2014年 09月 13日
ヤマイモと「とろろ」について概観する~かつて、日本で「芋」といえばこちらだった~
|
大昔、ジャガイモとサツマイモの歴史について概観した記事がありました。それと比べるとマイナーですが、日本で古くから食されていたイモと言えばヤマイモでした。今回は、それについて概観したいと思います。
野生のヤマノイモは日本原産ですが、中国原産のナガイモもありこちらは徳川期に定着したそうです。
いつから食用にされたのかは不明ですが、『出雲国風土記』には現地の草木として記載があり、『延喜式』で草餅・生薬として言及されている事から平安中期には遅くとも食べられていたようです。901年ごろの『新撰字鏡』には「山伊毛」とあり、十世紀初頭の『倭名類聚抄』では「夜萬都以毛」「山乃以毛」と記載されています。平安期には芋粥として珍重されました。なお、意外なものに変化するたとえとして、
という諺もあるようです。姿が何となく似ているからでしょうかね。
中国では滋養強壮に効果があるとして薬に使用されたそうで、すりおろして腫物・火傷・霜焼けなどにも効果があるとされています。アミラーゼやカタラーゼなど消化酵素が豊富で胃を助けること、ぬめりの主成分であるムチンが消化器の粘膜を保護することからそうした効果が得られるのではないかと言われているそうで。すりおろした「とろろ」を消化しにくい麦飯にかけて食べる事が多いのもそのためでしょう。
ヤマイモはすりおろして生で食べられる芋で、酢の物や煮物にも使用されます。また上述のように「とろろ」にして食べる事が多く、徳川期には東海道丸子宿の名物料理として知られ、『東海道中膝栗毛』でも取り上げられていますし松尾芭蕉も
と詠んだとか。
近代でも名物という認識はされていたようで、岡本かの子『東海道五十三次』でも
と肯定的に取り上げられています。
とろろ汁が名物だったのは、丸子だけではありません。中山道の須原宿(長野県木曽郡大桑村須原)もまたとろろ汁で有名だったようで、幸田露伴『風流仏』には
とあります。桜の花漬けも並んで名物だとか。
日本で一番付き合いの古いイモとして、親しまれてきたヤマイモ。現在では食べる頻度が少なくなったとはいえ、かつては「芋粥」が御馳走だったり、後世には「とろろ汁」が複数の宿場で名物になるなど、日本の食文化を見る上では外せない存在だったようです。
【参考文献】
『日本大百科全書』 小学館
『食の医学館』 小学館
『日本国語大辞書』 小学館
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「岡本かの子 東海道五十三次」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000076/files/448_19598.html)
「幸田露伴 風流仏」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/files/2710_14020.html)
「eヘルシーレシピ」(http://www.ehealthyrecipe.com/recipe-webapp/syokuzai/)より
「ヤマノイモ、ナガイモ/長芋、山の芋」(http://www.ehealthyrecipe.com/recipe-webapp/syokuzai/SyokuzaiDetailServ.php?szid=2023)
関連記事:
「サツマイモ・ジャガイモ伝来記 および イモを広めた英雄たち」
「日本の南北朝と、三国志の間の意外な共通点~饅頭の起源?~」
「覇者の胃袋 ~粗食、偏食、暴飲暴食の帝王たち~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「食卓越しの政治史」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/eating.html)
野生のヤマノイモは日本原産ですが、中国原産のナガイモもありこちらは徳川期に定着したそうです。
いつから食用にされたのかは不明ですが、『出雲国風土記』には現地の草木として記載があり、『延喜式』で草餅・生薬として言及されている事から平安中期には遅くとも食べられていたようです。901年ごろの『新撰字鏡』には「山伊毛」とあり、十世紀初頭の『倭名類聚抄』では「夜萬都以毛」「山乃以毛」と記載されています。平安期には芋粥として珍重されました。なお、意外なものに変化するたとえとして、
やまのいも鰻になる
という諺もあるようです。姿が何となく似ているからでしょうかね。
中国では滋養強壮に効果があるとして薬に使用されたそうで、すりおろして腫物・火傷・霜焼けなどにも効果があるとされています。アミラーゼやカタラーゼなど消化酵素が豊富で胃を助けること、ぬめりの主成分であるムチンが消化器の粘膜を保護することからそうした効果が得られるのではないかと言われているそうで。すりおろした「とろろ」を消化しにくい麦飯にかけて食べる事が多いのもそのためでしょう。
ヤマイモはすりおろして生で食べられる芋で、酢の物や煮物にも使用されます。また上述のように「とろろ」にして食べる事が多く、徳川期には東海道丸子宿の名物料理として知られ、『東海道中膝栗毛』でも取り上げられていますし松尾芭蕉も
梅わかな丸子の宿のとろろ汁
と詠んだとか。
関連サイト:
「とろろ汁の『元祖 丁子屋』」(http://www.chojiya.info/jp/#)より
「丁子屋の歴史」(http://www.chojiya.info/jp/#/history)
近代でも名物という認識はされていたようで、岡本かの子『東海道五十三次』でも
別に変った作り方でもなかったが、炊き立ての麦飯の香ばしい湯気に神仙の土のような匂いのする自然薯は落ち付いたおいしさがあった。私は香りを消さぬように薬味の青海苔を撤らずに椀を重ねた。
(「青空文庫」より「岡本かの子 東海道五十三次」)
と肯定的に取り上げられています。
とろろ汁が名物だったのは、丸子だけではありません。中山道の須原宿(長野県木曽郡大桑村須原)もまたとろろ汁で有名だったようで、幸田露伴『風流仏』には
名物に甘き物ありて、空腹に須原のとろろ汁殊の外妙なるに飯幾杯か滑り込ませたる
(「青空文庫」より「幸田露伴 風流仏」)
とあります。桜の花漬けも並んで名物だとか。
日本で一番付き合いの古いイモとして、親しまれてきたヤマイモ。現在では食べる頻度が少なくなったとはいえ、かつては「芋粥」が御馳走だったり、後世には「とろろ汁」が複数の宿場で名物になるなど、日本の食文化を見る上では外せない存在だったようです。
【参考文献】
『日本大百科全書』 小学館
『食の医学館』 小学館
『日本国語大辞書』 小学館
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「岡本かの子 東海道五十三次」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000076/files/448_19598.html)
「幸田露伴 風流仏」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/files/2710_14020.html)
「eヘルシーレシピ」(http://www.ehealthyrecipe.com/recipe-webapp/syokuzai/)より
「ヤマノイモ、ナガイモ/長芋、山の芋」(http://www.ehealthyrecipe.com/recipe-webapp/syokuzai/SyokuzaiDetailServ.php?szid=2023)
関連記事:
「サツマイモ・ジャガイモ伝来記 および イモを広めた英雄たち」
「日本の南北朝と、三国志の間の意外な共通点~饅頭の起源?~」
「覇者の胃袋 ~粗食、偏食、暴飲暴食の帝王たち~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「食卓越しの政治史」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/eating.html)
by trushbasket
| 2014-09-13 13:21
| NF








