日本近世の物語・芝居から見る歴史人物のイメージ~昔も人気キャラは「イケメン化」されていた~
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そこで今回は、人気の歴史人物達が、徳川期や近代を中心に娯楽作品でどのような外見イメージで捉えられていたかを少し見ていきます。
源平合戦の英雄・源義経は『平家物語』では「九郎は色白う背小さきが、向歯の殊に差し出でて」とあるように出っ歯として描かれているのは有名ですが、御伽草子『御曹子島渡り』や歌舞伎では美化されているのも御存知の方は多いでしょう。後の『鞍馬天狗』でも天狗が遮那王(義経の幼名)に恋慕する内容が描かれているとか。
同じく源平合戦で活躍した梶原源太景季は能『箙』あたりから美男を連想させる描かれ方をし、『ひらかな盛衰記』でも二枚目役とされています。
次に、南北朝期の人物に関する例を見てみましょう。後醍醐天皇の寵臣に日野資朝という人物がいました。彼は天皇と共に鎌倉政権打倒を目論見ましたが、露見して捕えられ佐渡に流罪となった末に処刑されています。『太平記』によれば、その際にその子・阿新丸が少年ながらも父の仇敵である本間三郎を討ったとされています。
『太平記』には阿新丸の容姿に関する記述はありませんが、徳川期の随筆『麓の色』には「美色あり、後醍醐天皇寵幸したまふといへり」と記されているそうで。
また、同じ南北朝期から挙げると、楠木正行は正成の子で劣勢であった南朝の主力を務め若くして戦死した武将ですが、彼も後世になると美青年として描かれる傾向があるようです。確か、正行の容姿に関する具体的な記述は、記憶している範囲では『太平記』にはなかったように思います。
あと、戦国武将からも一例。近代の詩人・木下杢太郎が一高寮歌『ああ玉杯に花うけて』のメロディに「君こそ花か勝頼か、静御前か照手姫」と替え歌の歌詞を付けた事からは、近代において武田勝頼が美男というイメージであった事を読み取る事は不可能ではなさそうな。
以上のように、昔から人気武将は根拠なく美形として描かれる傾向があり、特に今に始まったものではないといえます。史実と異なったイメージが流布する事は確かに推奨すべき事ではないでしょうが、別にそこまで憂慮する事でも憤慨する事でもないようにも思います。
【参考文献】
須永朝彦『美少年日本史』國書刊行会
『日本大百科全書』小学館
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「『義経記』における義経像」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/020510c.html)