2016年 01月 13日
太宰治、同時代の横綱たちを評す
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今年も、初場所が始まっています。平成二十八年の大相撲界は、どうなりますやら。さて、大相撲と言えば、かつて作家・太宰治が同時代の横綱たちについて評した事があるようです。確認できた限りでは、彼が言及した横綱たちは以下の通り。
・第34代 男女ノ川登三
その長身もあって若い頃から期待された力士でした。事実、ツボにはまれば圧倒的な強さを発揮し横綱にまで到達しましたが、下半身のもろさや性格的なムラもあって時代の主役になれたとは言い難かったようです。この男女ノ川について、太宰は『男女川と羽左衛門』で言及しています。男女ノ川はその巨体を照れているのか「自分の実際の身長よりも二寸くらい低く言う」そうで。それを聞き、太宰は
と述べています。また、横綱が自ら用事をしにきて当惑したりしている様に、「よっぽど出来た人である。必ずや誠実な男だ。」とお気に召した模様。事実、細心で注意深い性格だったとされています。なお、男女ノ川に関する引用部は「青空文庫」の「太宰治 男女川と羽左衛門」からです。ついでながら、この短文に掲載されている男女ノ川の敗戦時コメントは一見の価値あり。
太宰が男女ノ川へこうした親近感を抱いた所以は、同じ三鷹に居住していたというのも大きいようです。戦後、太宰・男女ノ川に五味康祐を加えた三人を世間は「三鷹の三奇人」と呼んでいたそうな。
・第35代 双葉山定次
言うまでもなく、前人未到の69連勝という大記録を打ち立てた横綱で、求道的なイメージを思わせる逸話も残された人物です。この大横綱についても、太宰は1944年の『横綱』で話題に挙げています。何でも、
という興味深い逸話が。例えば、時候の挨拶などには答えを返さないんだとか。太宰は双葉山の揮毫を目にしたことがあるそうですが、その筆跡をあまり評価していないようです。ちなみにその書は「忍」の一字を記したものだったそうで。双葉山らしいチョイスに思われます。
・第38代 照國万蔵
満23歳4か月と、当時としては最年少での横綱昇進を果たした力士です(現在の記録は北の湖の満21歳2か月)。リズミカルな相撲ぶりから「桜色の音楽」と評されました。
太宰は1940年に発表された『國技館』という短文で、
と評しています。性格以外にも、色白・童顔で丸々としたアンコ型体形といった外見が、太宰に品性を感じさせる一要素だったかもしれません。安定した力量を示し双葉山相手にも勝ち越している名横綱でしたが、優勝運がなかったあたりが「本當に怒つて取組んだら」云々の印象にも関係していたのでしょうか?
※なお、横綱ではありませんが大関・五ツ嶋奈良男は
と手厳しい評価を受けていました。気の毒に。ちなみにこの五ツ嶋ですが、双葉山に2連勝した事もある強豪でありながら、怪我のため大関を2場所で陥落する悲運に泣いています。
これらの人物評が当たっているかどうかは僕にはわかりませんが、なかなか、興味深い目の向けようをしているかと思います。いずれもごく短い文章ですが、通常の相撲関係書物では見られないような視点もあったりしましたからね。…だから何だ、と言われると困りますが、興をひかれたのでここに記しておくこととしました。
【参考文献】
『横綱歴代69人』ベースボール・マガジン社
水野尚文・京須利敏編著『平成19年度大相撲力士名鑑』共同通信社
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「太宰治 男女川と羽左衛門」
(http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/42373_34755.html)
「太宰治 横綱」
(http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/52687_45476.html)
「太宰治 國技館」
(http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/52461_45494.html)
・第34代 男女ノ川登三
その長身もあって若い頃から期待された力士でした。事実、ツボにはまれば圧倒的な強さを発揮し横綱にまで到達しましたが、下半身のもろさや性格的なムラもあって時代の主役になれたとは言い難かったようです。この男女ノ川について、太宰は『男女川と羽左衛門』で言及しています。男女ノ川はその巨体を照れているのか「自分の実際の身長よりも二寸くらい低く言う」そうで。それを聞き、太宰は
必ずや神経のデリケエトな人にちがいない。
と述べています。また、横綱が自ら用事をしにきて当惑したりしている様に、「よっぽど出来た人である。必ずや誠実な男だ。」とお気に召した模様。事実、細心で注意深い性格だったとされています。なお、男女ノ川に関する引用部は「青空文庫」の「太宰治 男女川と羽左衛門」からです。ついでながら、この短文に掲載されている男女ノ川の敗戦時コメントは一見の価値あり。
太宰が男女ノ川へこうした親近感を抱いた所以は、同じ三鷹に居住していたというのも大きいようです。戦後、太宰・男女ノ川に五味康祐を加えた三人を世間は「三鷹の三奇人」と呼んでいたそうな。
・第35代 双葉山定次
言うまでもなく、前人未到の69連勝という大記録を打ち立てた横綱で、求道的なイメージを思わせる逸話も残された人物です。この大横綱についても、太宰は1944年の『横綱』で話題に挙げています。何でも、
双葉山といふ男は、必要の無いことに對しては返辭をしないさうである。
(「青空文庫」の「太宰治 横綱」より)
という興味深い逸話が。例えば、時候の挨拶などには答えを返さないんだとか。太宰は双葉山の揮毫を目にしたことがあるそうですが、その筆跡をあまり評価していないようです。ちなみにその書は「忍」の一字を記したものだったそうで。双葉山らしいチョイスに思われます。
・第38代 照國万蔵
満23歳4か月と、当時としては最年少での横綱昇進を果たした力士です(現在の記録は北の湖の満21歳2か月)。リズミカルな相撲ぶりから「桜色の音楽」と評されました。
太宰は1940年に発表された『國技館』という短文で、
照國といふ力士は、上品な人柄のやうであります。本當に怒つて取組んだら、誰にも負けないだらうと思ひました。
(「青空文庫」の「太宰治 國技館」より)
と評しています。性格以外にも、色白・童顔で丸々としたアンコ型体形といった外見が、太宰に品性を感じさせる一要素だったかもしれません。安定した力量を示し双葉山相手にも勝ち越している名横綱でしたが、優勝運がなかったあたりが「本當に怒つて取組んだら」云々の印象にも関係していたのでしょうか?
※なお、横綱ではありませんが大関・五ツ嶋奈良男は
勝ちやいいんだらう、といふ荒んだ心境が、どこかに見えます。勝負に勝つても、いまのままでは、横綱になれません。
(同書より)
と手厳しい評価を受けていました。気の毒に。ちなみにこの五ツ嶋ですが、双葉山に2連勝した事もある強豪でありながら、怪我のため大関を2場所で陥落する悲運に泣いています。
これらの人物評が当たっているかどうかは僕にはわかりませんが、なかなか、興味深い目の向けようをしているかと思います。いずれもごく短い文章ですが、通常の相撲関係書物では見られないような視点もあったりしましたからね。…だから何だ、と言われると困りますが、興をひかれたのでここに記しておくこととしました。
【参考文献】
『横綱歴代69人』ベースボール・マガジン社
水野尚文・京須利敏編著『平成19年度大相撲力士名鑑』共同通信社
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「太宰治 男女川と羽左衛門」
(http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/42373_34755.html)
「太宰治 横綱」
(http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/52687_45476.html)
「太宰治 國技館」
(http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/52461_45494.html)
by trushbasket
| 2016-01-13 19:01
| NF








