2015年 12月 05日
権威者であっても無批判に受け取るな、という話~高山右近、千利休に振る舞いの意味を尋ねる~
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少なからぬ人間は、権威に弱いものです。その道で「権威」とされている人の言動や行動は、ついそのまま正しいものとして受け取ってしまいがち。まあ、人間の処理能力には限りがありますから、ある程度はやむを得ないといいますかある程度合理的な事ではありますが。ただ、何も考えずそのまま受け入れるのではなく、理由を出来る範囲で探り受け入れるべきかどうか自分の頭で一度は考えたほうが良い、とも思います。今回は、茶の湯に関する逸話からそういったお話を。
茶の湯の大成者といえば、千利休であると多くの方はお答えになるかと思います。その利休が茶会を催した時の事。多くの客を迎えた利休は、茶を点てるべく茶碗に湯を入れた後、水指の水を柄杓でいっぱいにくんで釜に注ぎ込みました。
これは本来の作法にはない行いだったのですが、そこは茶の湯の権威である利休による振る舞い。人々は以後、これを真似るようになり大いに流行したそうです。
しかし、それに疑問を持ったのが高山右近でした。彼はキリシタン大名としても有名ですが、それだけでなく利休七哲にも数えられる高名な茶人。右近はこの流行を鵜呑みにすることなく、師・利休に振る舞いの意味合いを直接尋ねたのです。すると利休は、
と右近の率直さを褒めたということです。予想外に客が多かったため、当初から釜に入っていた湯の量では足りなくなったから応急処置、ということだったわけですね。
流石に利休だけあってちゃんと意味のある行動だったわけですが、それでも「利休がやっていたことだから」とそのまま何も考えず受け入れるのはどうか、という話ですね。これは、何事でも言える事ではあるでしょう。
【参考文献】
『茶の湯便利手帳4茶の湯人物事典 略伝・ことば・逸話』世界文化社
『日本大百科全書』小学館
関連記事:
「茶人の逸話から見る失敗時の心得~やらかしは誰でもする、大事なのはリカバリー~」
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茶の湯の大成者といえば、千利休であると多くの方はお答えになるかと思います。その利休が茶会を催した時の事。多くの客を迎えた利休は、茶を点てるべく茶碗に湯を入れた後、水指の水を柄杓でいっぱいにくんで釜に注ぎ込みました。
これは本来の作法にはない行いだったのですが、そこは茶の湯の権威である利休による振る舞い。人々は以後、これを真似るようになり大いに流行したそうです。
しかし、それに疑問を持ったのが高山右近でした。彼はキリシタン大名としても有名ですが、それだけでなく利休七哲にも数えられる高名な茶人。右近はこの流行を鵜呑みにすることなく、師・利休に振る舞いの意味合いを直接尋ねたのです。すると利休は、
「あの日は客が多かったうえに、不意の客まで来たために、湯を改めるかわりに水をさしただけだった。それ以上の深いわけはなかった。だからあえて自分からは言わなかったが、よくぞ聞いてくれた」(『茶の湯便利手帳4茶の湯人物事典 略伝・ことば・逸話』世界文化社 153頁)
と右近の率直さを褒めたということです。予想外に客が多かったため、当初から釜に入っていた湯の量では足りなくなったから応急処置、ということだったわけですね。
流石に利休だけあってちゃんと意味のある行動だったわけですが、それでも「利休がやっていたことだから」とそのまま何も考えず受け入れるのはどうか、という話ですね。これは、何事でも言える事ではあるでしょう。
【参考文献】
『茶の湯便利手帳4茶の湯人物事典 略伝・ことば・逸話』世界文化社
『日本大百科全書』小学館
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by trushbasket
| 2015-12-05 11:56
| NF








