2015年 04月 18日
前世代の家臣が失脚する理由を、君主の立場で考えてみる~案外、身につまされるかも~
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ある時代に重んじられた臣下が、君主の代替わりに伴って失脚・粛清されるケースは歴史を紐解くと洋の東西を問わずしばしば見受けられます。例えば、中国古代では
といったところが有名です。いずれも、引き立ててくれた王が没しその子が即位するとしばらくして地位を失っています。
日本でも、菅原道真の事例が思い浮かびます。彼は学者・官僚として名高く、宇多天皇によって引き立てられ次の醍醐天皇時代には右大臣にまで出生しています。しかし間もなく謀反の罪を着せられて大宰府に流され、当地で没しています。これは政治的に対立した藤原氏による他氏排斥が主な原因とされていますが、若い君主・醍醐天皇が父・宇多天皇以来の側近を煙たがって遠ざけた一面を考慮する余地はあるかもしれません。
西に視線を向けると、オスマン帝国のメフメト2世が父以来の大臣であるハリル・パシャを粛清した事例が挙げられるでしょう。メフメットが幼くして即位した際、一大事が起こると父セリムを復位させた経緯もあって、メフメットはハリルに反感を抱くようになったようです。ハリルはキリスト教世界を刺激しないようビザンツ帝国を温存する方向でしたが、メフメットはビザンツを完全征服し欧州へ勢力を伸ばす方針を選択しました。そしてビザンツ征服以後、ハリルは粛清されています。
これらの事例は有名ですし、御存じの方も多いでしょう。他にも似たようなケースは多いでしょうが、具体例はこの位にしておきましょう。
新たな君主にとってみれば、自分の息がかかった臣下で固めたいのは分かります。しかし、なぜわざわざ先代以来の家臣を失脚させてしまうのでしょうか?彼らが人材として有用であり、君主の地位の正統性を脅かす危険がないケースも多いにもかかわらず。
それを考える上で、少し毛色の異なる逸話を見てみましょう。古代中国、初めて統一をもたらした秦の始皇帝が死去すると天下は大乱に陥ります。この時、真っ先に反乱を起こし乱世の幕を開いたのが陳勝という人物でした。彼は農民出身でしたが、秦の政治の乱れに乗じて挙兵。一時は王を名乗るまでに至りました。さて、彼には若いころに「栄達しても互いの事は忘れまい」と言った旧友がいました。そして陳勝が王になったのを聞いて、その友人が訪ねてきたのです。最初は約束通り丁重に迎え入れた陳勝でしたが、やがて煙たくなったのか結局は彼を処刑してしまいます。その理由は、旧友のふるまい。すなわち、
という状況だったからのようで。なお、「シェブ」というのは著者・高島氏によれば故郷での陳勝の呼び名のようです。
確かに、陳勝の心理は理解できる気がします。別に王様でなくても現代日本人である我々も
という心理は健在。もう大人なのに恥ずかしい思いをさせられますよね。
といった証言も。こんな時、向こうに悪気はないのは分かっていても、「勘弁してください」という気分になったりしますよね。
思うに、君主が前世代からの重臣を失脚させることが多いのも、同様な心理が働くからかもしれません。重臣としては新しい主君を守り立てるつもりでも、やはり陳勝の旧友や年長の親戚のような「上から目線」に無意識のうちになってしまうものなのかも。主君としては、自分の威厳が脅かされるようで面白くないでしょう。失脚・粛清させてしまうのはやりすぎという見方はありうるにせよ、心情としては身につまされるレベルで理解できた気がします。
それを考えると、蜀漢の劉禅が父・劉備以来の老臣である諸葛亮を十年以上にわたり信任しその死後に至っても信頼を崩さなかった事実は、賞賛に値するのではないかと思います。劉禅は最終的に亡国の主君となったせいもあって世間的な評判は芳しくないのですが、なかなかの度量だとみるべきじゃないでしょうか。
【参考文献】
『日本大百科全書』小学館
『世界大百科事典』平凡社
『史記列伝』(一)(二) 小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳 岩波文庫
平田耿二『消された政治家菅原道真』文春新書
鈴木董『オスマン帝国』講談社現代新書
高島俊男『中国の大盗賊』講談社現代新書
佐々木倫子『動物のお医者さん8』花とゆめコミックス
陳寿 裴松之注『正史三国志5蜀書』井波律子訳 ちくま学芸文庫
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粛清の危険に直面しつつも上役を支えたナンバー2たちについては、社会評論社『世界ナンバー2列伝』でも取り上げています。
Amazon :『世界ナンバー2列伝』
楽天ブックス:『世界ナンバー2列伝』
セブンネット :『世界ナンバー2列伝』
・呉起:戦国時代の政治家・武将。魯で武功を挙げるが中傷にあい失脚し、魏の文侯に仕える。魏でも秦との戦いや西河の統治で功績を挙げるが、文侯死後の武侯時代に失脚。楚に亡命し悼王の保護下で政治改革を断行するも、悼王死後に反対派に暗殺された。
・商鞅:戦国時代の政治家。秦の孝公に仕え、厳しい法治主義に基づく中央集権国家を目指す改革を断行した。だが貴族層の反発を受けた事もあり、孝公死後に処刑された。
・楽毅:戦国時代の武将。燕の昭王に招かれて将軍となり、諸国連合軍を共に強敵・斉を破りその都を攻略した。その後も斉をほぼ征服するに至ったが、昭王が死去し恵王の時代になると解任される。楽毅は粛清を逃れるため趙に亡命した。
・呂不韋:戦国時代末の政治家。商人出身で、秦の王族・子楚が趙の人質となっているのに目をつけ、様々な手管を利用して彼を王太子の地位につけることに成功。彼が荘襄王として即位して以降、秦の政治を左右する。荘襄王の子・秦王政(後の始皇帝)の代にもしばらくは権勢を誇ったが、内乱に連座して失脚し自害に追い込まれた。
といったところが有名です。いずれも、引き立ててくれた王が没しその子が即位するとしばらくして地位を失っています。
日本でも、菅原道真の事例が思い浮かびます。彼は学者・官僚として名高く、宇多天皇によって引き立てられ次の醍醐天皇時代には右大臣にまで出生しています。しかし間もなく謀反の罪を着せられて大宰府に流され、当地で没しています。これは政治的に対立した藤原氏による他氏排斥が主な原因とされていますが、若い君主・醍醐天皇が父・宇多天皇以来の側近を煙たがって遠ざけた一面を考慮する余地はあるかもしれません。
西に視線を向けると、オスマン帝国のメフメト2世が父以来の大臣であるハリル・パシャを粛清した事例が挙げられるでしょう。メフメットが幼くして即位した際、一大事が起こると父セリムを復位させた経緯もあって、メフメットはハリルに反感を抱くようになったようです。ハリルはキリスト教世界を刺激しないようビザンツ帝国を温存する方向でしたが、メフメットはビザンツを完全征服し欧州へ勢力を伸ばす方針を選択しました。そしてビザンツ征服以後、ハリルは粛清されています。
これらの事例は有名ですし、御存じの方も多いでしょう。他にも似たようなケースは多いでしょうが、具体例はこの位にしておきましょう。
新たな君主にとってみれば、自分の息がかかった臣下で固めたいのは分かります。しかし、なぜわざわざ先代以来の家臣を失脚させてしまうのでしょうか?彼らが人材として有用であり、君主の地位の正統性を脅かす危険がないケースも多いにもかかわらず。
それを考える上で、少し毛色の異なる逸話を見てみましょう。古代中国、初めて統一をもたらした秦の始皇帝が死去すると天下は大乱に陥ります。この時、真っ先に反乱を起こし乱世の幕を開いたのが陳勝という人物でした。彼は農民出身でしたが、秦の政治の乱れに乗じて挙兵。一時は王を名乗るまでに至りました。さて、彼には若いころに「栄達しても互いの事は忘れまい」と言った旧友がいました。そして陳勝が王になったのを聞いて、その友人が訪ねてきたのです。最初は約束通り丁重に迎え入れた陳勝でしたが、やがて煙たくなったのか結局は彼を処刑してしまいます。その理由は、旧友のふるまい。すなわち、
宮殿の中を自由自在に歩きまわって、人をつかまえては昔のシェブのことを言いちらす。悪気ではないのだが、王様の威厳をそこなうこと甚だしい。
(高島俊男『中国の大盗賊』講談社現代新書 47頁)
という状況だったからのようで。なお、「シェブ」というのは著者・高島氏によれば故郷での陳勝の呼び名のようです。
確かに、陳勝の心理は理解できる気がします。別に王様でなくても現代日本人である我々も
もういい歳になったのに 子供の頃のことを 知っている人に あれこれ言われるのは 迷惑なものである
(佐々木倫子『動物のお医者さん8』花とゆめコミックス 11頁)
という心理は健在。もう大人なのに恥ずかしい思いをさせられますよね。
ドブにはまっただの 朝起きてくるといつも パジャマの右のズボンがあがってただの ハリマオの真似をしただの うるさい!!
でもそうなんですよね 子供のときの 失敗とか
小学校のときの文集とか いつまでも おぼえていて言う人が いるんですよね
(同書 12頁)
といった証言も。こんな時、向こうに悪気はないのは分かっていても、「勘弁してください」という気分になったりしますよね。
思うに、君主が前世代からの重臣を失脚させることが多いのも、同様な心理が働くからかもしれません。重臣としては新しい主君を守り立てるつもりでも、やはり陳勝の旧友や年長の親戚のような「上から目線」に無意識のうちになってしまうものなのかも。主君としては、自分の威厳が脅かされるようで面白くないでしょう。失脚・粛清させてしまうのはやりすぎという見方はありうるにせよ、心情としては身につまされるレベルで理解できた気がします。
それを考えると、蜀漢の劉禅が父・劉備以来の老臣である諸葛亮を十年以上にわたり信任しその死後に至っても信頼を崩さなかった事実は、賞賛に値するのではないかと思います。劉禅は最終的に亡国の主君となったせいもあって世間的な評判は芳しくないのですが、なかなかの度量だとみるべきじゃないでしょうか。
【参考文献】
『日本大百科全書』小学館
『世界大百科事典』平凡社
『史記列伝』(一)(二) 小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳 岩波文庫
平田耿二『消された政治家菅原道真』文春新書
鈴木董『オスマン帝国』講談社現代新書
高島俊男『中国の大盗賊』講談社現代新書
佐々木倫子『動物のお医者さん8』花とゆめコミックス
陳寿 裴松之注『正史三国志5蜀書』井波律子訳 ちくま学芸文庫
関連記事:
「『韓非子』のナンバー2観~宰相は王にとって警戒対象?~」
「王者と食欲~超人はなぜ大食い自慢をするのか~」
「戦国大名から見る世代交代の難しさ~当主急逝、後継者早世がもたらす混乱と衰亡~」
粛清の危険に直面しつつも上役を支えたナンバー2たちについては、社会評論社『世界ナンバー2列伝』でも取り上げています。
Amazon :『世界ナンバー2列伝』楽天ブックス:『世界ナンバー2列伝』
セブンネット :『世界ナンバー2列伝』
by trushbasket
| 2015-04-18 11:17
| NF








