2016年 05月 18日
詩歌の勧め?~表現力を高めるために、ちょっと考えた事~
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以心伝心とかいろいろ言われたりはしますが、実のところ、結局は人は言葉を通する以上の意思疎通方法は、少なくとも現段階ではなかなかないようです。そして、この言葉による意思疎通、意外に難解。
ともすれば、「あれも言わなきゃ、これも言わなきゃ」となるので、いざとなると焦点がぼやけて何が言いたいのか分からなくなったりします。そうなると、相手を混乱させたり辟易させたりする結果に終わるかもしれません。それだけでなく、生の感情を考え無しにぶつける事で、相手を傷つけたり周囲を不快にしてしまったりといった事態もありがちです。
で、ふと思ったのですが、自らの思う所をしっかり伝える訓練として、短歌なり俳句なりを作るのもありかもしれない。もし心得があるなら、漢詩でもOK。難易度は高いですけども。まあ、現代詩などでもいけないわけではないですが、できれば一定の形式が決まっているものの方が良いかと。理由は後述します。
ともかく、そうした形式に言葉を整えて自らの思いを落とし込む経験は悪くないかも、と最近思いはじめています。
なぜそんなことを思ったのかと言いますと。まず、言葉を絞り込む必要があるので、本当に言いたいことに注力する事になります。また、決められた形に整えようと工夫する中で、少し冷静になれる機会が生じます。また、そうしたジャンルは他人の眼を意識して作る事になります。そうなると、表現に心を配り言葉に気を付けるようになりえるかと。
Twitterでもそうですが、特に限られた語数で表現しないといけない場合、一つ間違えば誤解を招きますから、言葉の選び方には心したいものですよね。少なくとも、悪意は表現から排除できるだけ排除したいところ。それにも心がけると、表現の良い訓練になりえそうです。
そうした考えの下で言葉の選び方をも身につけられたら、うまくすればむき出しの感情で相手や周囲を傷つけたりするリスクもいくらかは減るかもしれません。また、そのままでは聞くに堪えない愚痴なども、多少は洗練された見た目になるかも。逆に、そのまま口に出すのは気恥ずかしい、たとえば愛の言葉や感謝の念なども、独特の雰囲気に助けられて言いやすくなる可能性だってあります。
こう考えると、昔の人たちが詩歌のやり取りをやっていたのは、生きる上での智慧のように思えてきます。ひょっとしたら、詩歌を作る練習を学校教育の段階からやっておくのも悪くないかも。そんな気すらしてきたこの頃でした。まあ、上でも言った通り、語数が少ない中での表現だと誤解を招くリスクはありますから、その意味でも。
まあ、詩歌という手段をとるかはともかく、言葉を選び表現を整える訓練は怠らないよう心掛けたいものです。
…随分と、乱文雑文になってしまいました。我ながら、何が言いたかったのやら。僕自身も、言葉を整える訓練が必要かもしれません。それでは。
ともすれば、「あれも言わなきゃ、これも言わなきゃ」となるので、いざとなると焦点がぼやけて何が言いたいのか分からなくなったりします。そうなると、相手を混乱させたり辟易させたりする結果に終わるかもしれません。それだけでなく、生の感情を考え無しにぶつける事で、相手を傷つけたり周囲を不快にしてしまったりといった事態もありがちです。
で、ふと思ったのですが、自らの思う所をしっかり伝える訓練として、短歌なり俳句なりを作るのもありかもしれない。もし心得があるなら、漢詩でもOK。難易度は高いですけども。まあ、現代詩などでもいけないわけではないですが、できれば一定の形式が決まっているものの方が良いかと。理由は後述します。
ともかく、そうした形式に言葉を整えて自らの思いを落とし込む経験は悪くないかも、と最近思いはじめています。
なぜそんなことを思ったのかと言いますと。まず、言葉を絞り込む必要があるので、本当に言いたいことに注力する事になります。また、決められた形に整えようと工夫する中で、少し冷静になれる機会が生じます。また、そうしたジャンルは他人の眼を意識して作る事になります。そうなると、表現に心を配り言葉に気を付けるようになりえるかと。
Twitterでもそうですが、特に限られた語数で表現しないといけない場合、一つ間違えば誤解を招きますから、言葉の選び方には心したいものですよね。少なくとも、悪意は表現から排除できるだけ排除したいところ。それにも心がけると、表現の良い訓練になりえそうです。
そうした考えの下で言葉の選び方をも身につけられたら、うまくすればむき出しの感情で相手や周囲を傷つけたりするリスクもいくらかは減るかもしれません。また、そのままでは聞くに堪えない愚痴なども、多少は洗練された見た目になるかも。逆に、そのまま口に出すのは気恥ずかしい、たとえば愛の言葉や感謝の念なども、独特の雰囲気に助けられて言いやすくなる可能性だってあります。
こう考えると、昔の人たちが詩歌のやり取りをやっていたのは、生きる上での智慧のように思えてきます。ひょっとしたら、詩歌を作る練習を学校教育の段階からやっておくのも悪くないかも。そんな気すらしてきたこの頃でした。まあ、上でも言った通り、語数が少ない中での表現だと誤解を招くリスクはありますから、その意味でも。
まあ、詩歌という手段をとるかはともかく、言葉を選び表現を整える訓練は怠らないよう心掛けたいものです。
…随分と、乱文雑文になってしまいました。我ながら、何が言いたかったのやら。僕自身も、言葉を整える訓練が必要かもしれません。それでは。
by trushbasket
| 2016-05-18 21:19
| NF








