2015年 06月 07日
足利直義の戦績を振り返ってみる~戦下手のイメージがあるけれど意外と…~
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足利直義といえば、足利政権初代将軍・尊氏の弟。尊氏を助け、政権運営に力量を発揮した重要人物です。しかしこの直義、軍事指揮官としては戦下手という評価が一部でなされています。僕自身もそんなイメージを持っていましたが、南北朝武将たちの行軍速度を検討した際に意外な一面が見えたりもしました。そこで今回は、直義が勝敗に大きな役割を与えた戦闘を列挙し、その戦績を検討してみたいと思います。
こうしてみると、思っていたよりは悪くありません。確かに、「名将」と呼べるレベルではないでしょう。そして、「戦上手」と称するのも難しいかもしれません。しかしながら、こうしてみると全体としてはまずまずの戦績と呼べるのではないでしょうか。
思うに、直義に「戦下手」のイメージがついた背景として、
しかし少なくとも兄・尊氏が手綱を引いている状態では大軍統率力もあり、猛将ぶりも発揮する貴重な指揮官といえるでしょう。尊氏としても、別働隊が必要な際にその指揮官がつとまるのは格から言っても直義以外にはなかったと思われます。そうしてみると、直義は政権樹立後は勿論、軍勢指揮という面においても尊氏の片腕というべき存在であった、という結論に落ち着きそうです。
【参考文献】
森茂暁『足利直義 兄尊氏との対立と理想国家構想』角川選書
『日本古典文学大系太平記』一~三 岩波書店
『京大本梅松論』京都大学国文学会
関連記事:
「『超高速!参勤交代』はどれだけ無茶か、行軍速度から考える~主に南北朝主要武将の事例から~」
「高師直」
「とある「弟」が兄の死後に見せた知られざる奮闘~北陸で一大勢力を築いた隠れた名将・脇屋義助~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「足利直義」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/tadayoshi.html)
その他の南北朝関連発表については、
「南北朝関連発表まとめ」
を御参照下さい。
中先代の乱:建武政権が成立すると、後醍醐天皇の皇子・成良を奉じて直義は鎌倉将軍府の執政として関東運営を行う。しかし北条残党が信濃で挙兵するとこれに大敗。この敗北で足利軍は細川頼貞・岩松経家・渋川義季・小山秀朝といった一族・幹部を多数失い、直義はいったん鎌倉を失陥し三河まで退いた。尊氏が出陣し鎌倉を奪回、これが足利氏自立への第一歩となる。
手越河原の戦い:関東で自立傾向を見せた足利氏に対し、後醍醐天皇は討伐命令を出す。天皇と正面から敵対するのを躊躇する尊氏が寺に籠っている中、直義は代わって出陣し新田義貞と戦う。しかし矢作川、鷺坂で足利軍は敗北。更に直義自身が指揮をとった手越河原でも敗れたため、直義は箱根に立てこもった。足利一族は危機に陥るが、直義を討たせまいと出陣した尊氏が竹ノ下で新田軍を破り形勢逆転する。総大将・尊氏に戦意がない状態で味方の士気に影響したのは想像に難くなく、相手の義貞も過小評価されがちだが十分に名将と呼んで差し支えない指揮官。直義が敗北したのは無理もないだろう。
豊島河原の戦い:竹ノ下の勝利に乗った足利軍は、新田軍を追撃する形で上洛。いったんは京を奪取するものの、朝廷軍の反撃を被って敗れ兵庫に逃れる。追撃する朝廷軍を、直義は軍勢を率いて迎え撃った。直義軍十六万、朝廷軍十万と『太平記』は伝える。実数はともかく、兵力比は大凡そのようなものだったとみておこう。直義は、北畠顕家・脇屋義助らと終日にわたり戦うが勝負がつかず。遅れて到着した朝廷方の楠木正成が夜闇に紛れて手勢を背後に廻したため、直義軍はかなわずとみて撤退。ここでは、直義は兵力の優位に助けられたとはいえ、勝ちに乗る北畠顕家・脇屋義助といった朝廷方の錚々たる面々を相手に一日こらえぬいている。その奮戦ぶりは評価に値するだろう。
多々良浜の戦い:尊氏が数の劣勢に気圧された一方で、直義は果敢に敵陣へ突撃する。これを見て尊氏も直義を討たせまいと力戦。風向きに助けられたり敵から寝返りが出たりといった要因もあり、逆転勝利。直義の勇戦が、勝利に大きく貢献した戦いと言える。
再上洛:大軍を率いて中国地方を東上。水軍を率いる兄・尊氏と連携しての進軍であった。水準以上の進軍速度を保ちつつ、福山や三石などを陥落させている。
湊川の戦い:楠木正成が率いる少数の軍勢に苦戦、一時は直義自身の身も危険であった。一見すると直義の手腕に関する印象を悪くする戦いである。だが、戦場が狭く大軍の展開に向かない地であった事や相手が生還を期さない「死兵」である事を考えると、この時をもって減点対象とするのは酷ではなかろうか。
打出浜の戦い:直義と高師直の内紛によって始まった「観応の擾乱」における戦い。直義側の武将である石塔義基・畠山国清が、尊氏と高師直らを破った。直義は八幡に本陣を置いていた。
薩多山の戦い:鎌倉に逃れた直義と、東海道を通じてこれを追ってきた尊氏との決戦。当初は数で勝っていた直義だが、地の利を占める尊氏を攻めあぐねた。関東で尊氏側が優勢となり、挟撃される格好となった直義は敗北した。敗れたとはいえ、相手の尊氏は当代屈指の名将である。この敗北を減点対象とするには及ばないであろう。
こうしてみると、思っていたよりは悪くありません。確かに、「名将」と呼べるレベルではないでしょう。そして、「戦上手」と称するのも難しいかもしれません。しかしながら、こうしてみると全体としてはまずまずの戦績と呼べるのではないでしょうか。
思うに、直義に「戦下手」のイメージがついた背景として、
・戦歴の最初である中先代の乱・手越河原と立て続けに敗北したことによって印象を悪くしたという要因が考えられそうです。
・これらの敗北が足利一門そのものを危険に曝したこと
・直義が敗北し尊氏が形勢逆転するというパターンを繰り返したこと
しかし少なくとも兄・尊氏が手綱を引いている状態では大軍統率力もあり、猛将ぶりも発揮する貴重な指揮官といえるでしょう。尊氏としても、別働隊が必要な際にその指揮官がつとまるのは格から言っても直義以外にはなかったと思われます。そうしてみると、直義は政権樹立後は勿論、軍勢指揮という面においても尊氏の片腕というべき存在であった、という結論に落ち着きそうです。
【参考文献】
森茂暁『足利直義 兄尊氏との対立と理想国家構想』角川選書
『日本古典文学大系太平記』一~三 岩波書店
『京大本梅松論』京都大学国文学会
関連記事:
「『超高速!参勤交代』はどれだけ無茶か、行軍速度から考える~主に南北朝主要武将の事例から~」
「高師直」
「とある「弟」が兄の死後に見せた知られざる奮闘~北陸で一大勢力を築いた隠れた名将・脇屋義助~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「足利直義」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/tadayoshi.html)
その他の南北朝関連発表については、
「南北朝関連発表まとめ」
を御参照下さい。
※2017/3/16 豊島河原の戦いを加筆。
足利直義については、社会評論社『世界ナンバー2列伝』で取り上げています。興味のある方は御参照下さい。
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足利直義については、社会評論社『世界ナンバー2列伝』で取り上げています。興味のある方は御参照下さい。
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セブンネット :『世界ナンバー2列伝』
by trushbasket
| 2015-06-07 15:34
| NF








