2014年 11月 04日
<読書案内>大佛次郎『大楠公 楠木正成』
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今回取り上げるのは、南北朝絡みの小説『大楠公 楠木正成』(大佛次郎、徳間文庫)。これは昭和十年(1935)に「大楠公六百年」記念企画として朝日新聞に連載された小説です。色々な都合があったのか、後醍醐天皇が隠岐を脱出した知らせを正成らが受けた時点で終了になっています。それだけでは分量が足りないと判断されたか、文庫本では正行を扱った『みくまり物語』(昭和十八年に毎日新聞掲載)、随筆『楠の葉陰』(同年に週刊朝日掲載)をも共に収録していました。
時代が時代だけに、皇国史観の影響はバリバリです。例えば山伏(実は日野俊基の変装)から鎌倉の家来か、と問われた幼い正行らが
と答えたり、正成は正成で天皇による討幕計画を知らされた際には「あたりまえ過ぎる」(同書 46頁)という理由から
と述懐してたり。
とはいえ、時局に迎合するだけの作品ではありません。読んでて感じたのは、「朝敵」や「逆賊」は出てくるかもしれないが、「悪人」は登場しない、という事。北条高時は田楽にうつつを抜かしていれば幸せな人物として描かれており、罪がないといえば罪のない人物。足利尊氏も、部下を愛し信心深く行いを慎み、率いる軍勢も規律が良い人物として描かれています。敢えて言えば、大望を抱くが故の不純な動機、と描かれていますがその根底は足利家代々の悲願「天下取り」を叶えるがためのものであり一途といえば一途。「生活の全部をその目的に注いできた」(同書 285頁)のであり「その為に生れ、またその為に育ってきた」(同書 290頁)というのですから。また、湊川で勝利した後は正成を「正直で、きれいだった」(同書 316頁)と称えていたりします。なお、この「正直・きれい」というのは作中で筆者が正成を繰り返し評した本作のテーマともいえるもの。それを尊氏にも語らせてる辺り、正成称揚の道具にされた感は無きにしも非ずですが、それでも肯定的な美意識を持った人物として尊氏を扱っていると言えるでしょう。
尊氏の執事・高師直も、四条畷合戦で命を捨てて自分を討ち取ろうとする正行の健気さに打たれ、「状況が許すならばいっそ討たれてやりたい」といった意味合いの言葉を漏らしどこか寂しげな表情を浮かべていたり。
このように、皇国史観の下で、そして本作でも悪役とされた人々も、どこか憎み切れないキャラになってるのは作者の人柄によるものでしょうか?
あと印象的だったのは、『楠の葉陰』で湊川の正成は忠義のため命を捨てに行ったのではなく、飽くまでも勝利するつもりで戦っていたのではないか、と述べていた事。今から見ても示唆に富む発言だと思いますし、戦中には湊川合戦が「玉砕」の精神的モデルとなっていたらしい事も考えると当時としてはかなり思い切った発言である可能性があります。
時代が時代だけに、皇国史観の影響はバリバリです。例えば山伏(実は日野俊基の変装)から鎌倉の家来か、と問われた幼い正行らが
「はい」
「けれども、ほんとうは、私どもは天子様の御家来で御座います」
(いずれも大佛次郎『大楠公 楠木正成』徳間文庫 38頁)
と答えたり、正成は正成で天皇による討幕計画を知らされた際には「あたりまえ過ぎる」(同書 46頁)という理由から
何のこだわるところなく、すらすらと承知と答えてしまった(同書 同頁)
と述懐してたり。
とはいえ、時局に迎合するだけの作品ではありません。読んでて感じたのは、「朝敵」や「逆賊」は出てくるかもしれないが、「悪人」は登場しない、という事。北条高時は田楽にうつつを抜かしていれば幸せな人物として描かれており、罪がないといえば罪のない人物。足利尊氏も、部下を愛し信心深く行いを慎み、率いる軍勢も規律が良い人物として描かれています。敢えて言えば、大望を抱くが故の不純な動機、と描かれていますがその根底は足利家代々の悲願「天下取り」を叶えるがためのものであり一途といえば一途。「生活の全部をその目的に注いできた」(同書 285頁)のであり「その為に生れ、またその為に育ってきた」(同書 290頁)というのですから。また、湊川で勝利した後は正成を「正直で、きれいだった」(同書 316頁)と称えていたりします。なお、この「正直・きれい」というのは作中で筆者が正成を繰り返し評した本作のテーマともいえるもの。それを尊氏にも語らせてる辺り、正成称揚の道具にされた感は無きにしも非ずですが、それでも肯定的な美意識を持った人物として尊氏を扱っていると言えるでしょう。
尊氏の執事・高師直も、四条畷合戦で命を捨てて自分を討ち取ろうとする正行の健気さに打たれ、「状況が許すならばいっそ討たれてやりたい」といった意味合いの言葉を漏らしどこか寂しげな表情を浮かべていたり。
このように、皇国史観の下で、そして本作でも悪役とされた人々も、どこか憎み切れないキャラになってるのは作者の人柄によるものでしょうか?
あと印象的だったのは、『楠の葉陰』で湊川の正成は忠義のため命を捨てに行ったのではなく、飽くまでも勝利するつもりで戦っていたのではないか、と述べていた事。今から見ても示唆に富む発言だと思いますし、戦中には湊川合戦が「玉砕」の精神的モデルとなっていたらしい事も考えると当時としてはかなり思い切った発言である可能性があります。
by trushbasket
| 2014-11-04 21:00
| NF








