リーダーとなる人々に望みたいこと~人間としての器にも関わる条件の話~
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1.主張している事が納得できるか
これは、まあ当たり前ですね。とはいえ、何をもって納得できるかは人それぞれかとも思います。個人的には、
・できもしない、非現実的な事を言っていないか
・自分たちのできる事・できない事をきちんと評価できているか
・感情的な言葉で人々を無用に煽っていないか
・あまりに人の道に外れた事を唱えていないか
といったところをチェックすべきかな、とは思っています。これも、合否基準は人それぞれなんでしょうけど。
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2.言っていることとやっている事が大きくかけ離れていないか
当然、これも大事です。主張内容が首肯できるものでも、実際にやっている事がそれとかけ離れていては信用できません。もっとも、「やれる」機会がなく判断しようのない人もいるのがこの指標は難点ですが。
3.人間の弱さ、不完全さに寛容であるか 「生きづらさ」を感じる人々への視線が温かいか
自分の理想を押し付け、そこから外れる人々に厳しいばかりでは、世の中生き辛くなりますし物事も上手くはいきません。もちろん、無条件・無制限に情けをかけろといっている訳ではありません。力及ばずで、一定の人数を切り捨てなければどうにもならない事は当然あるでしょう。しかし、その時でもそれを正当化せず、自らの力不足や不徳・至らなさを直視し、申し訳ないという心を持っていなければならないと思います。自分を正当化するため、割を食った人々に咎を押し付けて道徳的正当性まで取り上げるのは論外だと思います。
また、人間というのは不完全な存在です。その弱さ、時には汚さに対しても一定の寛容さが必要な事もあります。むろん、見過ごせない実害がある場合には、相応の対処は必要でしょうけど。
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4.異なる意見の人に敬意を払えるか
人間、どうしても異なる意見の相手と接することは出てきます。その際、どう接するかは大事なポイントかと思います。たとえ弱者救済や恒久世界平和をうたっている人であっても、異なる意見の持ち主に人格攻撃したり口汚く罵ったりしている場合は大いに問題ありかと。自らの正義を過信する余り、異論の持ち主の人格を尊重できないようではいけません。
5.煽り耐性があるか
政治家を始めリーダー的立場というのは、何をしようと誰かに割を食わせることになるものです。したがって、必ず反対者・敵対者は出ます。彼らから攻撃を受けたり揶揄されたりした際、ムキにならず受け流せるかどうか。これも重要なポイントではないかと思います。
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この記事で引用したケネディの言葉は、含蓄があると思います。
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個人的な感覚ですが、3.~5.に問題があると、リーダーに限った話ではなく人間としての器に問題があるかも、という危惧が出てきます。もし権力を持った際、権力の魔力に人格を乗っ取られて振り回されないか、心配になってしまうと申しましょうか。
それだけに、上に立つ人を選ぶ機会がある際は、上記の事を念頭に置くようにしています。まあ、実際問題としてこれらをすべて満たすというのは極めて難しいとは思うので、できるだけ多くの条件を満たす人を優先する、といったところでしょうか。
そして、僕自身もできる限りこれらの条件から大きく外れないよう努力はしているつもりです。現時点での成果については…そっとしておいてください。