2015年 11月 15日
横綱の威信を示す二人組、「露払い」と「太刀持ち」について~附:後醍醐天皇はやはり規格外の帝王~
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大相撲も、一年おさめの九州場所が始まり、今日で中日。ところで、横綱土俵入りの際に横綱に「露払い」「太刀持ち」と呼ばれる二人の力士が同伴しているのは御存じの方も多いでしょう。そこで今回は、この「露払い」と「太刀持ち」について、少しお話してみようかと。
まずは、露払いについて。露払いというのは、横綱の前を先導する力士で、太刀持ちとは異なり素手で入場します。元来は、蹴鞠を行うに先立ち、懸(かかり)すなわち蹴鞠会場の四隅にある木々にあらかじめ鞠を蹴り上げ、その露を落としておく役割の人物を指しました。懸の木々は、北東が桜、南東が柳、北斉に松、南西に楓という取り合わせだったそうです。
なぜそのような事をするかといえば、貴人の身に露が降りかかるのはタブーと考えられていたからだとか。天皇・皇帝ともなれば、露だけでなく塵もかかってはならないものとされていたそうで、通る予定の道筋は何度も事前に清められていたそうです。もっとも、緊急事態となるとそうもいってられず、たとえば反乱軍から逃れる時などは塵にまみれる羽目になる訳で。帝王が逃亡する事を「蒙塵」と呼ぶのは、それに由来するそうです。
ですから例えば、14世紀前半に後醍醐天皇が笠置で鎌倉政権に対し挙兵し敗れて逃れる最中の
という出来事は、当時の考えとしては一大事であった、ということになりますね。もっとも、この後醍醐天皇は露や塵どころか、イカまみれになった経歴もあったりするようで。ついでに、そのあらましについても述べておきましょう。
笠置から逃れようとするも結局、後醍醐一行は鎌倉方に捕えられます。そして、後醍醐は隠岐へ流されました。しかし後醍醐はあきらめず、味方と連絡をとり脱出に成功。この時、逃亡する船にばれないよう工作をしたのです。その結果、敵方の捜索隊が怪しんで近づいてきた際も
といった感じで追手の眼を誤魔化す事が出来たのだとか。敵の手から逃れるためとはいえ、イカ満載の容器に身を隠した帝王は日本史上で後醍醐くらいではないかと思います。改めて、行動力やら色々な点で型破りというか規格外な天皇ですね。なお、当時においてイカは隠岐周辺で大量に獲れ名物として知られていたという話も。
…だいぶ話が逸れました。横綱関連の話題に戻りましょう。こうした考えから、貴人の先導をする人を転じて「露払い」と呼ぶようになりました。
次は、太刀持ちについて。太刀持ちは、名の通り太刀を片手に持って横綱の後ろに付き従う力士です。元来は、将軍や大名、奉行といった上級武士に付き従い、主君にあたる彼ら上級武士の太刀を捧げ持って付き従う存在を指しました。多くは小姓がこの役目を務めており、袱紗をもって太刀の鞘尻近くを包みたてに持つのが通例です。横綱の太刀持ちも、それに準じています。力士は帯刀を許される士分格であったため拝領の刀を持たせて土俵入りしたとも伝えられますが、それには疑問があるという意見もあるようです。詳細は下記リンク先を御参照下さい。
関連サイト:
「相撲評論家之頁」(http://tsubotaa.la.coocan.jp/index.html)より
「太刀持ち・露払い」(http://tsubotaa.la.coocan.jp/yokoki/yokoki32.html)
横綱の露払い・太刀持ちがどのような経緯で生まれ今の形になったのかは、結局のところよく分からないところも多いようですね。ただ、いずれにせよ、貴人になぞらえてチャンピオンたる横綱の威信を高める目的で存在しているのは間違いなさそうです。
【参考文献】
『大辞泉』小学館
『大辞林』三省堂
陳舜臣『弥縫録』中公文庫
半藤一利『大相撲こてんごてん』文春文庫
兵藤裕己校注『太平記 一』岩波文庫
物集高量校註『校註日本文学叢書10 神皇正統記 梅松論 読史余論』広文庫刊行会
関連記事:
「近代大相撲と力士の素行~今の角界はだいぶ品行方正です~」
「はっけよい、のこったのこった~イケメン業平の意外な一面~」
「後醍醐天皇の隠岐における配流地は~島前か島後か~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「後醍醐天皇」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2001/010706.html)
まずは、露払いについて。露払いというのは、横綱の前を先導する力士で、太刀持ちとは異なり素手で入場します。元来は、蹴鞠を行うに先立ち、懸(かかり)すなわち蹴鞠会場の四隅にある木々にあらかじめ鞠を蹴り上げ、その露を落としておく役割の人物を指しました。懸の木々は、北東が桜、南東が柳、北斉に松、南西に楓という取り合わせだったそうです。
なぜそのような事をするかといえば、貴人の身に露が降りかかるのはタブーと考えられていたからだとか。天皇・皇帝ともなれば、露だけでなく塵もかかってはならないものとされていたそうで、通る予定の道筋は何度も事前に清められていたそうです。もっとも、緊急事態となるとそうもいってられず、たとえば反乱軍から逃れる時などは塵にまみれる羽目になる訳で。帝王が逃亡する事を「蒙塵」と呼ぶのは、それに由来するそうです。
ですから例えば、14世紀前半に後醍醐天皇が笠置で鎌倉政権に対し挙兵し敗れて逃れる最中の
木陰に立ち寄らせ給ひければ、下露のはらはらと御袂に懸かりける(兵藤裕己校注『太平記 一』岩波文庫 159-160頁)
という出来事は、当時の考えとしては一大事であった、ということになりますね。もっとも、この後醍醐天皇は露や塵どころか、イカまみれになった経歴もあったりするようで。ついでに、そのあらましについても述べておきましょう。
笠置から逃れようとするも結局、後醍醐一行は鎌倉方に捕えられます。そして、後醍醐は隠岐へ流されました。しかし後醍醐はあきらめず、味方と連絡をとり脱出に成功。この時、逃亡する船にばれないよう工作をしたのです。その結果、敵方の捜索隊が怪しんで近づいてきた際も
敵御船を見たれば、烏賊と言ふ物にて、玉体を埋め隠し奉る程に、是れをば思ひよらず、疑ふべきに有らずとて、兵船ども漕過ぎけるこそ目出たけれ。(物集高量校註『校註日本文学叢書10 神皇正統記 梅松論 読史余論』広文庫刊行会のうち『梅松論』 20頁)
といった感じで追手の眼を誤魔化す事が出来たのだとか。敵の手から逃れるためとはいえ、イカ満載の容器に身を隠した帝王は日本史上で後醍醐くらいではないかと思います。改めて、行動力やら色々な点で型破りというか規格外な天皇ですね。なお、当時においてイカは隠岐周辺で大量に獲れ名物として知られていたという話も。
…だいぶ話が逸れました。横綱関連の話題に戻りましょう。こうした考えから、貴人の先導をする人を転じて「露払い」と呼ぶようになりました。
次は、太刀持ちについて。太刀持ちは、名の通り太刀を片手に持って横綱の後ろに付き従う力士です。元来は、将軍や大名、奉行といった上級武士に付き従い、主君にあたる彼ら上級武士の太刀を捧げ持って付き従う存在を指しました。多くは小姓がこの役目を務めており、袱紗をもって太刀の鞘尻近くを包みたてに持つのが通例です。横綱の太刀持ちも、それに準じています。力士は帯刀を許される士分格であったため拝領の刀を持たせて土俵入りしたとも伝えられますが、それには疑問があるという意見もあるようです。詳細は下記リンク先を御参照下さい。
関連サイト:
「相撲評論家之頁」(http://tsubotaa.la.coocan.jp/index.html)より
「太刀持ち・露払い」(http://tsubotaa.la.coocan.jp/yokoki/yokoki32.html)
横綱の露払い・太刀持ちがどのような経緯で生まれ今の形になったのかは、結局のところよく分からないところも多いようですね。ただ、いずれにせよ、貴人になぞらえてチャンピオンたる横綱の威信を高める目的で存在しているのは間違いなさそうです。
【参考文献】
『大辞泉』小学館
『大辞林』三省堂
陳舜臣『弥縫録』中公文庫
半藤一利『大相撲こてんごてん』文春文庫
兵藤裕己校注『太平記 一』岩波文庫
物集高量校註『校註日本文学叢書10 神皇正統記 梅松論 読史余論』広文庫刊行会
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「はっけよい、のこったのこった~イケメン業平の意外な一面~」
「後醍醐天皇の隠岐における配流地は~島前か島後か~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「後醍醐天皇」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2001/010706.html)
by trushbasket
| 2015-11-15 22:28
| NF








