「古参」「マニア」が「新参」「にわか」を嫌う理由を推測してみた~双方とも必要、相互に敬意を~
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ところで、「古参」「マニア」が「新参」「にわか」に嫌悪感を抱く理由は、必ずしも「経歴が短いから」「知識が浅いから」ではないのかもしれない、とこの頃思います。新参である事や浅さそのものより、「浅さに甘んじている」「自分が浅いという自覚がない」と感じてしまう事に由来しているのかも。哲学者・中島義道の言葉を借りれば、相手に対して
知的向上心のまったくない者、しかもそれを全然恥じていない者、さらに知的向上心のある人を軽蔑さえする者である。正真正銘のオルテガの言う「大衆」である。(中島義道『「人間嫌い」のルール』PHP新書 78頁)
という不満を感じているのではないでしょうか。
ただ、その際には「何であれ、極めようと思えば奥深い」「上には更に上がある」という事を頭の片隅に置いておくべきかもな、とも思います。「新参」「にわか」である誰かが気に障って仕方ない自分も、他の誰かから見ればまだまだなのにそれに甘んじている困った存在なのかもしれない。そう思っていれば、むやみに他者へ厳しい目を向ける事は減るかもしれません。
また、どのジャンルであったとしても、「数は力」という側面は間違いなくあります。繁栄、もしくは存続していくには従事する人間の数が一定以上確保できていなければなりません。たとえ自分の眼から見て物足りないにせよ、ジャンルの裾野を支えてくれる一員だと思えば有難く思えるのではないかと思います。
そりゃあ、自ら研鑽して奥深くを追求しよう、もっと濃くなろうとするのは立派だと思います。しかし、だからといって他人にまでそれを要求するのはどうかと思います。同じ道を愛好してくれた、それだけでもありがたいではありませんか。
思うに、自分が「マニア」にせよ「にわか」にせよ、以下の事は心がけて損はない気がします。相手が自分より「浅い」か「深い」かにかかわらず、同じ道を愛好する同志である事は忘れない。その道の構成人口を支えてくれる一人である事に感謝の念を忘れないようにする。他者に明白な害をなしている(例えば、ジャンルの社会的イメージを明らかに損なう、他の同好の士が逃げ出しかねないといった問題など)、道徳や法に明らかに触れている、というのでもない限り、厳しい目を向けるべきではないと思います。
また、自らが愛するジャンルはまだまだ奥が深い、という事を肝に銘じる事。自身から見て奇妙に思える程だとしても、その道に入れ込んでいる人には敬意を忘れない事。必ずしも自身も奥を極めようとする必要はありません。しかし、そうしようと研鑽を重ねる人を笑いものにすることはしないよう心がけたいものです。
そもそも、相手が「浅い」か「深い」かなんて、なかなか本当には分かりようがないものです。実害がない限り、同好の士に対しては相互に敬意を向け合う関係でありたいものだと思います。…偉そうなことを言いつつも、僕自身がどの程度実行できているか非常に怪しいのが残念ですけどね、いつもの事ではありますが。
【参考文献】
中島義道『「人間嫌い」のルール』PHP新書