2016年 03月 26日
明治の漢詩事情~忘れられた「文壇の主流」、「漢詩最盛期」~
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以前の記事で、明治初期、いわゆる「近代文学」登場前の時期において、文学の主流は漢詩だったという話をしました。しかしその詳細については、意外に知られていません。辞典の類を見ても、近代文学の項でも漢詩文の項でもその辺りの記述は豊富とはお世辞にも言えない現状。ところが、『世界大百科事典』には、比較的この時期の詩壇事情について詳しく記載されていました。何でも、明治前期は日本漢詩史上でも黄金時代と呼べる時期だったそうです。そこで、今回は主にこの事典を参照しつつ、大雑把にその辺りのお話をしようかと思います。
彼らは漢詩の傾向から分類することができます。すなわち、最初に主流だったのが
①陸游・蘇軾・黄庭堅ら宋詩を重んじた一派
小野湖山、岡本黄石、大沼枕山ら。宋詩は冷静・知的で日常を緻密に描く詩風が特徴とされているようです。
少し遅れて登場したのが
②袁枚・趙翼・王士禎ら清詩を理想とした一派
森春濤・森槐南父子、本田種竹、野口寧斎ら。清代は時期によって詩風が異なりますが、王士禎は詩の余韻を重んじ、沈徳潜は風格や音調の雅さを貴び、袁梅は精神の自由を唱えたそうです。
なお、同じ時期、成島柳北、長三洲、中野逍遥も彼らとは別に活動し詩名を高めていました。逍遥は、己の激しい恋愛感情を奔放に表現し、島崎藤村・吉井勇らに影響を与えた夭折の詩人です。
そして更にもう少し後には、
③漢・魏の古体を追求した一派
副島蒼海(種臣)、国分青厓、桂湖村、石田東陵ら。
が詩壇で存在感を示すようになります。桂湖村は、森鴎外が師として重んじた事で知られています。
明治前期において漢詩壇の中心となった人々には、幕末維新期から漢学者として知られたり、政治的に活動したりした人が多かったようです。彼らの中には、新政府で役職を占めていた例も稀ではありません。
例えば小野湖山は三河吉田藩に仕えながら詩を梁川星巌に学び、安政の大獄で弾圧され新政府で短期ながら奉職しています。岡本黄石は彦根藩家老で戊辰戦争時には藩を新政府側に付かせる事に尽力しました。森槐南は太政官を皮切りに図書寮編集官・式部官などを務め、東京帝大文科大学講師となっています。本田種竹は文部大臣官房秘書だった時期がありました。長三洲は騎兵隊に参加しています。鷲津毅堂は尾張藩に学者として仕え藩論を勤王に誘導、新政府では司法権大書記官などを歴任。ちなみに文豪・永井荷風は外孫にあたります。副島種臣はこれらの事例の中でも大物で、肥前出身の維新志士として新政府でも参議や外務卿を歴任。征韓論論争で下野しましたが、その後も枢密顧問官や松方内閣での内務大臣を務めています。
一方で、新政府に出仕するのを潔しとしなかった人物もいました。大沼枕山は時勢に背を向け、旧幕府の逸民を自認して髷を結ったまま生涯を過ごしました。成島柳北も幕臣として騎兵頭・外国奉行などを歴任し、維新後は在野のジャーナリストとして活躍しています。
他に、漢詩人として当時名高かった人物として、大槻盤渓、歴史家・重野成斎(安繹)、啓蒙思想家・中村正直、大審院判事・三島中洲、演劇評論家・依田学海、信夫恕軒らがいます。
なお明治中後期以降の漢詩人たちには、教育者として存在感を示した人が目立ちます。
彼ら漢詩人たちは、同好の士と共に結社を作っている事も多々ありました。主なものとして岡本黄石の麹町吟社、大沼枕山の下谷吟社、森春濤の茉莉吟社、森槐南の星社、本田種竹の自然吟社、重野成斎の麗沢社が挙げられます。そして文壇の主流らしく、詩文を掲載する雑誌も盛んに発行されました。『明治詩文』、森春濤の『新文詩』、成島柳北の『花月新誌』などがそれです。なお、上述した鷲津毅堂は『新文詩』に投稿した主要詩人の一人でした。
それだけでなく大新聞も漢詩を掲載。更に、政治家では山形有朋・伊藤博文ら、また近代文学者では正岡子規・夏目漱石・森鴎外・田山花袋などが、漢詩を嗜んだのは、御存じの方もおられるかと思います。
明治が終わると、漢籍の素養を有する人が少なくなっていきます。その結果として漢詩は衰退の道をたどり、大正半ばには新聞からも漢詩欄が消滅。それでも無論、日本から漢詩人がいなくなったわけではなく『昭和詩文』を主宰した国分青厓を中心に、長尾雨山・田辺碧堂・松平天行・土屋竹雨・服部担風などが活動を続けていたそうです。なお、大正天皇も漢詩を好み生涯で千を越える作品を残した事が知られています。
【参考文献】
『世界大百科事典』平凡社
『日本人名大辞典』講談社
『美術人名辞典』思文閣
『日本大百科全書』小学館
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社
加藤徹『漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?』光文社新書
関連記事:
「森鴎外が回想する、明治初期の色々~文学といえば漢詩、休暇は藪入り…~」
「徳川期の狂詩について概説~俳句→川柳、和歌→狂歌、なら漢詩→?~」
「「芳野三絶」~南北朝関連の作品を題材に漢詩を見る~」
関連サイト:
「詩詞世界 全二千三百首詳註 碇豊長の漢詩」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/index.htm)より
「日本漢詩選」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/jpn_mn.htm)
彼らは漢詩の傾向から分類することができます。すなわち、最初に主流だったのが
①陸游・蘇軾・黄庭堅ら宋詩を重んじた一派
小野湖山、岡本黄石、大沼枕山ら。宋詩は冷静・知的で日常を緻密に描く詩風が特徴とされているようです。
少し遅れて登場したのが
②袁枚・趙翼・王士禎ら清詩を理想とした一派
森春濤・森槐南父子、本田種竹、野口寧斎ら。清代は時期によって詩風が異なりますが、王士禎は詩の余韻を重んじ、沈徳潜は風格や音調の雅さを貴び、袁梅は精神の自由を唱えたそうです。
なお、同じ時期、成島柳北、長三洲、中野逍遥も彼らとは別に活動し詩名を高めていました。逍遥は、己の激しい恋愛感情を奔放に表現し、島崎藤村・吉井勇らに影響を与えた夭折の詩人です。
そして更にもう少し後には、
③漢・魏の古体を追求した一派
副島蒼海(種臣)、国分青厓、桂湖村、石田東陵ら。
が詩壇で存在感を示すようになります。桂湖村は、森鴎外が師として重んじた事で知られています。
明治前期において漢詩壇の中心となった人々には、幕末維新期から漢学者として知られたり、政治的に活動したりした人が多かったようです。彼らの中には、新政府で役職を占めていた例も稀ではありません。
例えば小野湖山は三河吉田藩に仕えながら詩を梁川星巌に学び、安政の大獄で弾圧され新政府で短期ながら奉職しています。岡本黄石は彦根藩家老で戊辰戦争時には藩を新政府側に付かせる事に尽力しました。森槐南は太政官を皮切りに図書寮編集官・式部官などを務め、東京帝大文科大学講師となっています。本田種竹は文部大臣官房秘書だった時期がありました。長三洲は騎兵隊に参加しています。鷲津毅堂は尾張藩に学者として仕え藩論を勤王に誘導、新政府では司法権大書記官などを歴任。ちなみに文豪・永井荷風は外孫にあたります。副島種臣はこれらの事例の中でも大物で、肥前出身の維新志士として新政府でも参議や外務卿を歴任。征韓論論争で下野しましたが、その後も枢密顧問官や松方内閣での内務大臣を務めています。
一方で、新政府に出仕するのを潔しとしなかった人物もいました。大沼枕山は時勢に背を向け、旧幕府の逸民を自認して髷を結ったまま生涯を過ごしました。成島柳北も幕臣として騎兵頭・外国奉行などを歴任し、維新後は在野のジャーナリストとして活躍しています。
他に、漢詩人として当時名高かった人物として、大槻盤渓、歴史家・重野成斎(安繹)、啓蒙思想家・中村正直、大審院判事・三島中洲、演劇評論家・依田学海、信夫恕軒らがいます。
なお明治中後期以降の漢詩人たちには、教育者として存在感を示した人が目立ちます。
彼ら漢詩人たちは、同好の士と共に結社を作っている事も多々ありました。主なものとして岡本黄石の麹町吟社、大沼枕山の下谷吟社、森春濤の茉莉吟社、森槐南の星社、本田種竹の自然吟社、重野成斎の麗沢社が挙げられます。そして文壇の主流らしく、詩文を掲載する雑誌も盛んに発行されました。『明治詩文』、森春濤の『新文詩』、成島柳北の『花月新誌』などがそれです。なお、上述した鷲津毅堂は『新文詩』に投稿した主要詩人の一人でした。
それだけでなく大新聞も漢詩を掲載。更に、政治家では山形有朋・伊藤博文ら、また近代文学者では正岡子規・夏目漱石・森鴎外・田山花袋などが、漢詩を嗜んだのは、御存じの方もおられるかと思います。
明治が終わると、漢籍の素養を有する人が少なくなっていきます。その結果として漢詩は衰退の道をたどり、大正半ばには新聞からも漢詩欄が消滅。それでも無論、日本から漢詩人がいなくなったわけではなく『昭和詩文』を主宰した国分青厓を中心に、長尾雨山・田辺碧堂・松平天行・土屋竹雨・服部担風などが活動を続けていたそうです。なお、大正天皇も漢詩を好み生涯で千を越える作品を残した事が知られています。
【参考文献】
『世界大百科事典』平凡社
『日本人名大辞典』講談社
『美術人名辞典』思文閣
『日本大百科全書』小学館
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社
加藤徹『漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?』光文社新書
関連記事:
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「徳川期の狂詩について概説~俳句→川柳、和歌→狂歌、なら漢詩→?~」
「「芳野三絶」~南北朝関連の作品を題材に漢詩を見る~」
関連サイト:
「詩詞世界 全二千三百首詳註 碇豊長の漢詩」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/index.htm)より
「日本漢詩選」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/jpn_mn.htm)
※2022/7/8 誤字を修正。お恥ずかしい。
by trushbasket
| 2016-03-26 10:27
| NF








