茶の湯の逸話から見る戦国武将の一面 ~剛毅な英雄でも熱いものは熱い~
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蒲生氏郷(1556-1595)という人物がいます。織田信長から見込まれて娘婿となり、信長や豊臣秀吉の下で武功をあげ豊臣政権では会津若松92万石の大大名となった傑物です。彼は武人にとどまらず和歌や連歌にも通じた教養人で、更に茶の湯においても利休七哲の筆頭に数えられています。利休が秀吉の勘気に触れ死に追いやられた後も、利休の子・少庵を保護していますから義理堅く気骨ある人物なのがわかります。
その氏郷が、主君・秀吉から茶に招かれた時の事。懐石料理が振舞われた後に炭手前が行われました。要は、茶を点てるための湯を沸かすべく炭火が用いられている訳ですが、そのための炭が客人の前で配置されたのです。氏郷は客として作法にのっとり、済の配置を拝見すべく覗き込みました。ところがその時。炭火がパチパチと音を立てて跳ね上がり、氏郷の顔面を直撃。
…読んでいるだけでこっちが「熱っ!」と言いたくなるような話ですが、氏郷は表情一つ変えず拝見を続けました。流石ですね。百戦錬磨の戦国武将ともなると、この程度の熱さなど問題でないのでしょうか?
さて、これを見ていたのが水屋(茶室の厨房)にいた秀吉。彼は氏郷の豪胆さに感銘を受け、会津若松の領主として取り立てる事を決めたのだそうです。…やっぱり、いかに戦国の勇者たちとはいえ、やっぱりこれは熱がるのが普通なんですね。何となくちょっと安心。
次に取り上げるのは、戦国最後の勝者となった徳川家康(1542-1616)。彼が奥州の伊達政宗を客として茶会を催した時の事。家康は釜から湯を汲むべく、左手に柄杓を構え右手で釜の蓋を開けようとしました。ところが釜の蓋は非常に熱くなっており、家康は思わず手を引っ込めてしまいます。…わかります。ホントに熱いんですよね、あれ。特に男性は素手で扱うことになってますから大変です。
それを見た政宗、思わず笑いを漏らしたそうで。これにムッとしたのか家康、おもむろに釜の蓋を取り直すとしばらくそのまま持ち続けてみせました。更に、「陸奥殿、釜の蓋などには恐れることはないぞ」(『茶の湯便利手帳4茶の湯人物事典 略伝・ことば・逸話』世界文化社 187頁)と言ってのけ、茶を点てて進めたそうです。
やっぱり、戦国の大物ですら熱いものは熱いんですね。それでも、面子から精一杯痩せ我慢してみせないといけないのでしょう。武将というのは大変です。
戦国武将の大変さや豪胆さ・意地を垣間見ると共に、少しだけ親しみを感じたりもする話でした。
【参考文献】
『茶の湯便利手帳4茶の湯人物事典 略伝・ことば・逸話』世界文化社
『日本大百科全書』小学館
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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「徳川期の茶の湯」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/tokucha.html)
豊臣秀吉・徳川家康は社会評論社『ダメ人間の日本史』にも登場します。興味のある方は、御参照ください。

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