「侍」の語義変遷について~「ファーストサムライ」から「ラストサムライ」まで?~
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関連サイト:
「ゲームカタログ@Wiki」(http://www26.atwiki.jp/gcmatome/pages/1.html)より
「ファーストサムライ」(http://www26.atwiki.jp/gcmatome/pages/2157.html)
「ニコニコ大百科」(http://dic.nicovideo.jp/)より
「ファーストサムライとは」(http://dic.nicovideo.jp/a/ファーストサムライ)
このように、かくも日本のイメージと結びついた「サムライ」という言葉。その由来と意味の変遷を、少し辞書類を参照しつつおってみようかと思います。
「さむらい」は「さぶらふ」という言葉から来ているのは、御存知の方も多いでしょう。従来はこの言葉通り、貴人に仕える人を意味し、表記も「さぶらい」または「さぶらひ」であったそうです。古代からそれに近い用法はあったようで、『日本書紀』に「侍人(さぶらいびと)」という言葉が記されていたとか。平安期になると、皇后・中宮や親王・摂関・大臣など皇族・上級貴族に近侍して雑用・家務を行う人々を「侍」と呼ぶようになりました。彼らは五位・六位の位を持つ者が多かったそうで。
平安中期になると、貴人たちを武勇で護衛する人々をも指すようになります。宮中を守護する滝口、院(上皇)を警固する北面、皇太子を守る帯刀などがそれに相当します。彼らは地方豪族出身が多く、やがてはその武力を背景に社会的実力を向上させていったのは皆様よく御存知のとおり。
鎌倉政権が成立した後は、政権と主従関係を結んだ御家人を中心とした有力地方豪族を意味する言葉にもなりました。彼らは烏帽子の着用や鎌倉中での帯刀、犯罪嫌疑を受けた際の体刑免除などを認められており、「凡下」と呼ばれた庶民の人々とは区別された特権階級とみなされていました。もっとも、時代が下ると「凡下」の人々からも、「侍」に仕えるなどで社会的身分を上昇させ「侍」に準ずる「侍品(さぶらいぼん)」と呼ばれるようになる存在が続出したそうです。
当初は上記のように「さぶらい」と呼んでいましたが、徳川期には「さむらい」という言い方が広まったようで旗本以上、あるいは各藩の中小姓以上である上級武士を意味する事が多かったようです。時には、武士身分一般の通称でもあったそうですね。
かつて存在し我が国を長く支配した武士への幻影。そしてそれへの憧憬。それが、国内外を問わず日本=「サムライ」というイメージの背景にあると考えてよさそうです。思えば、近代になり武士身分が存在しなくなった後にも、「さむらい」という言葉は「気骨のある人」といった意味合いで使われる事があるのは、御存知の方も多いかと。これも、かつて存在した武士への憧れを反映した用法の一つといえるかもしれません。
【参考文献】
『世界大百科事典』平凡社
『日本大百科全書』小学館
『大辞泉』小学館
『大辞林』三省堂
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「忍者って何じゃ?~「忍者」イメージの成長と受容~」
サムライと並んでニンジャも我が国のイメージとして根強く存在します。
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「軍事史概説 戦略と戦術の東西文明五千年史」
我が国の前近代軍事史において「サムライ」が無視できないのは言うまでもないでしょう。
※2015/9/26
投稿してから気づいたのですが、過去記事を改めて見直すとかつてMyがこんな記事↓を書いてました。
「サムライとナデシコの意味を歴史的に調べてみよう」
すっかり忘れてた。しかも、内容がかなりかぶってます、お恥ずかしい。まあ、追加情報がないわけじゃないし、今回はもう敢えてこのままにしておきます。面目ない。