後醍醐天皇の隠岐における配流地は~島前か島後か~
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鎌倉政権を打倒し、一時的とはいえ天皇親政を実現した後醍醐天皇。だが彼による最初の挙兵は失敗し、隠岐に流刑となった事は知られています。だが、隠岐における後醍醐の滞在地について、二つの説があるようだ。今回はそれについて述べようかと。
2.島前と島後
隠岐は島根半島から北方約44km先の、日本海に浮かぶ島々です。主に四つの大きな島と周辺の小島からなり、比較的本州に近い中ノ島・西ノ島・知夫里島を島前、更に北東12kmにある島を島後と呼んでいます。古代における政治・文化の中枢というべき国府・国分寺は島後に置かれていました。さて、後醍醐が島前と島後のいずれに滞在したのかについて、近代に説が分かれました。それぞれに、主張すべき根拠があるようです。
3.島前説
島前では、西ノ島の「黒木の御所跡」が後醍醐の滞在地として史跡とされ黒木神社が建てられています。同じ島の大山神社・焼火神社、現地の社家に伝わる『宇野家々譜』にも後醍醐関連の伝承が残っているとか。元禄期に著された『隠岐視聴記』には島前説が記録されており、遅くともその頃までには現地伝承が成立していたようです。
考えてみれば自然な話ではあります。当時の海上交通では島根半島から南風に乗って早朝に出立し夕に島前に到着するのが通常でした。そこから島後に赴くには更に十浬の船旅が必要だったのです。それを考えると、二度の船旅を重ねるより、まず到着する島前に滞在するとしてもおかしくないでしょう。実際、承久の乱で敗れ流された後鳥羽院も島前の海士郡に滞在したとされているのですし。
4.島後説
しかし、話はそう簡単ではないようで。というのは、いくつかの文献には、後醍醐が留まったのは隠岐国分寺であるとするものがあるからです。上述のように、国分寺は島後にあるのですが、『増鏡』には「海づらよりは、少し入りたる国分寺といふ寺を、よろしき様にとりはらひて、おはしまし所にさだむ」と記されています。また『古本伯耆巻』にも『増鏡』と同様な記述が指摘されています。更に、出雲の鰐淵寺に残された文書も注目に値するでしょう。後醍醐が元弘二年(1332)八月に倒幕を祈願する願文を鰐淵寺に送ったのですが、それに関する記録に「先帝御願書 元弘二年八月十九日於隠岐国々分寺御所被下之」と記されていたのです。
とすると、後醍醐がいたのは島後なのか、といえばそう即断もできません。これらの文献をそのまま鵜呑みにする訳にもいかないからです。『増鏡』作者は隠岐現地の様子を知っているとは思われず、『古本伯耆巻』は少なからず誤謬がある書物とされています。そして鰐淵寺の文書に関しても、問題の記録が書かれたのは「貞治五年」すなわち1366年という話もあり、記憶の風化に伴い正確さを欠いている可能性が否定できないそうです。
5.おわりに
以上、見てきたように、後醍醐天皇が隠岐のどこに滞在したかについては二説が並存しています。現地伝承で見るなら島前、文献から考えると島後となるようで。いずれが本当なんでしょうか?
村松剛氏は状況証拠からは島前説の可能性が高いと著書『帝王後醍醐』で述べています。個人的には、僕もこれに説得力を感じました。以下に論点を箇条書きで示します。
・島後に後醍醐関連の伝承がまったくない:
流石にこれは不自然です。上述のように後醍醐より古い後鳥羽院に関する伝承も残っている事を考えると尚更のこと。
・『増鏡』記述の矛盾:
後醍醐が「廊めく所に立ち出でさせたまひて」
心ざすかたをとはばや浪のうへにうきてただよふあまの釣船
という歌を詠んだとしているのですが、国分寺は内陸であり海は見えません。
・水軍や修験道との関係:
鰐淵寺の文書から見られるように、隠岐でも後醍醐は各地と密かに連絡を取っていました。また、後には脱出を敢行しています。これらの行動には、水軍や修験道の助けが不可欠でした。さて、隠岐の状況を見ると海士郡に村上水軍の拠点が、焼火神社に山伏の拠点が存在していました。いずれも島前です。一方で島後には彼らの活動を伺わせるものは明らかでないようです。
以上です。とはいえ、今となっては、真相は藪の中というべきなのかも。無論、僕にも分かりません。
【参考文献】
村松剛『帝王後醍醐』中公文庫
『日本大百科全書』 小学館
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「名和長年」
隠岐を脱出した後醍醐を保護し、功績を挙げた人物です。
「南北朝研究史概論」
「天狗じゃ、天狗の仕業じゃ!」
修験道に関連してなくもない話。
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「後醍醐天皇」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2001/010706.html)
「南北朝時代の水軍」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/suigun.html)
その他の南北朝関連については、
「南北朝関連発表まとめ」
を御覧下さい。