2016年 02月 20日
永井荷風は語る、「当時は低俗呼ばわりな文化作品も、後には…」~時とともに変わる価値~
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よく言われる事ですが、昔は低俗だった文化作品も後には高尚な扱いになったりします。してみれば、現代では軽く見られる娯楽文化なども、後には優れたものとして扱われる可能性もあるのかもしれません。今回は、それに関して。
近代の文豪・永井荷風は江戸の情趣を愛し、江戸文化に詳しい人物でした。その荷風は、大正期の風潮としてこのような発言を残しています。
ちなみにここで解説。ここでいう『末摘花』は、川柳集『誹風末摘花』の略です。似実軒酔茶らの手で18世紀後半に編纂されました。内容はといえば、公序良俗といった観点から、お上に目をつけられかねない句が多かったようです。「宮古路」とは豊後節の別名。宮古路豊後掾が始めた事からこう呼ばれます。京都で開かれ江戸で流行した浄瑠璃流派ですが、風俗を乱すとして禁止されました。
「桑間濮上」とは古代中国の故事に由来する言葉。殷の紂王は暴君として知られる君主で、音楽家・師延に淫靡な音楽を作らせました。やがて、殷は滅亡。その際、師延は濮水に入水したという伝承があるようです。さて時は流れ、春秋時代。衛の霊公が晋の国を訪れる最中の事です。濮水ほとりの桑間なる地で、衛の宮廷音楽家・師涓は聞こえてきた曲を記録。晋に到着した霊公は、宴席で晋の君主・平公のためにその曲を演奏させました。すると、これを咎めたのが晋の宮廷音楽家・師曠。この曲のいわれをかたり、亡国の音楽として演奏に反対したそうです。そこから、この言葉は国を亡ぼす淫らな音楽という意味合いになりました。『韓非子』十過篇に登場する逸話ですので、ご存知の方もおられるかも。
荷風つながりで、他にも事例を挙げておきましょう。浪花節は「浪曲」とも呼ばれ、徳川末期に大坂でおこった語り物です。三味線を伴奏にして、軍談・講釈を題材に義理人情を語ったりしました。そんな浪花節について、荷風は日記『断腸亭日乗』昭和十年(1935)7月25日の欄にこう記しています。
要は、「徳川期には風俗を乱すとして眉を顰められたり禁止されたりした文化作品も、時がたてば学術研究対象や風雅なものとして尊重される」「明治期には卑しめられた芸能でも、昭和初期には愛国的として持て囃されたりする」という実例を、荷風は述べている訳ですね。「文化作品の価値というのは、時代や見る人によって変わって来る」という好例を示してくれた事になります。低俗にしか思えない作品、好きになれない作品などは、人それぞれに当然あるでしょう。現に、ここで例に挙げた荷風も浪花節はお気に召さなかったようで、上述した文章のすぐ後で「日本人は芸術の種類にはおのづから上品下品の差別あることを知らず」(同書 同頁)なんて書きつけています。
しかし、そんな作品も、条件が変われば珍重される可能性が充分にある。となると、軽々しくその価値を否定したりするべきではありますまい。もしそんなことをすれば、後の時代によって、先見の明がなく情趣を解しない人物という扱いを受け、物笑いの種にされるかもしれませんよ。ましてや、世の中から抹殺したりした日には、後世から酷く恨まれる事にもなりかねないと見た方がよいでしょうね。
という訳で、「一般論として、生み出された作品やそこに込められた情熱・魂には敬意を払ってしかるべき」「自らの価値観を絶対視して、他人の作品を規制したりはすべきでない」、といういつもながらの結論で締めておこうかと思います。
【参考文献】
『大辞泉』小学館
興文社編輯所編『韓非子講義』興文社
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「永井荷風 桑中喜語」(http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/49648_40536.html)
永井荷風著『摘録 断腸亭日乗(上)』磯田光一編 岩波文庫
関連記事:
「文豪・森鴎外は語る「文芸の種類に貴賤はない、詩の延長だ、高級芸術だ」~渋江抽斎と周辺人物の事情~」
「森鴎外が回想する、明治初期の色々~文学といえば漢詩、休暇は藪入り…~」
「かつては手塚治虫も有害図書でした」
近代の文豪・永井荷風は江戸の情趣を愛し、江戸文化に詳しい人物でした。その荷風は、大正期の風潮としてこのような発言を残しています。
通俗の意はけだし世と共に変ずべきものなるべし。川柳(せんりゅう)都々逸(どどいつ)は江戸時代にあつては通俗の文学なりき。しかして今日は然らず。今日もしつぶさに『末摘花(すえつむはな)』のいふ処を解釈し得ば容易に文学博士の学位を得べし。
今人の世に害ありとなすもの、将来において果して然るや否や知るべきにあらず。宮古路(みやこじ)の浄瑠璃は享保(きょうほ)元文(げんぶん)の世にあつては君子これを聴いて桑間濮上(そうかんぼくじょう)の音となしたりといへども、大正の通人は頤(あご)を撫(な)でて古雅掬(きく)すべしとなす。けだし時世変遷の然らしむるところなり。
(いずれも永井荷風『桑中喜語』より)
ちなみにここで解説。ここでいう『末摘花』は、川柳集『誹風末摘花』の略です。似実軒酔茶らの手で18世紀後半に編纂されました。内容はといえば、公序良俗といった観点から、お上に目をつけられかねない句が多かったようです。「宮古路」とは豊後節の別名。宮古路豊後掾が始めた事からこう呼ばれます。京都で開かれ江戸で流行した浄瑠璃流派ですが、風俗を乱すとして禁止されました。
「桑間濮上」とは古代中国の故事に由来する言葉。殷の紂王は暴君として知られる君主で、音楽家・師延に淫靡な音楽を作らせました。やがて、殷は滅亡。その際、師延は濮水に入水したという伝承があるようです。さて時は流れ、春秋時代。衛の霊公が晋の国を訪れる最中の事です。濮水ほとりの桑間なる地で、衛の宮廷音楽家・師涓は聞こえてきた曲を記録。晋に到着した霊公は、宴席で晋の君主・平公のためにその曲を演奏させました。すると、これを咎めたのが晋の宮廷音楽家・師曠。この曲のいわれをかたり、亡国の音楽として演奏に反対したそうです。そこから、この言葉は国を亡ぼす淫らな音楽という意味合いになりました。『韓非子』十過篇に登場する逸話ですので、ご存知の方もおられるかも。
荷風つながりで、他にも事例を挙げておきましょう。浪花節は「浪曲」とも呼ばれ、徳川末期に大坂でおこった語り物です。三味線を伴奏にして、軍談・講釈を題材に義理人情を語ったりしました。そんな浪花節について、荷風は日記『断腸亭日乗』昭和十年(1935)7月25日の欄にこう記しています。
今日浪花節は国粋芸術などと称せられ軍人及愛国者に愛好せらるるといへども三、四十年前までは東京にてはデロリン左衛門と呼び最下等なる大道芸に過ぎず、座敷にて聴くものにては非らざりしなり。(永井荷風著『摘録 断腸亭日乗(上)』磯田光一編 岩波文庫 325頁)
要は、「徳川期には風俗を乱すとして眉を顰められたり禁止されたりした文化作品も、時がたてば学術研究対象や風雅なものとして尊重される」「明治期には卑しめられた芸能でも、昭和初期には愛国的として持て囃されたりする」という実例を、荷風は述べている訳ですね。「文化作品の価値というのは、時代や見る人によって変わって来る」という好例を示してくれた事になります。低俗にしか思えない作品、好きになれない作品などは、人それぞれに当然あるでしょう。現に、ここで例に挙げた荷風も浪花節はお気に召さなかったようで、上述した文章のすぐ後で「日本人は芸術の種類にはおのづから上品下品の差別あることを知らず」(同書 同頁)なんて書きつけています。
しかし、そんな作品も、条件が変われば珍重される可能性が充分にある。となると、軽々しくその価値を否定したりするべきではありますまい。もしそんなことをすれば、後の時代によって、先見の明がなく情趣を解しない人物という扱いを受け、物笑いの種にされるかもしれませんよ。ましてや、世の中から抹殺したりした日には、後世から酷く恨まれる事にもなりかねないと見た方がよいでしょうね。
という訳で、「一般論として、生み出された作品やそこに込められた情熱・魂には敬意を払ってしかるべき」「自らの価値観を絶対視して、他人の作品を規制したりはすべきでない」、といういつもながらの結論で締めておこうかと思います。
【参考文献】
『大辞泉』小学館
興文社編輯所編『韓非子講義』興文社
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「永井荷風 桑中喜語」(http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/49648_40536.html)
永井荷風著『摘録 断腸亭日乗(上)』磯田光一編 岩波文庫
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「文豪・森鴎外は語る「文芸の種類に貴賤はない、詩の延長だ、高級芸術だ」~渋江抽斎と周辺人物の事情~」
「森鴎外が回想する、明治初期の色々~文学といえば漢詩、休暇は藪入り…~」
「かつては手塚治虫も有害図書でした」
※2017/3/7 一部、表現に手を入れました。
by trushbasket
| 2016-02-20 10:10
| NF








