時宗と熊野とハンセン病~小栗判官伝説から見る~
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中世日本で語られた物語の中に、「小栗判官」伝説というのがあります。その概要についてまずはお話しします。
常陸の豪傑・小栗判官は両親が毘沙門天に祈って生まれた子で武勇に優れていましたが破天荒な振舞も多い人物でした。彼は評判の美女・照手姫を妻としますが、照手の実家は判官の振舞に殺意を抱き、これをその家臣たちともども毒殺。照手も川に流されて殺されるところでしたが実家の家臣に助けられ逃がされます。一方、判官は家臣たちと共に地獄で閻魔大王に裁かれますが家臣たちの哀願もあり蘇生の機会が与えられ、顔がただれ痩せ衰え口も利けず足腰も立たない「餓鬼阿弥」として現世に帰る事になります。熊野本宮にある湯の峰温泉で湯治すれば本復すると言う事で、通りかかった時宗僧により土車で曳かれて熊野へ向かいます。判官は街道の人々にも助けられて土車の旅を進めますが、その際に遊女屋の下女となっていた照手も夫と知らず供養のため車を曳く。そうして湯の峰で回復した判官は、照手と再開して結ばれ繁栄したという物語です。
かつては時宗教団により広められ、説教節など話芸で語られ広く知られた物語ですが、現在ではなじみのない人も多い方と思います。浄瑠璃などにもなり長く語られており、多くの人々の感動を呼んだ者だと想像されます。この物語中で「餓鬼阿弥」として蘇生した判官の姿が、当時の人々から見たハンセン病を示唆するものではないかという説もあるようです。
そうしたハンセン病患者に対し忍性が「北山十八間戸」を設立して救済したのは知られていますが、同じく鎌倉期・足利期において救済に積極的だったのが小栗判官伝説にも登場した時宗でした。時宗は集団で各地を遊行し、踊念仏を催しました。その際には、多くの飲食物などが施行として持ち込まれ、持ち込む事が施主の功徳とされました。施行の品は集まった人々に配られたのであり、食を乞う生活を余儀なくされていたハンセン病患者も時宗一行についていけば食にありつけ生活が可能だったのです。更に、時宗の融通念仏に結縁すると、前世の罪が消えて来世は極楽浄土に生まれることが出来ると信じられていましたから、精神的な救済も果たされたわけです。
さて、当時は滅罪の苦行として熊野詣が広く行なわれており、時宗もまた熊野権現を時宗擁護の神として尊崇していました。これは一遍が早くから念仏の札を人々に配って遊行の生計を立てていましたが、熊野三山に参詣した際にある僧に受け取りを拒否されて悩むこととなり本宮で熊野権現から「信不信をえらばず、浄不浄をきらわず、その札をくばるべし」と夢告を受けて迷いが消えたという逸話に由来します。この時から念仏札は「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」と記され極楽往生を願う祈りでなく既に往生が約束された感謝の祈りに質が変わっていくのであり、一遍の悟りにおいて決定的な場面といえます。そのため時宗は各地に熊野信仰を広めており、現在の研究者が地方に熊野社を見るとそこにかつて時宗寺院があったのではないかと推測するほどであるといいます。そして一遍への夢告から、熊野権現は不浄を嫌わない神であるという伝承が広められるようになりました。
こうした中で、ハンセン病患者たちからも来世への救済を求めて熊野詣を志す者が多く現れました。穢れに対して神経質であった神の中で熊野権現は不浄をも厭わないとされていたわけですから、不浄とされ差別された患者たちにとっては頼みの綱でした。熊野詣をすれば、たとえ途中で倒れてもその功徳で往生できると言われていましたから、苦難をものともしなかった事でしょう。加えて、「小栗判官」の話が広まった後には湯の峰温泉で湯治する事で奇跡の回復が起こるかもしれない、という一縷の希望も抱いたであろうことは想像に難くありません。
病が進んで足腰が立たなくなった者も多くいましたが、彼等もまた土車に乗り路行く人に引かれて進みました。こうした土車を一回引くと千僧供養、二回引けば万僧供養に匹敵する功徳があると時宗僧らは唱えました。因みに千僧供養・万僧供養とは数多くの僧に施行する事であり、供養の中で最も功徳の大きいものとされていました。険しい路も多く、自力で進めない患者たちにとってこれは大きな助けであった事でしょう。こうした小さな善行の積み重ねが、彼等を「救済の地」熊野に導いていたのでしょう。
人間社会には、人間そのものが嫌になるような陰鬱な悪意の話がたくさんあります。人生そのものが嫌になるような辛いことも数多く存在します。かく言う僕だって悪意やら差別意識やらにとらわれつつ生活しています。それでも、眼を背けたくなるような過酷な環境の中でも、名も知らぬ人々の小さな善意が積み重なって救済への役に立った事もあった。それを思うと、人間やっぱり捨てたものじゃないのかもしれません。
【参考文献】
『日本大百科全書』 小学館
五来重『熊野詣』 講談社学術文庫
梅谷繁樹『捨聖・一遍上人』 講談社現代新書
黒田俊雄『日本の歴史8蒙古襲来』 中公文庫
近藤ようこ『説教小栗判官』 ちくま文庫
荒木繁・山本吉左右編『説教節 山椒太夫・小栗判官他』 平凡社東洋文庫
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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「日本前近代医学史」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2000/000602.html)
「南北朝時代の時宗」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/jishu.html)
関連サイト:
「熊野本宮観光協会」(http://www.hongu.jp/)より
「熊野信仰と小栗判官伝説」(http://www.hongu.jp/kumanokodo/shinkou/ogurihangan/)
「時宗総本山 遊行寺ホームページ」(http://www.jishu.or.jp/)
「日本財団」(http://www.nippon-foundation.or.jp/)より
「ハンセン病とは」(http://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/leprosy/about/)