2015年 03月 15日
近代の少女小説について概観する~近代娯楽小説の一例~
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近代社会が成長し子供向けの娯楽読み物が発達し始めた近代後期、男子だけでなく女子向けの作品も散見されるようになります。そうした少女小説について今回は少し見てみます。
最初に少女を対象読者に想定して物語を書いたといわれるのが、北田薄氷でした。明治二十年代、巌谷小波『こがね丸』などの少年文学が台頭しましたが、当初は男子向けに限定されていたようです。明治二十八年(1895)に博文館から雑誌『少年世界』が創刊され、薄氷はこの時にデビュー。彼女は、この時点で既に尾崎紅葉の知遇を得て「三人やもめ」「濡衣」などの小説を発表し樋口一葉と並び証される存在になっていましたが、『少年世界』では「白や!」に代表されるような少女向けの物語を次々に著しました。ただ、前例がなかったせいか少女の心理的内面を掘り下げる段階には至らず教訓談義となる傾向が強かったようです。
明治三十五年(1902)には金港堂が初の少女雑誌である『少女界』を創刊、それを呼び水にして『日本の少女』(1905)、『少女世界』(1906)、『少女の友』(1908)などが相次いで創刊されました。当時の代表的な作者は尾島菊子で、彼女は『少女界』に「秋の休日」「漁師の娘」といった短編を発表し明治四十二年(1909)には初の単行本である「御殿桜」を刊行。少女の目線から悲哀と感傷を扱った作風で評価されました。
そして、大正期に入ると吉屋信子が『花物語』で作家としての地位を確立。『花物語』は大正五年(1916)から始まり、花をモチーフに女学校を主な舞台として少女同士の恋愛感情に近い相互思慕と別離の悲しみを主題として繊細で感傷に充ちた文体で綴った三十年にわたって描いたシリーズものです。吉屋は他にも『七本椿』『紅雀』『からたちの花』といった作品でも人気を博し大衆小説の分野では菊池寛と並び証される評価を得ています。彼女は自己を持った女性を理想としており、女性描写や文体において泉鏡花から大きな影響を受けたといわれています。当時における他の人気作家としては、『嵐の小夜曲』の横山美智子、『絹糸の草履』などで貧困層の姿を描いた北川千代や徳永寿美子・由利聖子・平井晩村・長田幹彦・西条八十らがいます。
このように少女向け娯楽の最先端であった少女小説ですが、戦後になると漫画の発展の前に押され下火になり、吉屋信子が純文学や伝記文学で良作を残すなど作家達も方向転換を余儀なくされたようです。とはいえ、少女小説は近代娯楽文学の一方の雄でした。中でも『花物語』は女学校ものの先駆として語られるに価すると思われます。
【参考文献】
高橋康雄『冒険と涙』北宋社
渋沢青花『大正の「日本少年」と「少女の友」』千人社
『日本大百科全書』小学館
関連記事:
「忍者って何じゃ?~「忍者」イメージの成長と受容~」
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「近代大相撲と力士の素行~今の角界はだいぶ品行方正です~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「日本出版史」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/050227.html)
最初に少女を対象読者に想定して物語を書いたといわれるのが、北田薄氷でした。明治二十年代、巌谷小波『こがね丸』などの少年文学が台頭しましたが、当初は男子向けに限定されていたようです。明治二十八年(1895)に博文館から雑誌『少年世界』が創刊され、薄氷はこの時にデビュー。彼女は、この時点で既に尾崎紅葉の知遇を得て「三人やもめ」「濡衣」などの小説を発表し樋口一葉と並び証される存在になっていましたが、『少年世界』では「白や!」に代表されるような少女向けの物語を次々に著しました。ただ、前例がなかったせいか少女の心理的内面を掘り下げる段階には至らず教訓談義となる傾向が強かったようです。
明治三十五年(1902)には金港堂が初の少女雑誌である『少女界』を創刊、それを呼び水にして『日本の少女』(1905)、『少女世界』(1906)、『少女の友』(1908)などが相次いで創刊されました。当時の代表的な作者は尾島菊子で、彼女は『少女界』に「秋の休日」「漁師の娘」といった短編を発表し明治四十二年(1909)には初の単行本である「御殿桜」を刊行。少女の目線から悲哀と感傷を扱った作風で評価されました。
そして、大正期に入ると吉屋信子が『花物語』で作家としての地位を確立。『花物語』は大正五年(1916)から始まり、花をモチーフに女学校を主な舞台として少女同士の恋愛感情に近い相互思慕と別離の悲しみを主題として繊細で感傷に充ちた文体で綴った三十年にわたって描いたシリーズものです。吉屋は他にも『七本椿』『紅雀』『からたちの花』といった作品でも人気を博し大衆小説の分野では菊池寛と並び証される評価を得ています。彼女は自己を持った女性を理想としており、女性描写や文体において泉鏡花から大きな影響を受けたといわれています。当時における他の人気作家としては、『嵐の小夜曲』の横山美智子、『絹糸の草履』などで貧困層の姿を描いた北川千代や徳永寿美子・由利聖子・平井晩村・長田幹彦・西条八十らがいます。
このように少女向け娯楽の最先端であった少女小説ですが、戦後になると漫画の発展の前に押され下火になり、吉屋信子が純文学や伝記文学で良作を残すなど作家達も方向転換を余儀なくされたようです。とはいえ、少女小説は近代娯楽文学の一方の雄でした。中でも『花物語』は女学校ものの先駆として語られるに価すると思われます。
【参考文献】
高橋康雄『冒険と涙』北宋社
渋沢青花『大正の「日本少年」と「少女の友」』千人社
『日本大百科全書』小学館
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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「日本出版史」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/050227.html)
by trushbasket
| 2015-03-15 23:06
| NF








