2015年 06月 21日
中国史における宿屋・茶屋・市・街道…~共同体と共同体、「この世」と「あの世」の境目~
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以前、「れきけん・とらっしゅばすけっと」での発表で聖地と呼ばれる場所は古来より現世と来世の境界線と見られていた事例が多いと述べました。
その他にも、そういった境界は結構あちこちにあり、例えば村の入り口や三叉路だの坂だのが同様な境界線とみなされているようです。自然地形で境界とみなされる場所は聖地とされるとして、人工物で境界線とみなされる場所にはどんな特徴があるのか、今回は中国史を題材に見てみます。
宿屋・茶館:
しばしば「鬼」(幽霊)が出ると『夷堅志』『聊斎志異』などに逸話が掲載される。四川では茶館を秘密結社が連絡拠点として経営しており、アウトローの根城となりうる事が分かる。『水滸伝』で好漢たちが茶店を開いて情報収集したり客を盛りつぶしたりする話を連想させる。
橋・市:
しばしば死刑場として利用された関係でやはり「鬼」に関する逸話が多い。『晋書』によれば呉郡で犬が毎晩橋の上で集り鳴き続けた怪異がありその直後に孫恩の乱。この橋・市の辺りもアウトローの活動拠点となりえた。日本でも事情は類似しており、渡河地点では舟橋がかけられ現地の豪族が通行を取り仕切っていた。このあたりは『水滸伝』に登場する町の顔役である穆弘・穆春や渡し守にして追い剥ぎの張横を連想させる。
これらの地点は共同体を超えて多くの人々が集う場所であり、共同体間の境界地域と呼ぶ事が出来ます。そうした共同体を超えた地点を侠客が活動拠点としていたようです。彼らは生業につかず、賭博を好み、邪教と関わったりしていました。近世以降は食人が一般世間の価値観に背く象徴として好まれ、彼らを相手として人肉を売りつける闇商人もいたそうです。前述の客を盛りつぶした宿屋の裏の顔です。彼らは裏世間の通り名として渾名を好んでつけていました。五代十国から見られるようになった傾向で、例えば李克用(唐末期の有力武将)は「独眼竜」、郭威(後周の建国者)が「郭雀児」、王建(前蜀の建国者)が「賊王八」。明末の反乱軍首領たちも馬守応が「老回回」、羅汝才が「曹操」といった具合。
人口の「境界」地域は共同体間の境界地域といえ、共同体に安住できない無頼が活動拠点としていました。そのため、現実問題として「あの世」への入り口になりかねない危険な場所でもあったのです。こうした無頼の姿を活写したのが『水滸伝』であり、事実として明末以降の無頼には『水滸伝』になぞらえた渾名をつける人物も多かったとか。上記からは『水滸伝』は近世における中国社会をよく描き出したものという事が実感できますね。
今回から得られる結論としては、
・人口の「境界」地点(三叉路、市、橋、宿など)は共同体を超えて多くの人々が集う場所。
・そうした地点は無頼の活動拠点となる。
・現世と来世の境界とも考えられているようで、怪談の舞台にもしばしばなる。
・無頼を含めた中国社会を知るためには『水滸伝』が有用。
という事が言えるように思います。日本など他地域ではどうなのか、更に情報が欲しいところです。
【参考文献】
相田洋著『橋と異人 境界の中国中世史』研文出版
高島俊男『中国の大盗賊』講談社現代新書
シブサワ・コウ編『水滸伝天導一〇八星好漢FILE』KOEI
齋藤慎一『中世を道から読む』講談社現代新書
関連記事:
「<読書案内>「水滸伝」入門用の推薦図書~中国をより理解するために~」
「いくつかの補足(「護良親王」「新田義貞」など)」
「古代・中世中国における、とある風俗紊乱への懸念~宿屋は猥雑、廃止すべし~」
※2015/6/30 過去記事リンクがされていない部分があったので修正しました。
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「自殺と往生」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/oujo.html)
その他にも、そういった境界は結構あちこちにあり、例えば村の入り口や三叉路だの坂だのが同様な境界線とみなされているようです。自然地形で境界とみなされる場所は聖地とされるとして、人工物で境界線とみなされる場所にはどんな特徴があるのか、今回は中国史を題材に見てみます。
宿屋・茶館:
しばしば「鬼」(幽霊)が出ると『夷堅志』『聊斎志異』などに逸話が掲載される。四川では茶館を秘密結社が連絡拠点として経営しており、アウトローの根城となりうる事が分かる。『水滸伝』で好漢たちが茶店を開いて情報収集したり客を盛りつぶしたりする話を連想させる。
橋・市:
しばしば死刑場として利用された関係でやはり「鬼」に関する逸話が多い。『晋書』によれば呉郡で犬が毎晩橋の上で集り鳴き続けた怪異がありその直後に孫恩の乱。この橋・市の辺りもアウトローの活動拠点となりえた。日本でも事情は類似しており、渡河地点では舟橋がかけられ現地の豪族が通行を取り仕切っていた。このあたりは『水滸伝』に登場する町の顔役である穆弘・穆春や渡し守にして追い剥ぎの張横を連想させる。
これらの地点は共同体を超えて多くの人々が集う場所であり、共同体間の境界地域と呼ぶ事が出来ます。そうした共同体を超えた地点を侠客が活動拠点としていたようです。彼らは生業につかず、賭博を好み、邪教と関わったりしていました。近世以降は食人が一般世間の価値観に背く象徴として好まれ、彼らを相手として人肉を売りつける闇商人もいたそうです。前述の客を盛りつぶした宿屋の裏の顔です。彼らは裏世間の通り名として渾名を好んでつけていました。五代十国から見られるようになった傾向で、例えば李克用(唐末期の有力武将)は「独眼竜」、郭威(後周の建国者)が「郭雀児」、王建(前蜀の建国者)が「賊王八」。明末の反乱軍首領たちも馬守応が「老回回」、羅汝才が「曹操」といった具合。
人口の「境界」地域は共同体間の境界地域といえ、共同体に安住できない無頼が活動拠点としていました。そのため、現実問題として「あの世」への入り口になりかねない危険な場所でもあったのです。こうした無頼の姿を活写したのが『水滸伝』であり、事実として明末以降の無頼には『水滸伝』になぞらえた渾名をつける人物も多かったとか。上記からは『水滸伝』は近世における中国社会をよく描き出したものという事が実感できますね。
今回から得られる結論としては、
・人口の「境界」地点(三叉路、市、橋、宿など)は共同体を超えて多くの人々が集う場所。
・そうした地点は無頼の活動拠点となる。
・現世と来世の境界とも考えられているようで、怪談の舞台にもしばしばなる。
・無頼を含めた中国社会を知るためには『水滸伝』が有用。
という事が言えるように思います。日本など他地域ではどうなのか、更に情報が欲しいところです。
【参考文献】
相田洋著『橋と異人 境界の中国中世史』研文出版
高島俊男『中国の大盗賊』講談社現代新書
シブサワ・コウ編『水滸伝天導一〇八星好漢FILE』KOEI
齋藤慎一『中世を道から読む』講談社現代新書
関連記事:
「<読書案内>「水滸伝」入門用の推薦図書~中国をより理解するために~」
「いくつかの補足(「護良親王」「新田義貞」など)」
「古代・中世中国における、とある風俗紊乱への懸念~宿屋は猥雑、廃止すべし~」
※2015/6/30 過去記事リンクがされていない部分があったので修正しました。
by trushbasket
| 2015-06-21 19:59
| NF








