2015年 08月 21日
茶人の逸話から見る失敗時の心得~やらかしは誰でもする、大事なのはリカバリー~
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「弘法も筆の誤り」なんて言葉があるように、誰でも失敗はします。茶の湯の世界は、作法やしきたりに厳しいイメージがありますが、それでもこの点に関しては例外でないようです。そこで、今回は有名な茶人の逸話から、失敗した時にどうしたか、それがどう評価されたかを見ていきましょう。
徳川初期の有名な大名茶人に、片桐石州という人物がいます。大和小泉の領主であり、更に小堀遠州の後をうけて徳川将軍家の茶道師範を務めました。その結果、石州の作法を諸大名も習得するようになったといいます。
石州が領国に滞在していた時の事。領内の町衆にも茶の湯を好む人々は少なからずおり、彼らが石州の茶席に招かれることを強く希望しました。石州はこれに快く応じ、彼らを招待します。その席で懐石料理の一品として青竹の串に刺した田楽豆腐が出されました。客人たちはこれをおいしくいただいたのは良かったのですが、その後に困惑することに。というのも、彼らは次のように考えていたからです。「出されたからには全てを頂戴するのが作法であり、串と言えど器に残すのは失礼にあたる」、と。そこで、悩んだ末に皆は串を懐中に収めることとしたのです。
茶会が終わった後で客たちが石州に挨拶をした際、石州は皆の客振りをまずは見事と褒めたのち、「特に、ご一同はよほど歯が丈夫とみえて、田楽の串まで一本残らず食べてくださったのは、亭主にとってはまことに喜ばしい限りでした」(『茶の湯便利手帳4茶の湯人物事典 略伝・ことば・逸話』世界文化社 47頁)と一言。これを聞いて正客は、串は返すべきだったのだと悟りましたが時すでに遅し。やむなく「本来はお返しするところを、寸法といい削りぐあいといい、みごとな細工でございましたから、ぜひとも手本にしたいと思いまして、皆で相談して懐中いたしました」(同書 同頁)と答えたそうです。この返答に対し、石州は茶人たる者はそうありたいものと機嫌よく返したとか。この正客の返答に対しては、ほぼ同時代の有名茶人である山田宗徧も高く評価しています。なお、本来の串の扱い方ですが、拭ってから膳の点前において膳を返す際に箸と共にそろえるのが正しいのだそうです。
話は変わって。徳川御三家の一つ、紀州徳川家の祖は家康の十男・頼宣という人物です。彼は茶の湯にも熱心で、表千家の江岑宗左を召し抱えしばしば茶会を催したといいます。石州の次は、頼宣の逸話を見てみましょう。
頼宣は父・家康から天下無双の墨蹟(禅僧の手による書のこと)である「不動斬」を拝領していました。この墨蹟は南宋の偉大な禅僧・虚堂智愚の手によるものだそうで。ある時、徳川政権の老中たちはその墨跡を拝見したいと頼宣に申し出ました。その依頼を受けた頼宣は、老中たちを茶会に招待します。
さて茶会当日、老中たちが茶席に入ったのを受けて挨拶に出た頼宣は、とんでもない事に気づきます。床の間にかかっていたのは、肝心の虚堂墨跡ではなく別の掛物だったのです。とんだ手違いに驚いた頼宣ですが、ともかくその場は何食わぬ顔で退きます。そして家臣に老中たちの前で次のように言わせたそうです。
「皆様方がご所望の墨蹟は、東照君より大納言がお手ずから拝領した名品でございます。そのような名品をはじめから掛けておきますのは、勿体ないことと存じます。さすれば、最初は素床のままで、ご一同様がお席入りののちに大納言様にご自身で掛けていただくことにしておきました。さりながら、お席入りのときに素床では、茶の湯のしきたりにもとると気がつきまして、別の掛物を用意しておきました。ただいまから大納言様が御自身でお掛けになりますので、いましばらくお待ちいただきとうございます」(同書 190頁)
老中たちもこれを聞いて納得し、先に宣言した通りに頼宣が自ら墨蹟を掛けたことで老中たちの墨蹟への印象はより強いものとなったそうです。
厳格とされる茶の湯の世界でも、以上の逸話を見る限り、作法や手順などで失敗をしたとしてもその後の対応が見事であればかえって高く評価されたりするようですね。ここでは紹介しませんが、他にも、失敗でないにせよ不測の事態に対しとっさの対応が見事であったため評価された茶人の逸話はちらほらあるようです。
失敗は誰でもする、不測の事態は誰にでも起こりうる。大事なのはその後のリカバリー。茶の湯の世界だけでなく、一般世間においても通用しそうな結論です。なお、その際には、とっさの機智は勿論の事、何よりも相手や道具などに敬意を払い立てる心構えが重要だということも読み取れそうです。
【参考文献】
『茶の湯便利手帳4茶の湯人物事典 略伝・ことば・逸話』世界文化社
『日本大百科全書』小学館
『世界大百科事典』平凡社
関連記事:
「最初の動機は不純でもかまわない、大事なのはその後です~「黒田官兵衛、茶の湯に目覚める」の巻~」
「茶道具の価値づけ方から見る、文化に接する上での心得~文脈を理解し、最終的には価値観と眼力で~」
「戦後に活躍した「数寄者」たち~あの実業家も実は茶人だ~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「徳川期の茶の湯」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/tokucha.html)
「引きこもりニート列伝その18 劉邦」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet18.html)
失敗した後のリカバリーに優れていたとされる人物です。
徳川初期の有名な大名茶人に、片桐石州という人物がいます。大和小泉の領主であり、更に小堀遠州の後をうけて徳川将軍家の茶道師範を務めました。その結果、石州の作法を諸大名も習得するようになったといいます。
石州が領国に滞在していた時の事。領内の町衆にも茶の湯を好む人々は少なからずおり、彼らが石州の茶席に招かれることを強く希望しました。石州はこれに快く応じ、彼らを招待します。その席で懐石料理の一品として青竹の串に刺した田楽豆腐が出されました。客人たちはこれをおいしくいただいたのは良かったのですが、その後に困惑することに。というのも、彼らは次のように考えていたからです。「出されたからには全てを頂戴するのが作法であり、串と言えど器に残すのは失礼にあたる」、と。そこで、悩んだ末に皆は串を懐中に収めることとしたのです。
茶会が終わった後で客たちが石州に挨拶をした際、石州は皆の客振りをまずは見事と褒めたのち、「特に、ご一同はよほど歯が丈夫とみえて、田楽の串まで一本残らず食べてくださったのは、亭主にとってはまことに喜ばしい限りでした」(『茶の湯便利手帳4茶の湯人物事典 略伝・ことば・逸話』世界文化社 47頁)と一言。これを聞いて正客は、串は返すべきだったのだと悟りましたが時すでに遅し。やむなく「本来はお返しするところを、寸法といい削りぐあいといい、みごとな細工でございましたから、ぜひとも手本にしたいと思いまして、皆で相談して懐中いたしました」(同書 同頁)と答えたそうです。この返答に対し、石州は茶人たる者はそうありたいものと機嫌よく返したとか。この正客の返答に対しては、ほぼ同時代の有名茶人である山田宗徧も高く評価しています。なお、本来の串の扱い方ですが、拭ってから膳の点前において膳を返す際に箸と共にそろえるのが正しいのだそうです。
話は変わって。徳川御三家の一つ、紀州徳川家の祖は家康の十男・頼宣という人物です。彼は茶の湯にも熱心で、表千家の江岑宗左を召し抱えしばしば茶会を催したといいます。石州の次は、頼宣の逸話を見てみましょう。
頼宣は父・家康から天下無双の墨蹟(禅僧の手による書のこと)である「不動斬」を拝領していました。この墨蹟は南宋の偉大な禅僧・虚堂智愚の手によるものだそうで。ある時、徳川政権の老中たちはその墨跡を拝見したいと頼宣に申し出ました。その依頼を受けた頼宣は、老中たちを茶会に招待します。
さて茶会当日、老中たちが茶席に入ったのを受けて挨拶に出た頼宣は、とんでもない事に気づきます。床の間にかかっていたのは、肝心の虚堂墨跡ではなく別の掛物だったのです。とんだ手違いに驚いた頼宣ですが、ともかくその場は何食わぬ顔で退きます。そして家臣に老中たちの前で次のように言わせたそうです。
「皆様方がご所望の墨蹟は、東照君より大納言がお手ずから拝領した名品でございます。そのような名品をはじめから掛けておきますのは、勿体ないことと存じます。さすれば、最初は素床のままで、ご一同様がお席入りののちに大納言様にご自身で掛けていただくことにしておきました。さりながら、お席入りのときに素床では、茶の湯のしきたりにもとると気がつきまして、別の掛物を用意しておきました。ただいまから大納言様が御自身でお掛けになりますので、いましばらくお待ちいただきとうございます」(同書 190頁)
老中たちもこれを聞いて納得し、先に宣言した通りに頼宣が自ら墨蹟を掛けたことで老中たちの墨蹟への印象はより強いものとなったそうです。
厳格とされる茶の湯の世界でも、以上の逸話を見る限り、作法や手順などで失敗をしたとしてもその後の対応が見事であればかえって高く評価されたりするようですね。ここでは紹介しませんが、他にも、失敗でないにせよ不測の事態に対しとっさの対応が見事であったため評価された茶人の逸話はちらほらあるようです。
失敗は誰でもする、不測の事態は誰にでも起こりうる。大事なのはその後のリカバリー。茶の湯の世界だけでなく、一般世間においても通用しそうな結論です。なお、その際には、とっさの機智は勿論の事、何よりも相手や道具などに敬意を払い立てる心構えが重要だということも読み取れそうです。
【参考文献】
『茶の湯便利手帳4茶の湯人物事典 略伝・ことば・逸話』世界文化社
『日本大百科全書』小学館
『世界大百科事典』平凡社
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「最初の動機は不純でもかまわない、大事なのはその後です~「黒田官兵衛、茶の湯に目覚める」の巻~」
「茶道具の価値づけ方から見る、文化に接する上での心得~文脈を理解し、最終的には価値観と眼力で~」
「戦後に活躍した「数寄者」たち~あの実業家も実は茶人だ~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「徳川期の茶の湯」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/tokucha.html)
「引きこもりニート列伝その18 劉邦」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet18.html)
失敗した後のリカバリーに優れていたとされる人物です。
by trushbasket
| 2015-08-21 18:56
| NF








