2014年 10月 05日
「妖怪のせい」?「ダイモンの仕業」?~やらかした時の言い草は古今共通~
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最近、子供たちの間で『妖怪ウォッチ』というアニメが流行しているようですね。もっとも、それに関連して親が子供に注意する際に辟易する事態が生じているようで。なんでも、子供に注意するたびに、都合の悪いことは「妖怪のせいだ」と言い返してくるので苛立ってしまうのだとか。
親御さんがこうした反応に苛立つのは、よくわかる話です。とはいえ、いつの時代も子供と言うのはそんなもんだと思います。『妖怪ウォッチ』があろうがなかろうが、何かしらの口ごたえはしてくるでしょう。ところで面白いことに、こうした風潮に関しては当の子供の間からも一石を投じる発言があったりするようで。それを考えても、「今どきの子供は…」と愚痴るような真似はすべきではないと思います。
さて、話は変わりますが、平安末期・鎌倉初期における貴族の日記には「天魔之所為」という言葉が見られる事があるそうです。「天魔」というのは元来、仏道修行において悟りを開く妨げをする魔類、という意味合いだとか。しかし当時においては、人間に取り付いて意識を見出し理解に苦しむ困った行動をさせるもの、といったニュアンスで用いられるケースが多いそうです。平安末期・鎌倉初期の有力貴族である九条兼実の日記『玉葉』や藤原定家の『明月記』でもそうした用法で「天魔之所為」という言葉が使われているようで。南北朝期の洞院公賢『園太暦』でも同様な用例があるようです。また、「天狗」という言葉も同様な用いられ方をしていましたが、「天魔」と比べると深刻さはやや低めだそうです。
鎌倉初期にしろ、南北朝期にしろ、乱世でしたから伝統貴族からすれば思いもよらない事態は多かっただろうと想像されます。そうしたさい、天魔之所為だったり天狗の仕業だったりと考えられたようですね。
次に、時は流れて徳川中期。国学者・本居宣長はこの国が神々によって守られているとしながらも、良くない事は禍津日神の仕業であるという考えを『直霊』などの著作で披露しています。都合の悪いことを悪神のせいだと考える辺りは「天魔之所為」と似ていますね。
しかし、いずれも自分の「やらかし」を誤魔化す用例ではないようで。そこで今度は、古代ギリシアを見てみましょう。古代ギリシア人は、
しばしば「ダイモン」(魔神)の仕業という言葉を用いたそうです。「人間業ではないとか、ただごとではないとかいう感じ」(同書 同頁)からそうした言い方が生じたのだとか。例えば、オデュッセウスは寒い時に外套を忘れて出かけてしまった際にこれをダイモンのせいにしています。あと、ソクラテスが何かといえば「ダイモンの指示」といった言い方をしたのは知られています。
以上の事例を見る限り、今の子供たちが「妖怪のせい」と言うのと同様な言い方・考え方が古今東西を問わずありそうな感じですね。特に古代ギリシアの事例は、自分がやらかした際の言い訳に使われたり、逆にいつもと違って良いことがあった時にも用いられているあたりがよく似ています。
ところで、再び話は変わりますが、「妖怪のせい」という子供の減らず口にどう切り返せばよいか、という問題について。これに関連して思い出すのが、後白河法皇が源義経・行家の求めに応じて源頼朝追討の院宣を出した時の事。その直後、後白河サイドは頼朝に対し弁明する羽目になります。この際、後白河側近が義経・行家の挙兵を「天魔之所為」と述べたのに対して、頼朝が二人の反逆は「天魔」でなく「日本国第一之大天狗」の教唆によるものだろう、と後白河らの関与を仄めかして皮肉ったのは有名ですね。この事例を参考に、冒頭記事にもあるように「妖怪のせい」というのを逆用する切り返しもありかもしれません。考えてみれば「天魔」「天狗」「ダイモン」にしてやられているのは、大の大人だった訳ですしね…。
超自然的なものを信じていた前近代と、現代を一緒にするのはおかしい、という意見はたしかにありうるでしょう。でもまあ、上記のオデュッセウスや後白河側近の事例は「やらかした際の言い訳」という点で「妖怪のせい」と共通してると言えそうなので、「人間の言い草や考えとは、変わりばえしないものだなあ」という結論でそう問題なさそうだと考えます。その辺りも考えて、「この頃の若い者は」「今どきの子供は」といったレッテル貼りはしないよう、くれぐれも心がけたいものですね。
【参考文献】
明月記研究会編集『明月記研究4号 記録と文学』続群書類従完成会
『園太暦』第3巻・第5巻・第6巻・第7巻 続群書類従完成会
『本居宣長全集』第十四巻 筑摩書房
田中美知太郎著『ソクラテス』岩波新書
関連記事:
人間のやる事は昔から大してレベルが変わらないという話について
「「バカッター」時代の若者と昔の若者~仲間内の承認欲求と同調圧力から愚行に走るのは昔から~」
「「17歳教」の先駆者たち ~13世紀末の説話集『沙石集』から~」
「古代後期民衆の「サイレントテロ」は現代より過激だった~「車離れ」どころか「戸籍離れ」~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「本居宣長『直霊』」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/naobi.html)
「アテナイ下り坂の歴史」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/051202.html)
本居宣長やソクラテスについては、興味のある方は社会評論社『ダメ人間の日本史』『ダメ人間の世界史』を御参照下さい。
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当ブログ内紹介記事
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当ブログ内紹介記事
関連サイト:
「Yahoo!ニュース」(http://news.yahoo.co.jp/)より
「子供達「何でも妖怪のせい」に賛否」(http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140930-00000004-rnijugo-sci)
親御さんがこうした反応に苛立つのは、よくわかる話です。とはいえ、いつの時代も子供と言うのはそんなもんだと思います。『妖怪ウォッチ』があろうがなかろうが、何かしらの口ごたえはしてくるでしょう。ところで面白いことに、こうした風潮に関しては当の子供の間からも一石を投じる発言があったりするようで。それを考えても、「今どきの子供は…」と愚痴るような真似はすべきではないと思います。
関連サイト:
「Infoseekニュース」(http://news.infoseek.co.jp/)より
「なんでも「妖怪」のせいにする風潮に小学生が名言!ネットで絶賛」(http://news.infoseek.co.jp/article/sunday_4752715)
さて、話は変わりますが、平安末期・鎌倉初期における貴族の日記には「天魔之所為」という言葉が見られる事があるそうです。「天魔」というのは元来、仏道修行において悟りを開く妨げをする魔類、という意味合いだとか。しかし当時においては、人間に取り付いて意識を見出し理解に苦しむ困った行動をさせるもの、といったニュアンスで用いられるケースが多いそうです。平安末期・鎌倉初期の有力貴族である九条兼実の日記『玉葉』や藤原定家の『明月記』でもそうした用法で「天魔之所為」という言葉が使われているようで。南北朝期の洞院公賢『園太暦』でも同様な用例があるようです。また、「天狗」という言葉も同様な用いられ方をしていましたが、「天魔」と比べると深刻さはやや低めだそうです。
鎌倉初期にしろ、南北朝期にしろ、乱世でしたから伝統貴族からすれば思いもよらない事態は多かっただろうと想像されます。そうしたさい、天魔之所為だったり天狗の仕業だったりと考えられたようですね。
次に、時は流れて徳川中期。国学者・本居宣長はこの国が神々によって守られているとしながらも、良くない事は禍津日神の仕業であるという考えを『直霊』などの著作で披露しています。都合の悪いことを悪神のせいだと考える辺りは「天魔之所為」と似ていますね。
しかし、いずれも自分の「やらかし」を誤魔化す用例ではないようで。そこで今度は、古代ギリシアを見てみましょう。古代ギリシア人は、
平常とは違って、ひどく上手であったり、あるいはひどいへまをやったりする時に(田中美知太郎著『ソクラテス』岩波新書 103頁)
しばしば「ダイモン」(魔神)の仕業という言葉を用いたそうです。「人間業ではないとか、ただごとではないとかいう感じ」(同書 同頁)からそうした言い方が生じたのだとか。例えば、オデュッセウスは寒い時に外套を忘れて出かけてしまった際にこれをダイモンのせいにしています。あと、ソクラテスが何かといえば「ダイモンの指示」といった言い方をしたのは知られています。
以上の事例を見る限り、今の子供たちが「妖怪のせい」と言うのと同様な言い方・考え方が古今東西を問わずありそうな感じですね。特に古代ギリシアの事例は、自分がやらかした際の言い訳に使われたり、逆にいつもと違って良いことがあった時にも用いられているあたりがよく似ています。
ところで、再び話は変わりますが、「妖怪のせい」という子供の減らず口にどう切り返せばよいか、という問題について。これに関連して思い出すのが、後白河法皇が源義経・行家の求めに応じて源頼朝追討の院宣を出した時の事。その直後、後白河サイドは頼朝に対し弁明する羽目になります。この際、後白河側近が義経・行家の挙兵を「天魔之所為」と述べたのに対して、頼朝が二人の反逆は「天魔」でなく「日本国第一之大天狗」の教唆によるものだろう、と後白河らの関与を仄めかして皮肉ったのは有名ですね。この事例を参考に、冒頭記事にもあるように「妖怪のせい」というのを逆用する切り返しもありかもしれません。考えてみれば「天魔」「天狗」「ダイモン」にしてやられているのは、大の大人だった訳ですしね…。
超自然的なものを信じていた前近代と、現代を一緒にするのはおかしい、という意見はたしかにありうるでしょう。でもまあ、上記のオデュッセウスや後白河側近の事例は「やらかした際の言い訳」という点で「妖怪のせい」と共通してると言えそうなので、「人間の言い草や考えとは、変わりばえしないものだなあ」という結論でそう問題なさそうだと考えます。その辺りも考えて、「この頃の若い者は」「今どきの子供は」といったレッテル貼りはしないよう、くれぐれも心がけたいものですね。
【参考文献】
明月記研究会編集『明月記研究4号 記録と文学』続群書類従完成会
『園太暦』第3巻・第5巻・第6巻・第7巻 続群書類従完成会
『本居宣長全集』第十四巻 筑摩書房
田中美知太郎著『ソクラテス』岩波新書
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「古代後期民衆の「サイレントテロ」は現代より過激だった~「車離れ」どころか「戸籍離れ」~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「本居宣長『直霊』」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/naobi.html)
「アテナイ下り坂の歴史」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/051202.html)
本居宣長やソクラテスについては、興味のある方は社会評論社『ダメ人間の日本史』『ダメ人間の世界史』を御参照下さい。
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by trushbasket
| 2014-10-05 22:11
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