団区分としての役割を果たさなくなったため、支流を中心に在所・官職に由来する名称を用いるようになりました。鎌倉期以降は嘗ての「氏」に近い役割を果たすようになります。
南北朝時代の主要人物を例にとれば、「氏」は足利尊氏・新田義貞・佐々木導誉・北畠親房・赤松円心・名和長年が「源」で北条高時が「平」、四条隆俊・西園寺公重・花山院師賢・吉田定房や武家の宇都宮・小山が「藤原」、楠木正成が「橘」となります。実際に末裔かどうかはともかく、少なくとも彼らはそう称しています。その他については尊氏を例にとると「氏」が源、「姓」は朝臣、「苗字」が足利になります。もっとも、この時期にはこれらの称号の混同が始まっているようで、「苗字」も武家は「氏」(足利氏、楠木氏など)で伝統貴族は「家」(九条家、吉田家など)と呼ばれる傾向があるように思います。近世後期になると明らかに「氏」「姓」「苗字」は混同されており、現在のfamily nameと同一の意味合いで用いられているといって大きな間違いはなさそうです。
【参考文献】
日本史小辞典 坂本太郎監修 山川出版社
全訳読解古語辞典 三省堂
大辞林第二版 三省堂
関連記事:
「主要戦国大名家の祖先たち in 南北朝(前半)」、「(後半)」
「古代日本の商業概観」
「「法と詩歌が同じ揺籃から」in 日本~徳政令と万葉の恋歌~」
関連サイト:
「姓氏と家紋」(http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/s_index.html)より
「姓氏の雑学」(http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/sei_uda.html)
こっちのサイトが詳しいかと。
・「氏(うぢ)」:
古代社会における血縁関係による同族集団。(生物学的に事実かはともかく)共通の祖先を持つと認識する集団です。集団の長が内部の調停権を持っていました。それぞれの「氏」が地位により「姓(かばね)」を与えられました。九世紀以降になると、「氏」間での淘汰が進み源・平・藤(藤原)・橘といった少数に絞られるようになりました。後の時代は新興豪族もこれら四氏の末裔と称するようになり、一族区分としての実用性は中世初期においてなくなったといえます。院政期・鎌倉期以降は後述する「苗字」の台頭により嘗ての「姓」と同様に社会的地位・身分を誇示する意味合いの称号といった性格が強くなります。
・「姓(かばね)」:
古代の同族集団「氏」に中央政府が与えた称号。臣(おみ)、連(むらじ)、造(みやつこ)などが知られており社会的地位・身分の上下や職能を現しています。七世紀後半の天武朝に「八色の姓」が制定され真人(まひと)・朝臣(あそん)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなき)の八種に整理されました。中央政府の集権化が進められる中で、新たに貴族たちの階層整理が行われたといえます。九世紀以降になると、「朝臣」「宿禰」を称する者が多数を占める(有力者は大半が「朝臣」)ようになり意味合いが薄くなりました。平安中期以降は中央の有力者は「朝臣」で統一されます。やがて嘗ての「氏」が「姓」の役割に近くなり、「源平藤橘」も本来は「氏」ですが「四姓」と称されています。
・「苗字(みゃうじ)」:同じ「氏」から分かれた分家を区別するための名称。「氏」が少数に絞られ同族集団区分としての役割を果たさなくなったため、支流を中心に在所・官職に由来する名称を用いるようになりました。鎌倉期以降は嘗ての「氏」に近い役割を果たすようになります。
南北朝時代の主要人物を例にとれば、「氏」は足利尊氏・新田義貞・佐々木導誉・北畠親房・赤松円心・名和長年が「源」で北条高時が「平」、四条隆俊・西園寺公重・花山院師賢・吉田定房や武家の宇都宮・小山が「藤原」、楠木正成が「橘」となります。実際に末裔かどうかはともかく、少なくとも彼らはそう称しています。その他については尊氏を例にとると「氏」が源、「姓」は朝臣、「苗字」が足利になります。もっとも、この時期にはこれらの称号の混同が始まっているようで、「苗字」も武家は「氏」(足利氏、楠木氏など)で伝統貴族は「家」(九条家、吉田家など)と呼ばれる傾向があるように思います。近世後期になると明らかに「氏」「姓」「苗字」は混同されており、現在のfamily nameと同一の意味合いで用いられているといって大きな間違いはなさそうです。
【参考文献】
日本史小辞典 坂本太郎監修 山川出版社
全訳読解古語辞典 三省堂
大辞林第二版 三省堂
関連記事:
「主要戦国大名家の祖先たち in 南北朝(前半)」、「(後半)」
「古代日本の商業概観」
「「法と詩歌が同じ揺籃から」in 日本~徳政令と万葉の恋歌~」
関連サイト:
「姓氏と家紋」(http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/s_index.html)より
「姓氏の雑学」(http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/sei_uda.html)
こっちのサイトが詳しいかと。
by trushbasket
| 2014-06-18 19:16
| NF








