<読書案内>『忠誠名和一族』
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本に挟まれている紙片によれば、著者は『白樺』に寄稿し有島武郎・長興善郎らに文才を期待されたものの、思うところあって故郷鳥取で郷土史家の道を選んだ人物のようです。
時代が時代だけに、イデオロギー色が強く現代からすれば読み飛ばすしかない箇所も少なからずありますが、それでも様々な史料を用いて名和長年やその一族について詳細に追ってくれているのはありがたいとしか言いようがありません。一族と寺社勢力との繋がりについて推測していたり、長年死後の名和一族が九州で活動していた事についても詳しめに述べられています。
『北畠顕家卿』の記事でも述べましたが、南北朝人物の事績については戦前の書物に頼らねばならないケースは結構あります。吉川弘文館の人物叢書あたりで扱われでもしない限りは。今回もそうした例の一つといえそうです。
面白い点として、戦時中の本としては結構歯に衣着せぬ一面があります。例えば長年の性格について
長年はどう見ても正成ほど智慧者ではない。また義貞ほど器量人でもない。
尊皇へひたふる心こそ彼の真骨頂である。愚直なと思はれるほど単純である。(いずれも同書 161頁)
と見ようによっては微妙にも思われる評価を下していたりします。時に、護良親王捕縛や西園寺公宗の逮捕・殺害など汚れ仕事をこなさねばならなかった彼を庇おうとした言説になっているのも、そうした評価の一因となっているものでしょうか。また、後醍醐の建武政権についても、「中央の失政」(同書 135頁)というタイトルで
混乱に油をそそいだのが論功行賞の不当不正であった(同書 136頁)
と述べ、更に尊氏反逆のくだりでは
大義はあくまで大義であり、大逆はあくまで憎むべきであるが、事ここに至る政治経済的な欠陥、或ひは時局便乗的な行過ぎについては後世以つて誡しめとなすべき観察が多々あるのである。(同書 138頁)
とかなり思い切った批判をしています。
こうした情勢の許す範囲で公正な評価をしようという姿勢も、個人的には好印象でした。
閑話休題。名和長年についての伝記レジュメは以下に。
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