2016年 01月 16日
「※ただしイケメンに限る」は明治時代から男の悩み?~文豪ですら逃れられない劣等感~
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「※ただしイケメンに限る」(以下、「※」と略します)という表現がネット上で用いられて結構久しいように思います。これは、「女性が男性を評価するにあたっては結局のところ顔が良いか否かが全てだ」「たとえ他にどんな好ましい長所があったとしてもイケメンでなければ評価されない」、といった内容の絶望を表現したものだとか聞いています。
もっとも、そうした考え方には異論もあるようです。ネット上でも、「相手の容姿を気にする傾向はむしろ男性に強く、女性は意外と恋愛・結婚相手の顔形にこだわらない」という話も見られます。
「※」という見解が適切であるにせよないにせよ、悩みの種にする男性がいるのは事実のようです。自らの顔立ちに自信がもてず恋愛に踏み出せない、と苦しむ男性は少なくないそうですね。そして、この煩悶、実は現代に始まった事でもないようです。という訳で、今回は明治時代に「※」に関する悩みを抱いて育ったらしき回想を残している文豪の話をしようかと思います。その文豪の名は、森鴎外。
さて、以下においては、鴎外が自身の半生をモデルとしたと言われる小説『ヰタ・セクスアリス』から該当する部分を見て参りましょう。なお、本作は恋愛やら何やらに関して割と突っ込んだ描写があるせいか、発売禁止処分を受けたいわくつきの作品なんだそうです。厳密には、この小説における主人公は「金井湛」なる人物ですが、便宜上、以下では主人公を「鴎外」と称する事とします。御了承ください。
本作によれば、鴎外が初めて自己の容姿を意識したのは13歳の時のようです。彼は江戸期の娯楽小説を好んで読んでいましたが、その中で為永春水の作品から恋愛へのあこがれを抱くようになります。しかしながら、
といった風に「自分はイケメンじゃないから、恋愛には縁がないな」という思いを抱くようになったようです。思春期を迎えた鴎外にとって、これは相当な悩みであったと見受けられます。例えば14歳の時も、恋愛に関して相変わらず
と考えていたとのことです。そして15歳でも同様でした。漢学者の友人ができた関係から中国小説の恋愛ものを読む機会が増えた鴎外は、現実世界で恋愛関係のトラブルを起こす学友を横目にしながら
といった具合に煩悶。まあ、お年頃ですし、恋愛やらに意識が向きやすいのは当然のこと。自らの容姿に関して思い悩むのも無理ないことです。
ところが鴎外先生、大人になっても「※」な悩みから来る劣等感は変わらなかったようです。20歳の時のこと。見合いを勧められたものの気乗りしなかった鴎外は、
なんて発言を母親にぶつけ、相手の機嫌を損ねたりしています。はっきり口に出してしまうまでに至りましたか。「※」という考えに由来する諦観は、相当に根深く巣食っていたという他ありません。
容貌に関連した苦悩への言及が作中で繰り返される頻度から言っても、かなり引きずってるように見受けられます。ネット上では「大事なことだから二度言いました」なんて言ったりしますが、この小説における「※」関連な描写は二度どころじゃありませんでしたからね。
そもそも、これ以外にも
なんて事も言っていますから、小説執筆段階においても克服できてなかったのかもしれません。鴎外先生…。留学先のドイツで現地女性を相手に恋愛をしたはずなんですけどねえ。しかも、恋人がはるばる日本まで追いかけて来る程だったのに。まあ、恋愛やらへの淡泊さは元来の性格や保身意識等も関係してるのかもですが、それでも少なからぬ要因を例の劣等感が占めていそうな感じはさせられます。
なお、鴎外の名誉のために申し添えておきますと、当時における彼の容姿に関しては
という証言もなくはなかったようです。というか、これを記録した内田魯庵は鴎外本人から聞いた話だそうですから、鴎外自身も美少年と言われた経験があるはずなんですよねえ…。それでも、鴎外の自己イメージとは別の問題だったのかもしれませんが。
鴎外ほどのエリート中のエリート、多芸多才を地で行く「知の巨人」、官僚社会で立身出世を果たし文学者としても名声を勝ち得たような人物すら、そもそも恋愛への姿勢をどこか及び腰なものにさせるほどに、「僕はイケメンじゃないから」という劣等感は深刻なものになりうるのかと疑わせるような話でした。数多の栄光に包まれ、「美少年」証言もあり、遠い異国でモテ経験を味わう。そんな、周囲からは「リア充爆発しろ」と言われそうな人生を過ごしてさえ、なおコンプレックスは癒し切れなかったという事になるんでしょうか?
まあ、魯庵の証言からすれば、どこまで鴎外が「※」関連なコメントを本気で言ってたのかは疑問の余地はありますけども。
もし鴎外ですら「※」な劣等感を引きずったのだとすると、一般の男性がそうした悩みに振り回されるのも、何の不思議もない話というべきなんでしょうね。人間というのは、時を経ても意外に変わらない面があるのかもしれません。
【参考文献】
『日本大百科全書』小学館
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「森鴎外 ヰタ・セクスアリス」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/695_22806.html)
「内田魯庵 鴎外博士の追憶」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000165/files/49566_43494.html)
関連記事:
「落語から見る「女性にもてる条件」~実は、「※ただしイケメンには限…らない」?~」
イケメンであるに越したことがないのは無論ですが、他でリカバーが効くone of themな条件に過ぎない、という話もあります。
「歴史に見る容姿コンプレックスとその克服法 ~歴史のかなたから贈る驚異の誰でもモテる術~」
容姿に関する劣等感は、歴史的に見ても根が深いようで。
「千年前の「※ただしイケメンに限る」 ~スイーツ(笑)クイーン清少納言おおいに語る~ 『枕草子』」
女性がイケメン至上主義を唱えた事例がない訳ではないようです。
関連サイト:
「ニコニコ大百科」(http://dic.nicovideo.jp/)より
「※ただしイケメンに限る」
(http://dic.nicovideo.jp/a/%E2%80%BB%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%97%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%81%AB%E9%99%90%E3%82%8B)
もっとも、そうした考え方には異論もあるようです。ネット上でも、「相手の容姿を気にする傾向はむしろ男性に強く、女性は意外と恋愛・結婚相手の顔形にこだわらない」という話も見られます。
関連サイト:
「新宿/心療内科/ゆうメンタルクリニック」(http://yusn.net/)より
「『ただしイケメンに限る』は心理学的にウソ。」(http://yusn.net/col/475.html)
「※」という見解が適切であるにせよないにせよ、悩みの種にする男性がいるのは事実のようです。自らの顔立ちに自信がもてず恋愛に踏み出せない、と苦しむ男性は少なくないそうですね。そして、この煩悶、実は現代に始まった事でもないようです。という訳で、今回は明治時代に「※」に関する悩みを抱いて育ったらしき回想を残している文豪の話をしようかと思います。その文豪の名は、森鴎外。
さて、以下においては、鴎外が自身の半生をモデルとしたと言われる小説『ヰタ・セクスアリス』から該当する部分を見て参りましょう。なお、本作は恋愛やら何やらに関して割と突っ込んだ描写があるせいか、発売禁止処分を受けたいわくつきの作品なんだそうです。厳密には、この小説における主人公は「金井湛」なる人物ですが、便宜上、以下では主人公を「鴎外」と称する事とします。御了承ください。
本作によれば、鴎外が初めて自己の容姿を意識したのは13歳の時のようです。彼は江戸期の娯楽小説を好んで読んでいましたが、その中で為永春水の作品から恋愛へのあこがれを抱くようになります。しかしながら、
同じ小倉袴紺足袋の仲間にも、色の白い目鼻立の好い生徒があるので、自分の醜男子なることを知って、所詮(しょせん)女には好かれないだろうと思った。(「青空文庫」の「森鴎外 ヰタ・セクスアリス」より)
といった風に「自分はイケメンじゃないから、恋愛には縁がないな」という思いを抱くようになったようです。思春期を迎えた鴎外にとって、これは相当な悩みであったと見受けられます。例えば14歳の時も、恋愛に関して相変わらず
その美しい夢のようなものは、容貌の立派な男女の享(う)ける福で、自分なぞには企て及ばないというような気がする。(同書より)
と考えていたとのことです。そして15歳でも同様でした。漢学者の友人ができた関係から中国小説の恋愛ものを読む機会が増えた鴎外は、現実世界で恋愛関係のトラブルを起こす学友を横目にしながら
こういう本に書いてある、青年男女の naively な恋愛がひどく羨ましい、妬(ねた)ましい。そして自分が美男に生れて来なかった為めに、この美しいものが手の届かない理想になっているということを感じて、頭の奥には苦痛の絶える隙(ひま)がない。(同書より)
といった具合に煩悶。まあ、お年頃ですし、恋愛やらに意識が向きやすいのは当然のこと。自らの容姿に関して思い悩むのも無理ないことです。
ところが鴎外先生、大人になっても「※」な悩みから来る劣等感は変わらなかったようです。20歳の時のこと。見合いを勧められたものの気乗りしなかった鴎外は、
生んで貰った親に対して、こう云うのは、恩義に背くようではあるが、女が僕の容貌を見て、好だと思うということは、一寸想像しにくい。(同書より)
なんて発言を母親にぶつけ、相手の機嫌を損ねたりしています。はっきり口に出してしまうまでに至りましたか。「※」という考えに由来する諦観は、相当に根深く巣食っていたという他ありません。
容貌に関連した苦悩への言及が作中で繰り返される頻度から言っても、かなり引きずってるように見受けられます。ネット上では「大事なことだから二度言いました」なんて言ったりしますが、この小説における「※」関連な描写は二度どころじゃありませんでしたからね。
そもそも、これ以外にも
この考が永遠に僕の意識の底に潜伏していて、僕に十分の得意ということを感ぜさせない。
自分は少年の時から、余りに自分を知り抜いていたので、その悟性が情熱を萌芽(ほうが)のうちに枯らしてしまった
(いずれも同書より。上は上述した13歳時の文章の直後、下は全体の末尾近く)
なんて事も言っていますから、小説執筆段階においても克服できてなかったのかもしれません。鴎外先生…。留学先のドイツで現地女性を相手に恋愛をしたはずなんですけどねえ。しかも、恋人がはるばる日本まで追いかけて来る程だったのに。まあ、恋愛やらへの淡泊さは元来の性格や保身意識等も関係してるのかもですが、それでも少なからぬ要因を例の劣等感が占めていそうな感じはさせられます。
なお、鴎外の名誉のために申し添えておきますと、当時における彼の容姿に関しては
極めて無邪気な紅顔(こうがん)の美少年
(「青空文庫」の「内田魯庵 鴎外博士の追憶」より)
という証言もなくはなかったようです。というか、これを記録した内田魯庵は鴎外本人から聞いた話だそうですから、鴎外自身も美少年と言われた経験があるはずなんですよねえ…。それでも、鴎外の自己イメージとは別の問題だったのかもしれませんが。
鴎外ほどのエリート中のエリート、多芸多才を地で行く「知の巨人」、官僚社会で立身出世を果たし文学者としても名声を勝ち得たような人物すら、そもそも恋愛への姿勢をどこか及び腰なものにさせるほどに、「僕はイケメンじゃないから」という劣等感は深刻なものになりうるのかと疑わせるような話でした。数多の栄光に包まれ、「美少年」証言もあり、遠い異国でモテ経験を味わう。そんな、周囲からは「リア充爆発しろ」と言われそうな人生を過ごしてさえ、なおコンプレックスは癒し切れなかったという事になるんでしょうか?
まあ、魯庵の証言からすれば、どこまで鴎外が「※」関連なコメントを本気で言ってたのかは疑問の余地はありますけども。
もし鴎外ですら「※」な劣等感を引きずったのだとすると、一般の男性がそうした悩みに振り回されるのも、何の不思議もない話というべきなんでしょうね。人間というのは、時を経ても意外に変わらない面があるのかもしれません。
【参考文献】
『日本大百科全書』小学館
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「森鴎外 ヰタ・セクスアリス」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/695_22806.html)
「内田魯庵 鴎外博士の追憶」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000165/files/49566_43494.html)
関連記事:
「落語から見る「女性にもてる条件」~実は、「※ただしイケメンには限…らない」?~」
イケメンであるに越したことがないのは無論ですが、他でリカバーが効くone of themな条件に過ぎない、という話もあります。
「歴史に見る容姿コンプレックスとその克服法 ~歴史のかなたから贈る驚異の誰でもモテる術~」
容姿に関する劣等感は、歴史的に見ても根が深いようで。
「千年前の「※ただしイケメンに限る」 ~スイーツ(笑)クイーン清少納言おおいに語る~ 『枕草子』」
女性がイケメン至上主義を唱えた事例がない訳ではないようです。
by trushbasket
| 2016-01-16 10:51
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