2016年 10月 02日
日本で最初に宋学を広めだしたのは誰?~南北朝に関しかつて唱えられた一学説~
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近世日本の思想において、宋学が与えた影響は無視できないものであるようです。その宋学が日本で影響力を発揮し出したのは、鎌倉末期から南北朝期というのが通説となっています。そして初めて朝廷で宋学の講義をし、広まるのに大きな役割を果たしたのは玄慧であると広く信じられています。
この玄慧という人物は、天台宗の僧で、後醍醐天皇や足利尊氏に重く用いられた人物です。どうやら多芸多才であったらしく、建武式目制定に参加した他、漢詩の素養もありました。更に『太平記』編纂に携わったとも、『庭訓往来』『喫茶往来』を著したとも伝えられています。そんな彼が日本宋学の祖というべき位置づけをされるのは、不思議ではないように思われます。
しかしかつて、これに対する異説もありました。それによれば、初めて日本に宋学を本格的に広めたのは垂水広信という人物だというのです。この説は徳川期にはそれなりに信憑性があると思われていたようです。例えば、徳川後期の学者・北条霞亭もこの説を奉じていたと森鴎外は『伊沢蘭軒』作中で述べています。
なお、鴎外はこの説の真偽については考えを述べなかったものの、「わたくしは垂水氏の事を詳(つまびらか)にせぬが、往古唐通詞の家であつたらしい」(森鴎外『伊沢蘭軒』より)と漏らしています。確かに飛鳥時代末期にあたる文武天皇時代、遣唐大通事に任じられた垂水広人という人物はいました。鴎外の言葉は、これを踏まえたものでしょうか。
広信に関して調べた限りでは、伊勢国の出身で、『嘉文記』という著作を残しており、後醍醐天皇の寵臣である万里小路藤房もその弟子にあたるという話です。
しかしながら、この垂水広信、宋学を広めたどころか、どうやら実在したかどうかも怪しいようです。徳川期の学者・井沢蟠竜はその著作『広益俗説弁』の中で、垂水広信に関して以下のように論難しています。曰く、
・『園太暦』や『南朝記』、『参考太平記』といった記録を参照する限り、垂水広信なる人物は登場しないし、『嘉文記』なる書物も影も形もない。
・足利中期の名門貴族にして碩学であった一条兼良が残した『尺素往来』によれば、我が国で初めて宋学の講義を朝廷で行ったのは玄慧である。
・国学者松下見林らも同様の見解を有している。
とのことです。
いつの時代もそうですが、南北朝に関しても「かつて注目されたが、現在は顧みられない学説」というのは色々あるようですね。
【参考文献】
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「内藤湖南 日本文化の獨立」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000284/files/3036_21545.html)
江村北海著『日本詩史』西沢道寛訳注 岩波文庫
井沢蟠竜『広益俗説弁』国民文庫刊行会
奥野高広『戦国時代の宮廷生活』八木書店
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社
『日本大百科全書』小学館
『日本人名大辞典』講談社
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南北朝に関連しては、色々と怪しげな説が唱えられる事が少なくなかったようです。
by trushbasket
| 2016-10-02 22:28
| NF








