新たな文化が「日本文化」として社会的地位・権威を確立するために~王朝文化・天皇の威力はやはり大きい~
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どうも、日本の文化というものは、平安朝の宮中文化、まあ俗に王朝文化の伝統というものですね、これとなんらかの意味で接触しないと完成しない。新しい文化の幕は、いろんな違った源泉から生まれてきますけれども、王朝文化がそれに対して最後の公認を与えるといいますか、ライセンスを与えるといいますか、その伝統をになった趣味が理解するようなところまで洗練されたときに、はじめて完成する。(『日本史探訪8南北朝と室町文化』角川文庫 119頁)
と述べています。日本文化について概観した上での発言と思われ、重みがありますね。そこで、今回はこれらの「伝統文化」と新興文化の関係について少し見てみたいと思います。
能:時の権力者・足利義満に寵愛され能の地位を向上させたのは世阿弥である事は有名ですね。彼は『源氏物語』『平家物語』『伊勢物語』や小野小町伝説といった王朝文学を題材にとりながら、王朝的な美意識を取り入れ能楽を洗練され文化的地位の確立に励んでいます。
茶道:茶道の大成者とされる千利休は、天皇の前で点前を行っています。なお「利休」の名はその時に与えられたものです。また、徳川初期には小堀遠州が庭園・茶室・道具に様々な王朝的美意識を取り入れたのは有名。古来より知られた和歌を題材に道具の名をつけたのは一例。
相撲:元祖を王朝の「相撲節会」に求め、王朝文化とのゆかりを主張。年寄名跡(引退した元力士などが指導的立場に立った際に名乗る名)にも古い和歌から取ったと思しきものが散見されています。例えば、「九重」「井筒」「音羽山」など。また好角家で知られた昭和天皇から下賜された金で、盃(賜盃)を作り優勝カップとして用いています。
落語:京都の露野五郎兵衛が後水尾天皇の皇女の前で落語を演じました。落語が和芸として社会的に確立しつつあった時期の事です。なお六代目三遊亭円生は香淳皇后の誕生祝として昭和天皇夫妻の前で『御神酒徳利』を演じています。
歌舞伎:九代目市川団十郎は演劇改良を行い「活歴」と呼ばれる歴史ものを開始するなど歌舞伎の地位向上に尽力しました。その中でもハイライトというべきものが明治天皇の前での上演だったとされています。
他には、戦後のプロ野球において天覧試合が重要イベントとして語り継がれている事例が連想されます。御存知の方も多いかと思いますが、昭和天皇が見守る中で読売ジャイアンツ(通称「巨人軍」)と大阪タイガース(現・阪神タイガース)の試合が行われ長嶋茂雄内野手が村山実投手からサヨナラ本塁打を放つ事で決着した試合の事です。読売ジャイアンツは球界の覇者というべき存在でしたが、当時において打倒巨人に執着したのは阪神のみであるはずもなく、当時最大のスター選手であった長嶋への対抗意識を燃やしたのは村山のみであったはずもありません。にもかかわらず阪神対巨人のカードが「伝統の一戦」と位置づけられ、長嶋のライバルと言えば村山と長く語り継がれたのは、この試合の影響は小さくないでしょう(戦前におけるライバル関係はあったにせよ)。またプロ野球が国民的娯楽として地位を確立しつつあった時期とこの天覧試合が重なっているのも恐らくは偶然ではないと思われます。
山﨑正和氏ではないですが、娯楽として出発した文化が日本社会において社会的公認を受けるに当たり重要な「手続き」は、王朝文化、それが失われた近代以降はその末裔たる天皇からの「お墨付き」を得る事なのかもしれない、という気が確かにしなくもない話でした。
【参考文献】
『日本史探訪8南北朝と室町文化』角川文庫
桑田忠親 『茶道の歴史』講談社学術文庫
柳亭燕路『子ども落語(一)』ポプラ社文庫
半藤一利『大相撲こてんごてん』文春文庫
井上章一『阪神タイガースの正体』太田出版
『日本大百科全書』小学館
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