本居宣長、「シマ」の語源を語る
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その問題を考えるにあたって、本居宣長『国号考』に面白い記述が見られます。 『国号考』は、本居宣長が日本に関する様々な呼称について考察したものです。執筆されたのは天明七年(1787)。日本や日本人とは何か、を古典研究を通じて追求した彼にとって、祖国の名称や由来について無関心ではいられなかったのは当然といえましょう。その冒頭近くに、「シマ」の語源に関する言及が見られるのです。では宣長が『国号考』の中で「シマ」という言葉の語源について言及した部分を、以下で大雑把に現代語訳しましょう。
そもそも「志麻(しま)」とは、一周するのに距離が知れていて、一区域でしかない場所をいう名である。こういった本来の意味は、「しまる」「しじまる」「せまる」「せばし」などといった言葉と同じであったろう。これらの言葉も、ずっとただ限りなく続いているのではなく、限りがあって、狭められた意味からの言葉だからである。したがって「志麻」という名称も、本来は必ずしも海だけでなく、国の中で山や川が巡らされた土地にも言ったと思われる。そう考える理由は、後述する「秋津嶋」の場所で書いた内容を見れば分かるであろう。またこの「大八嶋」などという名称のように、大変大きな場所にも「志麻」と言うので、必ずしも小さい場所だけをいったのでもない。ただし小さくて海の中にある場所は、特に一回りが限られているものであるから、専ら「志麻」はそうした場所だけの名称のように自然となったのである。ところで「嶋」「洲」などの字をあてて書くのも、海が周囲にある場所を呼ぶのが一般であるためである。しかしこれらの字に馴染んでしまい、「志麻」が元来から海の中にある場所をいい、またその中で小さなものだけを言う名称だと誤解する事は決してあってはならない。
どうやら、比較的小さく区切られた場所を「シマ」と呼んだのであり、「狭い」とも語源は通じるものがある、という事のようですね。縄張りや色町を「シマ」と呼んだのも、他と区切られた地域というニュアンスがあるのでしょうね。語源まで遡ると、色々と興味深い事が見えてくるものです。
【参考文献】
『本居宣長全集』第八巻 筑摩書房
『日本大百科全書』 小学館
『大辞泉』 小学館
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