2016年 05月 11日
<読書案内>内藤湖南『大阪の町人と學問』
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今、関西は、そして中でも大阪は衰退に苦しんでいると聞きます。関西人の一人としては、悲しい話です。大阪は古来より、我が国にとって重要な地でありました。例えば、歴史家・中村直勝は南北朝時代の大坂に言及したとき、
とまで熱く語っています。それを思うと、現状には寂寥を禁じ得ません。
さて、繁栄を謳歌していた徳川期の大坂について、碩学・内藤湖南が大正十年(1921)に行った講演があります。それが、今回ご紹介する『大阪の町人と學問』です。
当時の大坂で花咲いたのは、一般に知られる近松や西鶴といった町人文化だけではありません。契沖の歌学、そして三宅石庵を初代学主とする懐徳堂。それまで支配階層の専有物であった学問を、歌学にせよ漢学にせよ町人が民間から求め盛んにしたものでした。さらに仏法においても、鉄眼の黄檗版大蔵経は大坂町人の支援で完成しています。そうした流れが、やがて富永仲基・山片蟠桃・草間直方・橋本宗吉といった町人学者を続々と輩出するのに繋がりました。一方、檀那衆の道楽が長じた学者として、木村蒹葭堂のような事例もありました。
そうした経緯を、そしてその歴史における意味合いを、分かりやすく湖南は解説してくれています。講演ですから言葉も比較的分かりやすいですし、内容もかみ砕いています。確かに歴史で習いはするけれど、普段意識しない大阪の学問事情について、一読して振り返ってみてはいかがでしょうか。
因みに、緒方洪庵が大坂出身者ではないからか、ここでは取り上げられていませんが、適塾もまた大阪の学問史を語る上では外せないのは勿論です。大村益次郎、橋本佐内、大鳥圭介、長与専斎、福沢諭吉などの幕末維新史を彩る人材を生み出した場所ですからね。こうしてみると、壮観です。冒頭近くで引用した中村氏の発言に説得力を感じずにはいられません。
大阪を誇る方々が、しばしば口にする言葉があります。大阪は、庶民の街である。然り。それが、大阪のアイデンティティーにおける重要な部分を占めているのは確かです。しかしながら、そこに立ち止まらず、もう一歩踏み出していただきたい。大阪は、学問の街であった。知性の街であった。大阪を愛する方々に、大阪再興を志す人々に、お願いしたいと思います。この事実を、改めて心に刻みつけていただければ幸いに思います。
【参考文献】
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「内藤湖南 大阪の町人と學問」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000284/files/3037_21418.html)
中村直勝『吉野朝史』星野書店
『日本人名大辞典』講談社
『日本大百科全書』小学館
建武中興に当りて大阪が働いた地位。大阪が示した力。大阪が受持つた役割。それを、極言すれば後醍醐天皇の建武中興は、大阪を御支配の下に置き給ふたから成功したのです。大阪に要約された忠と信。それは実に偉大なものでした。輝いたものでした。其所に流れるのは赤き日の本の心臓です。昔も今も。(中村直勝『吉野朝史』星野書店 235頁)
とまで熱く語っています。それを思うと、現状には寂寥を禁じ得ません。
さて、繁栄を謳歌していた徳川期の大坂について、碩学・内藤湖南が大正十年(1921)に行った講演があります。それが、今回ご紹介する『大阪の町人と學問』です。
当時の大坂で花咲いたのは、一般に知られる近松や西鶴といった町人文化だけではありません。契沖の歌学、そして三宅石庵を初代学主とする懐徳堂。それまで支配階層の専有物であった学問を、歌学にせよ漢学にせよ町人が民間から求め盛んにしたものでした。さらに仏法においても、鉄眼の黄檗版大蔵経は大坂町人の支援で完成しています。そうした流れが、やがて富永仲基・山片蟠桃・草間直方・橋本宗吉といった町人学者を続々と輩出するのに繋がりました。一方、檀那衆の道楽が長じた学者として、木村蒹葭堂のような事例もありました。
そうした経緯を、そしてその歴史における意味合いを、分かりやすく湖南は解説してくれています。講演ですから言葉も比較的分かりやすいですし、内容もかみ砕いています。確かに歴史で習いはするけれど、普段意識しない大阪の学問事情について、一読して振り返ってみてはいかがでしょうか。
因みに、緒方洪庵が大坂出身者ではないからか、ここでは取り上げられていませんが、適塾もまた大阪の学問史を語る上では外せないのは勿論です。大村益次郎、橋本佐内、大鳥圭介、長与専斎、福沢諭吉などの幕末維新史を彩る人材を生み出した場所ですからね。こうしてみると、壮観です。冒頭近くで引用した中村氏の発言に説得力を感じずにはいられません。
大阪を誇る方々が、しばしば口にする言葉があります。大阪は、庶民の街である。然り。それが、大阪のアイデンティティーにおける重要な部分を占めているのは確かです。しかしながら、そこに立ち止まらず、もう一歩踏み出していただきたい。大阪は、学問の街であった。知性の街であった。大阪を愛する方々に、大阪再興を志す人々に、お願いしたいと思います。この事実を、改めて心に刻みつけていただければ幸いに思います。
【参考文献】
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「内藤湖南 大阪の町人と學問」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000284/files/3037_21418.html)
中村直勝『吉野朝史』星野書店
『日本人名大辞典』講談社
『日本大百科全書』小学館
by trushbasket
| 2016-05-11 19:08
| NF








