2016年 01月 03日
文豪・森鴎外は語る「文芸の種類に貴賤はない、詩の延長だ、高級芸術だ」~渋江抽斎と周辺人物の事情~
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あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、昔に比べると、漫画・アニメといった娯楽文化の社会的地位はかなり向上したと言ってよいでしょう。しかしながら、残念ながらこれら娯楽文化に対し、低俗等の評価で卑しめる風潮が後を絶ったわけではないようです。今回は、その手の問題について、権威づけのため近代文豪の言葉を引用してみようかと思います。
近代文学を代表する作家といえば、森鴎外は必ず名が挙がる一人といって良いでしょう。その鴎外が晩年に徳川期の学者たちの生涯を追った史伝ものを残している事は、御存じの方も多いかと思います。そうした史伝ものの代表とされるのが、今回取り上げる『渋江抽斎』です。
『渋江抽斎』は弘前藩の侍医で考証学者でもあった渋江抽斎とその一族や同時代人たちの事績を様々な史料・証言を基に丹念に掘り起こし、鴎外自身が彼に興味を持った切っ掛けからその思考の跡まで丁寧に描き出した作品です。近代を代表する「知の巨人」たる鴎外が注ぎ込んだ情熱やエネルギーが作中から響いて来るような心地がして、個人的には読んでいて脳に快感を覚える一品だと思います。辞典にも「鴎外第一の傑作として世評が高い」(『日本大百科全書』小学館)と記されており、近代文学の最高峰と評される作品群の一つといって良いでしょう。
さて、この作中で鴎外は、抽斎が芝居を好んでいた事に触れ、以下のように述べています。
この発言、現代からすればどうとも思われないでしょう。歌舞伎・浄瑠璃や江戸の読本などは古典作品であり尊重されるのが当然だ、現代の娯楽文化とは訳が違う、そう思われる方もおられるかと。
しかし、鴎外が述べている通り、同時代から明治にかけてはこれらは低い評価しかされていませんでした。そうした風潮をうかがわせる逸話が『渋江抽斎』にも載せられています。
渋江抽斎と親交があった森枳園はやはり優れた学識のある考証学者でしたが、抽斎に更に輪をかけた芝居好きだったそうです。見物するだけでは飽き足らず、舞台に上って端役を演じたりもしたとか。で、枳園が仕えていた福山藩の女中がそれを知り、興がって同僚に語ったところが藩上層部の耳に達しました。そして問題視され、あわれ枳園は藩から解雇された時期があったという話が伝えられています。
また抽斎も、こうした価値観に苦しめられた一人でした。彼はその学識から将軍に謁見がかなう身となったのですが、その際に周囲から忠告を受けたのです。
一定以上の社会的地位がある人物にとって、芝居は見物すらふさわしからぬものだったわけです。抽斎にとって、風呂は自宅にあるからともかく、芝居見物を止められたのは苦痛だったそうです。
もう一つ、抽斎より一世代上の芝居好きな知識人・真志屋五郎作に関して鴎外は
と記しています。芝居好きは、奇行と同レベル扱いで、枳園の事例もそうでしたが処罰対象になっても不思議ではない悪徳とみなされていた訳ですね。
鴎外が列挙するこうした事例を見てきますと、当時において、芝居見物が、低俗であり、社会的に名誉ある人物が嗜むものではない、とみなされていた事がよくわかります。現代でいえば、やはり漫画・アニメ・ゲーム・ライトノベルといった分野が当時の芝居に近い扱いを受けていると言えましょうか。冒頭で述べた通り、昔に比べるとだいぶましになったとはいえ。
してみれば、鴎外の言葉を現代日本にあてはめれば、これら現代娯楽作品に関しても「詩の変体」たる「高級芸術として尊重」すべきという事になりそうな感じですね。
なお余談ですが、抽斎は芝居だけではなく俗書も好んだそうで、鴎外曰く
赤本はおとぎ話を中心とする子供向けの絵本で、表紙が赤いところから名称がつけられました。蒟蒻本は洒落本の事で、遊女や客の会話をメインに遊里の様子を描き出したジャンル。形や表紙の色が蒟蒻に似ている事からその名がつきました。黄表紙は市井生活などを舞台に知的な笑いを特色とした大人向き絵物語。表紙が黄色であった事からこう呼ばれました。いずれも俗書であり、特に洒落本・黄表紙は時の政権から風俗壊乱の書として取り締まられた経験を持つジャンルです。抽斎は実生活において謹厳実直な学者でしたが、一方でそうした「低俗」な娯楽作品を愛読し、更に自分で作ってみる程に耽溺したというのですから驚き。人間、色んな一面があるものです。
鴎外が芝居同様に尊重すべきと述べていた「小説」とは、これらの作品を指すようです。やっぱり、鴎外の言葉は現代娯楽作品の援護射撃になってくれそうな、そんな心地がしてきます。それにしても、「詩の変体」とは、言いえて妙だと思います。娯楽作品を含む文芸作品はいずれも、作者による魂の叫び、という側面を持つ点では変わりませんものね。本居宣長の唱えた、「もののあはれ」に関する話が思い出される表現ではないかと。
【参考文献】
『日本大百科全書』小学館
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「森鴎外 渋江抽斎」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2058_19628.html)
「森鴎外 壽阿彌の手紙」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/42352_17662.html)
『大辞泉』小学館
関連記事:
「<読書案内>芥川龍之介「戯作三昧」~出版の取り締まりは、今も昔も~」
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「娘義太夫と「どうする連」~アイドル、アイドルオタとそれを嫌悪する人々 in 明治~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「物語論―源氏物語と本居宣長―」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/monogatari.html)
「小説と挿絵」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/illust.html)
「本居宣長『手枕』 翻訳:NF」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/tamakura.html)
読むだけでは満足できず自分でも書いてみた、というのは抽斎だけでは無論ありませんでした。
「日本出版史」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/050227.html)
娯楽文化作品に耽溺した学者、娯楽文化作家たちの逸話については社会評論社『ダメ人間の世界史』『ダメ人間の日本史』にも該当するものがあったりします。興味のある方は御参照下さい。
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さて、昔に比べると、漫画・アニメといった娯楽文化の社会的地位はかなり向上したと言ってよいでしょう。しかしながら、残念ながらこれら娯楽文化に対し、低俗等の評価で卑しめる風潮が後を絶ったわけではないようです。今回は、その手の問題について、権威づけのため近代文豪の言葉を引用してみようかと思います。
近代文学を代表する作家といえば、森鴎外は必ず名が挙がる一人といって良いでしょう。その鴎外が晩年に徳川期の学者たちの生涯を追った史伝ものを残している事は、御存じの方も多いかと思います。そうした史伝ものの代表とされるのが、今回取り上げる『渋江抽斎』です。
『渋江抽斎』は弘前藩の侍医で考証学者でもあった渋江抽斎とその一族や同時代人たちの事績を様々な史料・証言を基に丹念に掘り起こし、鴎外自身が彼に興味を持った切っ掛けからその思考の跡まで丁寧に描き出した作品です。近代を代表する「知の巨人」たる鴎外が注ぎ込んだ情熱やエネルギーが作中から響いて来るような心地がして、個人的には読んでいて脳に快感を覚える一品だと思います。辞典にも「鴎外第一の傑作として世評が高い」(『日本大百科全書』小学館)と記されており、近代文学の最高峰と評される作品群の一つといって良いでしょう。
さて、この作中で鴎外は、抽斎が芝居を好んでいた事に触れ、以下のように述べています。
抽斎が後(のち)劇を愛するに至ったのは、当時の人の眼(まなこ)より観(み)れば、一の癖好(へきこう)であった。どうらくであった。啻(ただ)に当時において然(しか)るのみではない。是(かく)の如くに物を観る眼(まなこ)は、今もなお教育家等の間に、前代の遺物として伝えられている。わたくしはかつて歴史の教科書に、近松(ちかまつ)、竹田(たけだ)の脚本、馬琴(ばきん)、京伝(きょうでん)の小説が出て、風俗の頽敗(たいはい)を致したと書いてあるのを見た。
しかし詩の変体としてこれを視(み)れば、脚本、小説の価値も認めずには置かれず、脚本に縁(よ)って演じ出(いだ)す劇も、高級芸術として尊重しなくてはならなくなる。
(「青空文庫」の「森鴎外 渋江抽斎」より)
この発言、現代からすればどうとも思われないでしょう。歌舞伎・浄瑠璃や江戸の読本などは古典作品であり尊重されるのが当然だ、現代の娯楽文化とは訳が違う、そう思われる方もおられるかと。
しかし、鴎外が述べている通り、同時代から明治にかけてはこれらは低い評価しかされていませんでした。そうした風潮をうかがわせる逸話が『渋江抽斎』にも載せられています。
渋江抽斎と親交があった森枳園はやはり優れた学識のある考証学者でしたが、抽斎に更に輪をかけた芝居好きだったそうです。見物するだけでは飽き足らず、舞台に上って端役を演じたりもしたとか。で、枳園が仕えていた福山藩の女中がそれを知り、興がって同僚に語ったところが藩上層部の耳に達しました。そして問題視され、あわれ枳園は藩から解雇された時期があったという話が伝えられています。
また抽斎も、こうした価値観に苦しめられた一人でした。彼はその学識から将軍に謁見がかなう身となったのですが、その際に周囲から忠告を受けたのです。
それは目見(めみえ)以上の身分になったからは、今より後(のち)市中の湯屋に往(ゆ)くことと、芝居小屋に立ち入ることとは遠慮するが宜(よろ)しいというのであった。
(「青空文庫」の「森鴎外 渋江抽斎」より)
一定以上の社会的地位がある人物にとって、芝居は見物すらふさわしからぬものだったわけです。抽斎にとって、風呂は自宅にあるからともかく、芝居見物を止められたのは苦痛だったそうです。
もう一つ、抽斎より一世代上の芝居好きな知識人・真志屋五郎作に関して鴎外は
微官とは云ひながら公儀の務をしてゐて、頻繁に劇場に出入し、俳優と親しく交り、種々の奇行があつても、曾(かつ)て咎(とがめ)を被(かうむ)つたことを聞かない。これも其類例が少からう。
(「青空文庫」の「森鴎外 壽阿彌の手紙」より)
と記しています。芝居好きは、奇行と同レベル扱いで、枳園の事例もそうでしたが処罰対象になっても不思議ではない悪徳とみなされていた訳ですね。
鴎外が列挙するこうした事例を見てきますと、当時において、芝居見物が、低俗であり、社会的に名誉ある人物が嗜むものではない、とみなされていた事がよくわかります。現代でいえば、やはり漫画・アニメ・ゲーム・ライトノベルといった分野が当時の芝居に近い扱いを受けていると言えましょうか。冒頭で述べた通り、昔に比べるとだいぶましになったとはいえ。
してみれば、鴎外の言葉を現代日本にあてはめれば、これら現代娯楽作品に関しても「詩の変体」たる「高級芸術として尊重」すべきという事になりそうな感じですね。
なお余談ですが、抽斎は芝居だけではなく俗書も好んだそうで、鴎外曰く
抽斎の好んで読んだ小説は、赤本(あかほん)、菎蒻本(こんにゃくぼん)、黄表紙(きびょうし)の類(るい)であった。想(おも)うにその自ら作った『呂后千夫(りょこうせんふ)』は黄表紙の体(たい)に倣(なら)ったものであっただろう。
(「青空文庫」の「森鴎外 渋江抽斎」より)
赤本はおとぎ話を中心とする子供向けの絵本で、表紙が赤いところから名称がつけられました。蒟蒻本は洒落本の事で、遊女や客の会話をメインに遊里の様子を描き出したジャンル。形や表紙の色が蒟蒻に似ている事からその名がつきました。黄表紙は市井生活などを舞台に知的な笑いを特色とした大人向き絵物語。表紙が黄色であった事からこう呼ばれました。いずれも俗書であり、特に洒落本・黄表紙は時の政権から風俗壊乱の書として取り締まられた経験を持つジャンルです。抽斎は実生活において謹厳実直な学者でしたが、一方でそうした「低俗」な娯楽作品を愛読し、更に自分で作ってみる程に耽溺したというのですから驚き。人間、色んな一面があるものです。
鴎外が芝居同様に尊重すべきと述べていた「小説」とは、これらの作品を指すようです。やっぱり、鴎外の言葉は現代娯楽作品の援護射撃になってくれそうな、そんな心地がしてきます。それにしても、「詩の変体」とは、言いえて妙だと思います。娯楽作品を含む文芸作品はいずれも、作者による魂の叫び、という側面を持つ点では変わりませんものね。本居宣長の唱えた、「もののあはれ」に関する話が思い出される表現ではないかと。
【参考文献】
『日本大百科全書』小学館
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「森鴎外 渋江抽斎」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2058_19628.html)
「森鴎外 壽阿彌の手紙」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/42352_17662.html)
『大辞泉』小学館
関連記事:
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「娘義太夫と「どうする連」~アイドル、アイドルオタとそれを嫌悪する人々 in 明治~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「物語論―源氏物語と本居宣長―」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/monogatari.html)
「小説と挿絵」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/illust.html)
「本居宣長『手枕』 翻訳:NF」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/tamakura.html)
読むだけでは満足できず自分でも書いてみた、というのは抽斎だけでは無論ありませんでした。
「日本出版史」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/050227.html)
娯楽文化作品に耽溺した学者、娯楽文化作家たちの逸話については社会評論社『ダメ人間の世界史』『ダメ人間の日本史』にも該当するものがあったりします。興味のある方は御参照下さい。
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by trushbasket
| 2016-01-03 22:02
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