2014年 10月 11日
「後○○天皇」と「○○天皇」一覧
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日本史で歴代天皇一覧を見ていると、「後○○天皇」というのが多いなあ、と感じる方は多いかと思います。また、その中には「○○天皇」なんていたっけ?、というパターンも。今回は、そうしたケースをまとめてみました。天皇の代数は慣例に則り皇統譜のそれを記しています。
第68代 後一条天皇→第66代 一条天皇
最初の「後○○天皇」パターンはこの人でした。一条天皇は後一条の父親に当たります。いずれも、藤原道長が活躍した時期の天皇と言えます。
第69代 後朱雀天皇→第61代 朱雀天皇
第70代 後冷泉天皇→第63代 冷泉天皇
いずれも、藤原頼通時代の天皇。朱雀天皇は承平・天慶の乱が勃発した時の天皇、冷泉天皇は安和の変の時の天皇ですね。
第71代 後三条天皇→第67代 三条天皇
摂関家に対抗して親政を敷いた天皇です。そういえば、三条天皇も道長と不和でしたから、摂関家と対決した点が共通点なのかも。
第77代 後白河天皇→第72代 白河天皇
こちらの共通点は、院政という事に。
第82代 後鳥羽天皇→第74代 鳥羽天皇
こちらも同じく。後鳥羽は、当初「顕徳院」と呼ばれていたそうですが後に改められたそうです。
第86代 後堀河天皇→第73代 堀河天皇
後堀河は承久の乱後に鎌倉政権によって擁立された天皇です。一方、堀河天皇は白河の子で、父が院政を敷く中で自身も政務に精励し賢帝との評価を受けましたが夭折しました。
第88代 後嵯峨天皇→第52代 嵯峨天皇
後嵯峨天皇は鎌倉政権によって樹立された天皇で、長らく院政を行いました。嵯峨天皇は平安前期の天皇で、桓武天皇の子、平城天皇の弟。兄・平城天皇一派との対立を制し蔵人所(天皇の秘書官)の設置や文化政策など多くの業績を残しています。
第89代 後深草天皇→第54代 仁明天皇(深草帝)
後嵯峨天皇の子で、彼の子孫は持明院統と呼ばれやがて北朝の系統となります。一方、弟の亀山天皇の系統は大覚寺統と呼ばれます。仁明天皇は平安前期の天皇で、深草に埋葬されました。
第91代 後宇多天皇→第59代 宇多天皇
後宇多天皇は亀山天皇の子で、後二条・後醍醐の父にあたります。学問を好んだ事で知られます。宇多天皇は平安前期の天皇で、菅原道真らを重用し政治改革に取り組んだことから後世の評価が高い天皇です。
第93代 後伏見天皇→第92代 伏見天皇
伏見天皇は後深草の子、後伏見は伏見の子です。
第94代 後二条天皇→第78代 二条天皇
後二条天皇は後宇多の子で、父によって院政が行われました。二条天皇は後白河の子で、院政を敷こうとした父と対立しています。
第96代 後醍醐天皇→第60代 醍醐天皇
後醍醐天皇は、御存じの通り鎌倉政権を打倒し建武政権を樹立して天皇専制を目論みますが失敗した人物です。足利氏によって政権を失った後も吉野で自らの朝廷(南朝)を築き子孫を通じて60年余りの抵抗をしています。醍醐天皇は平安前期の天皇で、摂関をおかず様々な改革がなされたことから後に理想の時代と仰がれています。なお、醍醐天皇は山科に埋葬されたことから「後山科帝」と呼ばれたこともあるとか。「後」がついているのは大化の改新を主導した天智天皇も山科に葬られたからでしょうか。
第97代 後村上天皇→第62代 村上天皇
後村上は、後醍醐の子で南朝の天皇です。既に南朝の劣勢は覆いがたい状況でした。村上天皇は平安前期の天皇で、醍醐天皇同様に後世から理想の治世と称揚されました。後醍醐・後村上とも彼らの名声に倣おうとしたのでしょうか。
第99代 後亀山天皇→第90代 亀山天皇
後亀山天皇は南朝最後の天皇。即位時には既にいかんともし難い状況であり、面目が立つ形での和睦(事実上の降伏)を余儀なくされました。亀山天皇は後嵯峨の子で、大覚寺統の祖です。
北朝第4代 後光厳天皇→北朝初代 光厳天皇
北朝第5代 後円融天皇→第64代 円融天皇
圧倒的優勢に南朝との戦いを進めていた足利将軍家ですが、内紛によって南朝に付け入られ北朝の天皇・上皇を拉致される失態を犯します。足利政権は正統性を確保するため、無事だった北朝皇族を擁立したのです。それが後光厳天皇。光厳天皇は後醍醐天皇が鎌倉政権と敵対した際、鎌倉政権によって擁立された天皇です。後醍醐が鎌倉政権打倒を果たした後は上皇とされ、足利尊氏が北朝を樹立した際には院政を行っています。
後円融天皇は後光厳の子で御小松の父。足利義満に圧迫されたことで知られます。円融天皇は平安中期の天皇です。
第100代 後小松天皇→第58代 光孝天皇(小松帝)
後小松天皇は南北朝合一時の天皇で、北朝由来です。光孝天皇は仁明天皇の子で、陽成天皇退位後に擁立され小松山陵に埋葬されました。
第102代 後花園天皇→第95代 花園天皇
南北朝合一後の天皇で、学問を好み失墜した朝廷の権威回復にもある程度成功した名君として知られます。花園天皇も学問好きで知られた人物でした。なお、後花園は「後文徳院」と呼ばれた事もあったようです。文徳天皇は第55代で、藤原北家が勢力を伸ばしつつあった時代の天皇です。
第103代 後土御門天皇→第83代 土御門天皇
即位後に応仁の乱が勃発、朝廷もその結果として更なる困窮に直面した不運な時代の天皇です。一方、土御門天皇は承久の乱には関与しませんでしたが自ら望んで乱の後に土佐に配流されています。
第104代 後柏原天皇→第50代 桓武天皇(柏原天皇)
戦国期の天皇で、即位礼を挙げるのにも苦労した時期の天皇です。桓武天皇は御存じ、平安遷都を行った天皇で、柏原天皇とも呼ばれるのは柏原山陵に埋葬されたことによるものと思われます。
第105代 後奈良天皇→第51代 平城天皇(奈良帝)
後奈良天皇の時代も困窮し大名からの献金によってようやく即位礼を挙げています。しかし、大名に官位を与えるなどを通じて朝廷の権威がある程度回復した時代なのも事実のようです。平城天皇は桓武天皇の子で、奈良の平城京を愛した事からこのような名が贈られたようです。奈良帝という呼び名も同様な理由です。
第107代 後陽成天皇→第57代 陽成天皇
後陽成天皇は秀吉時代の天皇で、陽成天皇は清和天皇の子で問題行動が多く若くして退位しています。
第108代 後水尾天皇→第56代 清和天皇(水尾帝)
徳川初期の天皇で、紫衣事件など徳川政権との衝突もあった天皇です。清和天皇は平安前期の天皇で、外祖父藤原良房を摂政とした事で知られます。清和天皇が「水尾帝」と呼ばれるのは、嵯峨水尾山に葬られたからのようです。
第110代 後光明天皇→北朝第2代 光明天皇
第111代 後西天皇→第53代 淳和天皇(西院帝)
後西天皇は後水尾の子で、後光明の弟。後光明が若くして没した事から即位しています。和歌・連歌・書・茶の湯に長じていたと言われます。元来は、「後西」天皇でなく「後西院」帝だったようです。それが、「後西院」が「後西」院という事で「後西天皇」と呼ばれるようになったものでしょうか。「院」という言葉が上皇を意味しますから。淳和天皇は平安前期の天皇で、兄・嵯峨天皇の路線を引き継ぎ詩文集編纂や法典整備に業績を残しています。皇太弟時代・上皇時代に過ごした離宮・南池院(西院)にちなんだ呼称と思われます。
第117代 後桜町天皇→第115代 桜町天皇
後桜町天皇は、知る人ぞ知る久々の女帝。
第118代 後桃園天皇→第116代 桃園天皇
なお、即位していない皇族に天皇号が贈られた事例も考慮すると、
後高倉院→第80代 高倉天皇
後崇光院→北朝第3代 崇光天皇
というのがあります。
後高倉院は後鳥羽天皇の同母兄ですが、平家に伴われ西国にいたため京に戻った際には既に後鳥羽が即位していました。出家していましたが、承久の乱で運命が一変。息子が鎌倉政権によって擁立され(後堀河天皇)、自身も還俗し「治天の君」(皇室の家長)として院政を敷き子を支える事となったのです。一方、高倉天皇は後白河の子で安徳天皇の父にあたります。後白河と平清盛が対立した結果、清盛のクーデターによって後白河が幽閉されたのちに形式的に院政を敷いています。朝廷を軍事制圧した武家に擁立され院政を行う事になったという点で二人は共通しているかもしれません。
後崇光院は、名を貞成親王と呼び伏見宮家の当主でした。伏見宮家は北朝の分家で、崇光天皇の系統ですが南北朝動乱の際に北朝皇位が後光厳天皇の系統に引き継がれたため冷遇されていました。しかし称光天皇に子がなく後光厳の系統が断絶。貞成の子・彦仁が後花園天皇として即位した事から晩年に院として称号を与えられたのです。日記『看聞日記』は当時を知るうえで貴重な史料として知られます。
【参考文献】
『日本人名大辞典』講談社
『世界大百科事典』平凡社
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社
『大辞泉』小学館
関連記事:
「「上皇様」は漫画好き in 足利期~後崇光院と『十二類合戦絵巻』~」
「「足利義満」補足~南北朝合併時の約束を別に無視したわけではない?~」
「「あっちが神ならこっちは女神だ」~日本の王権について民俗学的に考える~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「後醍醐天皇」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2001/010706.html)
「後桜町天皇」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2003/031003.html)
「光厳天皇」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/kougon.html)
社会評論社『ダメ人間の日本史』では上記の天皇のうち数人も登場します。また後亀山天皇については『敗戦処理首脳列伝』で、後小松天皇には『戦後復興首脳列伝』にて触れられています。興味のある方は御参照下さい。
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第68代 後一条天皇→第66代 一条天皇
最初の「後○○天皇」パターンはこの人でした。一条天皇は後一条の父親に当たります。いずれも、藤原道長が活躍した時期の天皇と言えます。
第69代 後朱雀天皇→第61代 朱雀天皇
第70代 後冷泉天皇→第63代 冷泉天皇
いずれも、藤原頼通時代の天皇。朱雀天皇は承平・天慶の乱が勃発した時の天皇、冷泉天皇は安和の変の時の天皇ですね。
第71代 後三条天皇→第67代 三条天皇
摂関家に対抗して親政を敷いた天皇です。そういえば、三条天皇も道長と不和でしたから、摂関家と対決した点が共通点なのかも。
第77代 後白河天皇→第72代 白河天皇
こちらの共通点は、院政という事に。
第82代 後鳥羽天皇→第74代 鳥羽天皇
こちらも同じく。後鳥羽は、当初「顕徳院」と呼ばれていたそうですが後に改められたそうです。
第86代 後堀河天皇→第73代 堀河天皇
後堀河は承久の乱後に鎌倉政権によって擁立された天皇です。一方、堀河天皇は白河の子で、父が院政を敷く中で自身も政務に精励し賢帝との評価を受けましたが夭折しました。
第88代 後嵯峨天皇→第52代 嵯峨天皇
後嵯峨天皇は鎌倉政権によって樹立された天皇で、長らく院政を行いました。嵯峨天皇は平安前期の天皇で、桓武天皇の子、平城天皇の弟。兄・平城天皇一派との対立を制し蔵人所(天皇の秘書官)の設置や文化政策など多くの業績を残しています。
第89代 後深草天皇→第54代 仁明天皇(深草帝)
後嵯峨天皇の子で、彼の子孫は持明院統と呼ばれやがて北朝の系統となります。一方、弟の亀山天皇の系統は大覚寺統と呼ばれます。仁明天皇は平安前期の天皇で、深草に埋葬されました。
第91代 後宇多天皇→第59代 宇多天皇
後宇多天皇は亀山天皇の子で、後二条・後醍醐の父にあたります。学問を好んだ事で知られます。宇多天皇は平安前期の天皇で、菅原道真らを重用し政治改革に取り組んだことから後世の評価が高い天皇です。
第93代 後伏見天皇→第92代 伏見天皇
伏見天皇は後深草の子、後伏見は伏見の子です。
第94代 後二条天皇→第78代 二条天皇
後二条天皇は後宇多の子で、父によって院政が行われました。二条天皇は後白河の子で、院政を敷こうとした父と対立しています。
第96代 後醍醐天皇→第60代 醍醐天皇
後醍醐天皇は、御存じの通り鎌倉政権を打倒し建武政権を樹立して天皇専制を目論みますが失敗した人物です。足利氏によって政権を失った後も吉野で自らの朝廷(南朝)を築き子孫を通じて60年余りの抵抗をしています。醍醐天皇は平安前期の天皇で、摂関をおかず様々な改革がなされたことから後に理想の時代と仰がれています。なお、醍醐天皇は山科に埋葬されたことから「後山科帝」と呼ばれたこともあるとか。「後」がついているのは大化の改新を主導した天智天皇も山科に葬られたからでしょうか。
第97代 後村上天皇→第62代 村上天皇
後村上は、後醍醐の子で南朝の天皇です。既に南朝の劣勢は覆いがたい状況でした。村上天皇は平安前期の天皇で、醍醐天皇同様に後世から理想の治世と称揚されました。後醍醐・後村上とも彼らの名声に倣おうとしたのでしょうか。
第99代 後亀山天皇→第90代 亀山天皇
後亀山天皇は南朝最後の天皇。即位時には既にいかんともし難い状況であり、面目が立つ形での和睦(事実上の降伏)を余儀なくされました。亀山天皇は後嵯峨の子で、大覚寺統の祖です。
北朝第4代 後光厳天皇→北朝初代 光厳天皇
北朝第5代 後円融天皇→第64代 円融天皇
圧倒的優勢に南朝との戦いを進めていた足利将軍家ですが、内紛によって南朝に付け入られ北朝の天皇・上皇を拉致される失態を犯します。足利政権は正統性を確保するため、無事だった北朝皇族を擁立したのです。それが後光厳天皇。光厳天皇は後醍醐天皇が鎌倉政権と敵対した際、鎌倉政権によって擁立された天皇です。後醍醐が鎌倉政権打倒を果たした後は上皇とされ、足利尊氏が北朝を樹立した際には院政を行っています。
後円融天皇は後光厳の子で御小松の父。足利義満に圧迫されたことで知られます。円融天皇は平安中期の天皇です。
第100代 後小松天皇→第58代 光孝天皇(小松帝)
後小松天皇は南北朝合一時の天皇で、北朝由来です。光孝天皇は仁明天皇の子で、陽成天皇退位後に擁立され小松山陵に埋葬されました。
第102代 後花園天皇→第95代 花園天皇
南北朝合一後の天皇で、学問を好み失墜した朝廷の権威回復にもある程度成功した名君として知られます。花園天皇も学問好きで知られた人物でした。なお、後花園は「後文徳院」と呼ばれた事もあったようです。文徳天皇は第55代で、藤原北家が勢力を伸ばしつつあった時代の天皇です。
第103代 後土御門天皇→第83代 土御門天皇
即位後に応仁の乱が勃発、朝廷もその結果として更なる困窮に直面した不運な時代の天皇です。一方、土御門天皇は承久の乱には関与しませんでしたが自ら望んで乱の後に土佐に配流されています。
第104代 後柏原天皇→第50代 桓武天皇(柏原天皇)
戦国期の天皇で、即位礼を挙げるのにも苦労した時期の天皇です。桓武天皇は御存じ、平安遷都を行った天皇で、柏原天皇とも呼ばれるのは柏原山陵に埋葬されたことによるものと思われます。
第105代 後奈良天皇→第51代 平城天皇(奈良帝)
後奈良天皇の時代も困窮し大名からの献金によってようやく即位礼を挙げています。しかし、大名に官位を与えるなどを通じて朝廷の権威がある程度回復した時代なのも事実のようです。平城天皇は桓武天皇の子で、奈良の平城京を愛した事からこのような名が贈られたようです。奈良帝という呼び名も同様な理由です。
第107代 後陽成天皇→第57代 陽成天皇
後陽成天皇は秀吉時代の天皇で、陽成天皇は清和天皇の子で問題行動が多く若くして退位しています。
第108代 後水尾天皇→第56代 清和天皇(水尾帝)
徳川初期の天皇で、紫衣事件など徳川政権との衝突もあった天皇です。清和天皇は平安前期の天皇で、外祖父藤原良房を摂政とした事で知られます。清和天皇が「水尾帝」と呼ばれるのは、嵯峨水尾山に葬られたからのようです。
第110代 後光明天皇→北朝第2代 光明天皇
第111代 後西天皇→第53代 淳和天皇(西院帝)
後西天皇は後水尾の子で、後光明の弟。後光明が若くして没した事から即位しています。和歌・連歌・書・茶の湯に長じていたと言われます。元来は、「後西」天皇でなく「後西院」帝だったようです。それが、「後西院」が「後西」院という事で「後西天皇」と呼ばれるようになったものでしょうか。「院」という言葉が上皇を意味しますから。淳和天皇は平安前期の天皇で、兄・嵯峨天皇の路線を引き継ぎ詩文集編纂や法典整備に業績を残しています。皇太弟時代・上皇時代に過ごした離宮・南池院(西院)にちなんだ呼称と思われます。
第117代 後桜町天皇→第115代 桜町天皇
後桜町天皇は、知る人ぞ知る久々の女帝。
第118代 後桃園天皇→第116代 桃園天皇
なお、即位していない皇族に天皇号が贈られた事例も考慮すると、
後高倉院→第80代 高倉天皇
後崇光院→北朝第3代 崇光天皇
というのがあります。
後高倉院は後鳥羽天皇の同母兄ですが、平家に伴われ西国にいたため京に戻った際には既に後鳥羽が即位していました。出家していましたが、承久の乱で運命が一変。息子が鎌倉政権によって擁立され(後堀河天皇)、自身も還俗し「治天の君」(皇室の家長)として院政を敷き子を支える事となったのです。一方、高倉天皇は後白河の子で安徳天皇の父にあたります。後白河と平清盛が対立した結果、清盛のクーデターによって後白河が幽閉されたのちに形式的に院政を敷いています。朝廷を軍事制圧した武家に擁立され院政を行う事になったという点で二人は共通しているかもしれません。
後崇光院は、名を貞成親王と呼び伏見宮家の当主でした。伏見宮家は北朝の分家で、崇光天皇の系統ですが南北朝動乱の際に北朝皇位が後光厳天皇の系統に引き継がれたため冷遇されていました。しかし称光天皇に子がなく後光厳の系統が断絶。貞成の子・彦仁が後花園天皇として即位した事から晩年に院として称号を与えられたのです。日記『看聞日記』は当時を知るうえで貴重な史料として知られます。
【参考文献】
『日本人名大辞典』講談社
『世界大百科事典』平凡社
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社
『大辞泉』小学館
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「「上皇様」は漫画好き in 足利期~後崇光院と『十二類合戦絵巻』~」
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「「あっちが神ならこっちは女神だ」~日本の王権について民俗学的に考える~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「後醍醐天皇」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2001/010706.html)
「後桜町天皇」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2003/031003.html)
「光厳天皇」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/kougon.html)
社会評論社『ダメ人間の日本史』では上記の天皇のうち数人も登場します。また後亀山天皇については『敗戦処理首脳列伝』で、後小松天皇には『戦後復興首脳列伝』にて触れられています。興味のある方は御参照下さい。
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by trushbasket
| 2014-10-11 09:00
| NF








