2016年 04月 17日
永井荷風が語る、明治初期の町人文化~江戸町人文化は、寧ろ盛り上がっていた?~
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明治の文化といえば、旧弊を廃し西洋文明を積極的に取り入れた文明開化。そういうイメージが、一般にはあると思います。むろん、それは決して間違いではありません。しかし、かといって従来の江戸町人文化がすぐにすたれたかといえば、話はそう簡単ではないようです。江戸文化を愛した文豪・永井荷風によれば、むしろ明治初期は開放的な空気もあって町人文化が新たな一花を咲かせた時期なんだとか。荷風曰く、
ということなんだそうで。
ここで名の挙がった人物について、解説していきましょう。
まずは、歌舞伎俳優から。芝翫はここでは四世中村芝翫を指します。九世市川團十郎や五世尾上菊五郎の先輩にあたり、立役・実悪・女形などを幅広くこなし、時代物に長じた役者でした。しかし歌舞伎にも近代化運動が押し寄せると、古風な演技が特徴だったこともあり不遇をかこつようになります。彦三郎とは、五世坂東彦三郎。容姿に優れ、声や台詞回しも品性があると評価されました。あらゆる役柄をこなせる俳優だったそうです。田之助とは、三世沢村田之助。毒婦(悪女)役を得意とする女形として評判でしたが、残念ながら脱疽で四肢切断を余儀なくされています。
次に、文人です。黙阿弥とは、脚本家・河竹黙阿弥です。活歴物(史実を考慮した歴史もの)・生世話物(江戸の庶民生活を写実的に描いたもの)・散切物(明治の新風俗を題材にしたもの)など様々な歌舞伎脚本を残した、日本史上屈指の脚本家の一人です。特に生世話物を得意としており、代表作は『天衣紛上野初花』『三人吉三廓初買』など。仮名垣魯文は戯作者・新聞記者で『西洋道中膝栗毛』『安愚楽鍋』など明治の新風俗を取り上げた作品でも知られます。柳北は、漢詩人・ジャーナリストである成島柳北。以前の記事で触れています。
そして、画家。河鍋暁斎は狩野派・浮世絵双方の特徴を折衷した画風で知られ、幽霊・妖怪を主題とした絵や社会風刺で名をなしました。月岡芳年は『英名二十八衆句』など残酷絵で名をあげ、のちに歴史画・時事報道で活躍しました。美人画でも知られ、『風俗三十二相』といった作品も残しています。
そして、力士。境川浪右衛門は第十四代横綱。必ず相手の声で立ち四つに組んで相手の力を十分に発揮させた上での相撲をとっていたそうです。人格者・教養人としても知られ、茶の湯・俳諧をたしなんだ事で知られます。陣幕久五郎は第十二代横綱。「負けず屋」の異名をとった強豪でした。勤王精神が強く、幕末期に薩摩藩お抱えに自らの希望で転じています。晩年は相撲関係の石碑建立に熱心で、その中でも有名なのが東京・富岡八幡宮の「横綱力士碑」です。
三遊亭円朝は明治に落語の地位を向上させた人物で、自らも多くの噺を生み出しました。『真景累ヶ淵』『怪談牡丹灯籠』『怪談乳房榎』など怪談ものが有名ですが、他にも芝居噺、伝記もの、人情噺、翻案ものなど多岐にわたる創作をしています。
金瓶大黒とは遊郭地・吉原の有名店。当初は大黒屋、のちに金瓶楼と改名しました。
なお、荷風は明治初期の草双紙(挿絵主体の娯楽読み物)に関して、こう述べています。
やはり、読み物に関しても、江戸文化は明治初期が一つの黄金時代だったという見解を荷風はしています。なお、この『虫干』では、当時に流通した作品として
・伊藤橋塘の『花春時相政』など侠客伝
・『高橋お伝』『夜嵐お絹』など毒婦伝
・『明治芸人鑑』など俳優・音楽家・落語家などを等級づけたもの
・『新橋芸妓評判記』といった花柳界もの
などが挙げられています。芝居・音曲・花柳界は江戸文化の肝だったそうですが、それは明治初期も変わらず、仮名垣魯文は『いろは新聞』紙面を花柳界に関する記事で占めさせたということです。また、上記したほかに第二代歌川国貞や豊原国周(くにちか)、落合芳幾(よしいく)などの浮世絵師も活躍したとのこと。国周は役者絵で知られ、生涯に83回引っ越し妻も40回以上変えたという癖の強い人物だったそうです。芳幾は美人風俗画や役者似顔絵に長じ、新聞挿絵でも活躍しました。
後世からすれば、時代が変わると断絶・変化に目がいって連続性はつい見過ごしがちになります。しかし実のところ、政治体制が変わっても、旧時代の文化がすぐなくなる訳ではありません。むしろ、江戸文化に関していえば、明治初期に従来の江戸文化は文明開化とも絡みつつ、一時はむしろ華々しい存在感を発揮していたのです。意外と忘れがちな事実ですが、改めて認識する価値はありそうな話だと思います。
【参考文献】
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「永井荷風 銀座」(http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/49640_38957.html)
「永井荷風 虫干」(http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/50287_37739.html)
「永井荷風 江戸芸術論」(http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/49634_41512.html)
『日本大百科全書』小学館
『世界大百科事典』平凡社
『日本人名大辞典』講談社
『大辞林』三省堂
『新撰 芸能人物事典 明治~平成』日外アソシエーツ
『横綱歴代69人』ベースボール・マガジン社
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徳川期と明治期の文化的な連続性、といえばこの話題も外せません。
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徳川期を直接見聞した人がもはやいない今、たとえ当時に関して事実と異なる話がまことしやかに広まったとしても気づきにくいのは否めません。
「娘義太夫と「どうする連」~アイドル、アイドルオタとそれを嫌悪する人々 in 明治~」
江戸以来の文化と明治社会、といえばこんな話題もありました。
※2016/4/17 一部、修正しました。
明治の初年は一方において西洋文明を丁寧に輸入し綺麗に模倣し正直に工風(くふう)を凝(こら)した時代である。と同時に、一方においては、徳川幕府の圧迫を脱した江戸芸術の残りの花が、目覚(めざま)しくも一時に二度目の春を見せた時代である。劇壇において芝翫(しかん)、彦三郎(ひこさぶろう)、田之助(たのすけ)の名を挙げ得ると共に文学には黙阿弥(もくあみ)、魯文(ろぶん)、柳北(りゅうほく)の如き才人が現れ、画界には暁斎(ぎょうさい)や芳年(よしとし)の名が轟(とどろ)き渡った。境川(さかいがわ)や陣幕(じんまく)の如き相撲(すもう)はその後(ご)には一人もない。円朝(えんちょう)の後(のち)に円朝は出なかった。吉原(よしわら)は大江戸の昔よりも更に一層の繁栄を極め、金瓶大黒(きんべいだいこく)の三名妓の噂が一世(いっせ)の語り草となった位である。(永井荷風『銀座』より)
ということなんだそうで。
ここで名の挙がった人物について、解説していきましょう。
まずは、歌舞伎俳優から。芝翫はここでは四世中村芝翫を指します。九世市川團十郎や五世尾上菊五郎の先輩にあたり、立役・実悪・女形などを幅広くこなし、時代物に長じた役者でした。しかし歌舞伎にも近代化運動が押し寄せると、古風な演技が特徴だったこともあり不遇をかこつようになります。彦三郎とは、五世坂東彦三郎。容姿に優れ、声や台詞回しも品性があると評価されました。あらゆる役柄をこなせる俳優だったそうです。田之助とは、三世沢村田之助。毒婦(悪女)役を得意とする女形として評判でしたが、残念ながら脱疽で四肢切断を余儀なくされています。
次に、文人です。黙阿弥とは、脚本家・河竹黙阿弥です。活歴物(史実を考慮した歴史もの)・生世話物(江戸の庶民生活を写実的に描いたもの)・散切物(明治の新風俗を題材にしたもの)など様々な歌舞伎脚本を残した、日本史上屈指の脚本家の一人です。特に生世話物を得意としており、代表作は『天衣紛上野初花』『三人吉三廓初買』など。仮名垣魯文は戯作者・新聞記者で『西洋道中膝栗毛』『安愚楽鍋』など明治の新風俗を取り上げた作品でも知られます。柳北は、漢詩人・ジャーナリストである成島柳北。以前の記事で触れています。
そして、画家。河鍋暁斎は狩野派・浮世絵双方の特徴を折衷した画風で知られ、幽霊・妖怪を主題とした絵や社会風刺で名をなしました。月岡芳年は『英名二十八衆句』など残酷絵で名をあげ、のちに歴史画・時事報道で活躍しました。美人画でも知られ、『風俗三十二相』といった作品も残しています。
そして、力士。境川浪右衛門は第十四代横綱。必ず相手の声で立ち四つに組んで相手の力を十分に発揮させた上での相撲をとっていたそうです。人格者・教養人としても知られ、茶の湯・俳諧をたしなんだ事で知られます。陣幕久五郎は第十二代横綱。「負けず屋」の異名をとった強豪でした。勤王精神が強く、幕末期に薩摩藩お抱えに自らの希望で転じています。晩年は相撲関係の石碑建立に熱心で、その中でも有名なのが東京・富岡八幡宮の「横綱力士碑」です。
三遊亭円朝は明治に落語の地位を向上させた人物で、自らも多くの噺を生み出しました。『真景累ヶ淵』『怪談牡丹灯籠』『怪談乳房榎』など怪談ものが有名ですが、他にも芝居噺、伝記もの、人情噺、翻案ものなど多岐にわたる創作をしています。
金瓶大黒とは遊郭地・吉原の有名店。当初は大黒屋、のちに金瓶楼と改名しました。
なお、荷風は明治初期の草双紙(挿絵主体の娯楽読み物)に関して、こう述べています。
此等(これら)の書籍はいづれも水野越州(みづのえつしう)以来久しく圧迫されてゐた江戸芸術の花が、維新の革命後、如何に目覚(めざま)しく返咲(かへりざ)きしたかを示すものである。(永井荷風『虫干』より)
やはり、読み物に関しても、江戸文化は明治初期が一つの黄金時代だったという見解を荷風はしています。なお、この『虫干』では、当時に流通した作品として
・伊藤橋塘の『花春時相政』など侠客伝
・『高橋お伝』『夜嵐お絹』など毒婦伝
・『明治芸人鑑』など俳優・音楽家・落語家などを等級づけたもの
・『新橋芸妓評判記』といった花柳界もの
などが挙げられています。芝居・音曲・花柳界は江戸文化の肝だったそうですが、それは明治初期も変わらず、仮名垣魯文は『いろは新聞』紙面を花柳界に関する記事で占めさせたということです。また、上記したほかに第二代歌川国貞や豊原国周(くにちか)、落合芳幾(よしいく)などの浮世絵師も活躍したとのこと。国周は役者絵で知られ、生涯に83回引っ越し妻も40回以上変えたという癖の強い人物だったそうです。芳幾は美人風俗画や役者似顔絵に長じ、新聞挿絵でも活躍しました。
後世からすれば、時代が変わると断絶・変化に目がいって連続性はつい見過ごしがちになります。しかし実のところ、政治体制が変わっても、旧時代の文化がすぐなくなる訳ではありません。むしろ、江戸文化に関していえば、明治初期に従来の江戸文化は文明開化とも絡みつつ、一時はむしろ華々しい存在感を発揮していたのです。意外と忘れがちな事実ですが、改めて認識する価値はありそうな話だと思います。
【参考文献】
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「永井荷風 銀座」(http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/49640_38957.html)
「永井荷風 虫干」(http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/50287_37739.html)
「永井荷風 江戸芸術論」(http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/49634_41512.html)
『日本大百科全書』小学館
『世界大百科事典』平凡社
『日本人名大辞典』講談社
『大辞林』三省堂
『新撰 芸能人物事典 明治~平成』日外アソシエーツ
『横綱歴代69人』ベースボール・マガジン社
関連記事:
「明治の漢詩事情~忘れられた「文壇の主流」、「漢詩最盛期」~ 」
徳川期と明治期の文化的な連続性、といえばこの話題も外せません。
「森鴎外が回想する、明治初期の色々~文学といえば漢詩、休暇は藪入り…~ 」
徳川期を直接見聞した人がもはやいない今、たとえ当時に関して事実と異なる話がまことしやかに広まったとしても気づきにくいのは否めません。
「娘義太夫と「どうする連」~アイドル、アイドルオタとそれを嫌悪する人々 in 明治~」
江戸以来の文化と明治社会、といえばこんな話題もありました。
※2016/4/17 一部、修正しました。
by trushbasket
| 2016-04-17 19:45
| NF








