2015年 02月 15日
平安・鎌倉期の民衆娯楽について
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現在、日本は様々な娯楽文化が花を開かせていると言って良いでしょう。現代だけでなく、徳川期も負けじ劣らじと華やかな文化が存在していたのは御存じの方も多いかと。では、それ以前は?ということで、今回は日本における古代、中世の民衆娯楽について述べようかと思います。
古代においては、男女の集団で恋歌を交し合い非日常の場で「恋愛」遊戯を楽しむ歌垣が東国を中心に各地で存在したようで、これが民衆にとって大きな楽しみであった事は想像に難くありません。また、交通の要所に存在した市では大道芸がなされていたと考えられています。
平安以降になると、貴族たちが国家行事として催した祭祀や儀礼、あるいは時々起こる大事件を見物することが庶民にとって欠かせない気晴らしであったであろう事が絵巻物などから伺えます。また、石合戦のように次第にそうした行事を自分たちも模倣して行い楽しむようになったようです。
貴族が行った儀式が民衆に取り入れられた一例として、猿楽を挙げておきます。猿楽といえば十四世紀末に足利義満の保護を受けて観阿弥・世阿弥が能楽として大成させたことは皆さん御存知だと思いますが、その起源は奈良時代に大陸から雑多な演芸として流入し「散楽」と呼ばれたことに発しているようです。それから平安初期までは、相撲節会の後宴や神楽の余興として貴族たちにより楽しまれました。それが、平安中期以降は国家の扶持を離れて寺社の法会や祭礼で催すようになり、庶民を相手に芸を見せて生計を立てるようになるのです。彼等の芸は、秦氏安「辨散楽」や藤原明衡「新猿楽記」によれば以下のように分類できるようです。
・呪帥:寺院の呪術的意味を持つ呪帥舞から発し、「すし」「じゅし」「のろんじ」と読んだ。後に能舞に発展。
・侏儒舞:小人舞であり、「蜘蛛舞」とも言われた曲芸的な舞であったらしい。
・田楽:びんざさら(皿を多数、糸で通し両端を手で持って鳴らす楽器)を持って舞う。
・傀儡子:人形回しであり、後の人形浄瑠璃の遠祖。
・品玉:弄玉、八つ玉とも言われ、手品・曲芸・あやとりなど。類似した存在として徳川期の放下師がある。
・一足、高足:一本の竹馬に乗って踊る。中国東北部にも類似した芸能が存在。
・走索:綱渡り
・縁竿:竿上り、梯子乗りといった軽業。
・琵琶法師:琵琶を弾いて物語を語る。鎌倉期に成立した平家琵琶は有名。
総じて、これら庶民に楽しまれた「猿楽」は滑稽さや猥雑さを含んだ大道芸能であり、芸人の多くは被差別的な存在ながらも次第に社会的実力をつけ職業芸人として自活するようになっていたようです。
この時期の民衆娯楽は、宗教的儀式と十分には切り離されてはいませんでした。また、文化的な存在感もまだ大きいとはいえなかったようです。しかしながら、民衆たちは逞しく社会的実力を蓄えていき、強かに人生を楽しんでいたといえるでしょう。
そして、民衆が無視できない文化的実力を持つようになったとき、これらは能楽・狂言・歌舞伎・浄瑠璃・話芸といった日本伝統芸能に発展していきました。猿楽は、伝統芸能の大半にとって祖先といえる存在なのです。
【参考文献】
河竹繁俊著『修訂日本演劇通史』新潮文庫
宮本常一著『絵巻物に見る日本庶民生活誌』中公新書
辰巳正明『歌垣 恋歌の奇祭をたずねて』新典社新書
関連記事:
「古代日本の商業概観」
「第二次大戦中の日本における都市文化・娯楽文化~空襲までは何とか踏ん張ってました~」
「「法と詩歌が同じ揺籃から」in 日本~徳政令と万葉の恋歌~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「源義経に関連する能・歌舞伎演目」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/020510b.html)
「写実と虚構のバランスは in 能・歌舞伎」(http://kurekiken.sitemix.jp/shajitsutokyokounobaransuha.pdf)
古代においては、男女の集団で恋歌を交し合い非日常の場で「恋愛」遊戯を楽しむ歌垣が東国を中心に各地で存在したようで、これが民衆にとって大きな楽しみであった事は想像に難くありません。また、交通の要所に存在した市では大道芸がなされていたと考えられています。
平安以降になると、貴族たちが国家行事として催した祭祀や儀礼、あるいは時々起こる大事件を見物することが庶民にとって欠かせない気晴らしであったであろう事が絵巻物などから伺えます。また、石合戦のように次第にそうした行事を自分たちも模倣して行い楽しむようになったようです。
貴族が行った儀式が民衆に取り入れられた一例として、猿楽を挙げておきます。猿楽といえば十四世紀末に足利義満の保護を受けて観阿弥・世阿弥が能楽として大成させたことは皆さん御存知だと思いますが、その起源は奈良時代に大陸から雑多な演芸として流入し「散楽」と呼ばれたことに発しているようです。それから平安初期までは、相撲節会の後宴や神楽の余興として貴族たちにより楽しまれました。それが、平安中期以降は国家の扶持を離れて寺社の法会や祭礼で催すようになり、庶民を相手に芸を見せて生計を立てるようになるのです。彼等の芸は、秦氏安「辨散楽」や藤原明衡「新猿楽記」によれば以下のように分類できるようです。
・呪帥:寺院の呪術的意味を持つ呪帥舞から発し、「すし」「じゅし」「のろんじ」と読んだ。後に能舞に発展。
・侏儒舞:小人舞であり、「蜘蛛舞」とも言われた曲芸的な舞であったらしい。
・田楽:びんざさら(皿を多数、糸で通し両端を手で持って鳴らす楽器)を持って舞う。
・傀儡子:人形回しであり、後の人形浄瑠璃の遠祖。
・品玉:弄玉、八つ玉とも言われ、手品・曲芸・あやとりなど。類似した存在として徳川期の放下師がある。
・一足、高足:一本の竹馬に乗って踊る。中国東北部にも類似した芸能が存在。
・走索:綱渡り
・縁竿:竿上り、梯子乗りといった軽業。
・琵琶法師:琵琶を弾いて物語を語る。鎌倉期に成立した平家琵琶は有名。
総じて、これら庶民に楽しまれた「猿楽」は滑稽さや猥雑さを含んだ大道芸能であり、芸人の多くは被差別的な存在ながらも次第に社会的実力をつけ職業芸人として自活するようになっていたようです。
この時期の民衆娯楽は、宗教的儀式と十分には切り離されてはいませんでした。また、文化的な存在感もまだ大きいとはいえなかったようです。しかしながら、民衆たちは逞しく社会的実力を蓄えていき、強かに人生を楽しんでいたといえるでしょう。
そして、民衆が無視できない文化的実力を持つようになったとき、これらは能楽・狂言・歌舞伎・浄瑠璃・話芸といった日本伝統芸能に発展していきました。猿楽は、伝統芸能の大半にとって祖先といえる存在なのです。
【参考文献】
河竹繁俊著『修訂日本演劇通史』新潮文庫
宮本常一著『絵巻物に見る日本庶民生活誌』中公新書
辰巳正明『歌垣 恋歌の奇祭をたずねて』新典社新書
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「「法と詩歌が同じ揺籃から」in 日本~徳政令と万葉の恋歌~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「源義経に関連する能・歌舞伎演目」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/020510b.html)
「写実と虚構のバランスは in 能・歌舞伎」(http://kurekiken.sitemix.jp/shajitsutokyokounobaransuha.pdf)
by trushbasket
| 2015-02-15 16:13
| NF








