2016年 08月 06日
『童貞の世界史』落選者列伝 津田梅子~「愛なき結婚」よりも自分の才を伸ばしたい~
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どうも、松原左京です。「ダ・ヴィンチニュース」にて『童貞の世界史』を取り上げていただきました。ありがたいことです。
関連サイト:
「BIGLOBEニュース」(http://news.biglobe.ne.jp/)より
「キリスト、アダム・スミス、吉田松陰、宮沢賢治…童貞偉人たち82人の物語」(http://news.biglobe.ne.jp/trend/0805/ddn_160805_9989465761.html)
「まじめに取り組んだ書」「当然のことながら、偉人を揶揄するものではないし、卑猥な表現などひとつも出てこない」との評価は嬉しい限りです。
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honto:『童貞の世界史: セックスをした事がない偉人達』
さて、今回は落選者列伝として津田梅子(1864~1929)を取り上げたいと思います。御存じの方も多いかと思いますが、津田塾大学の創立者である教育家です。
梅子は江戸で津田仙の二女として生まれました。八歳の時、岩倉具視遣外使節に同行する形で渡米留学を果たしています。亜米利加ではワシントン郊外の家庭に居住し、初等・中等の学校教育を受け、この間キリスト教に入信。明治十五年(1882)に帰国すると、華族女学校で教授補として英語を教えます。明治二十二年(1889)に再びアメリカへわたり、ブリンマー・カレッジで生物学を、そしてオスウィーゴ師範学校で教授法を修めた上で3年後に帰国。津田塾大学の前身である女子英学塾を設立したのは明治三十三年(1900)のことです。
かくして女子高等教育に尽くした梅子は、生涯独身を通しました。しかし、必ずしも「独身」に拘泥していた訳ではないという説もあるようです。「愛なき結婚」を忌避し、純潔な相手を希望したもののが叶えられなかった結果だともいいます。
ただいずれにせよ、結婚よりも自らの才を伸ばすことを優先したという面があったのは間違いないようです。独身であれば身を処するのも好きなようにでき、失敗しても周囲に迷惑がかからないと考えたとか。
生真面目な為人であったそうですし、信仰・使命感に裏打ちされての生涯独身ですから、純潔を貫いた可能性は十分かと思います。しかしながら、手に入った範囲の資料では判断するには不十分と考え、採用見送りとなりました。
参考文献:
『世界大百科事典 第2版』平凡社
『大辞林』三省堂
吉川利一『津田梅子』中央公論社
『津田塾大学100年史』津田塾大学百年史編纂委員会
古木宜志子『津田梅子』清水書院
関連記事:
『童貞の世界史』落選者列伝・岩元禎~近代エリートを教育した「偉大なる暗闇」、生涯純潔や否や?~
『童貞の世界史』落選者列伝・玉松操~維新に貢献した謀臣は、快楽を遠ざけた禁欲主義者~
『童貞の世界史』落選者列伝 柳生連也斎~生涯独身を貫いた天才剣士~
『童貞の世界史』では、生涯純潔とされた偉人は女性についても言及しています。

(パブリブより)
関連サイト:
「BIGLOBEニュース」(http://news.biglobe.ne.jp/)より
「キリスト、アダム・スミス、吉田松陰、宮沢賢治…童貞偉人たち82人の物語」(http://news.biglobe.ne.jp/trend/0805/ddn_160805_9989465761.html)
「まじめに取り組んだ書」「当然のことながら、偉人を揶揄するものではないし、卑猥な表現などひとつも出てこない」との評価は嬉しい限りです。
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さて、今回は落選者列伝として津田梅子(1864~1929)を取り上げたいと思います。御存じの方も多いかと思いますが、津田塾大学の創立者である教育家です。
梅子は江戸で津田仙の二女として生まれました。八歳の時、岩倉具視遣外使節に同行する形で渡米留学を果たしています。亜米利加ではワシントン郊外の家庭に居住し、初等・中等の学校教育を受け、この間キリスト教に入信。明治十五年(1882)に帰国すると、華族女学校で教授補として英語を教えます。明治二十二年(1889)に再びアメリカへわたり、ブリンマー・カレッジで生物学を、そしてオスウィーゴ師範学校で教授法を修めた上で3年後に帰国。津田塾大学の前身である女子英学塾を設立したのは明治三十三年(1900)のことです。
かくして女子高等教育に尽くした梅子は、生涯独身を通しました。しかし、必ずしも「独身」に拘泥していた訳ではないという説もあるようです。「愛なき結婚」を忌避し、純潔な相手を希望したもののが叶えられなかった結果だともいいます。
ただいずれにせよ、結婚よりも自らの才を伸ばすことを優先したという面があったのは間違いないようです。独身であれば身を処するのも好きなようにでき、失敗しても周囲に迷惑がかからないと考えたとか。
生真面目な為人であったそうですし、信仰・使命感に裏打ちされての生涯独身ですから、純潔を貫いた可能性は十分かと思います。しかしながら、手に入った範囲の資料では判断するには不十分と考え、採用見送りとなりました。
参考文献:
『世界大百科事典 第2版』平凡社
『大辞林』三省堂
吉川利一『津田梅子』中央公論社
『津田塾大学100年史』津田塾大学百年史編纂委員会
古木宜志子『津田梅子』清水書院
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『童貞の世界史』では、生涯純潔とされた偉人は女性についても言及しています。

by trushbasket
| 2016-08-06 13:42
| 松原左京








