2016年 10月 15日
「五人そろって」どころじゃない四天王の話~この手の数合わせにはつきものの問題なようです~
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有名どころ四人をまとめて「○○四天王」なんて言い方をよく耳にします。しかし、実際のところ四天王が四人で収まらない事もままあるようです。有名なところでは、龍造寺四天王がありますね。「五人そろって四天王」なんて言われたりもするようで。
関連サイト:
「ニコニコ大百科」(http://dic.nicovideo.jp/)より
一応申し上げておきますと、リンク先でも述べられていますが、龍造寺四天王は当初から「五人そろって四天王」な構成な訳じゃありません。戦国大名龍造寺氏の有力武将のうち成松信勝・百武賢兼・江里口信常・木下昌直がこう呼ばれる事が多く、文献によっては昌直にかわって円城寺信胤が入るという形のようです。後世の人々による数え方に複数パターンがあるため、結果として「四天王」に入れられる武将が五人になってしまったわけですね。
ところで、世の中には全部揃うと五人どころじゃない四天王もいます。徳川初期、千宗旦という茶人がいたのを御存じでしょうか。茶の湯大成者である千利休の孫にあたる人物で、千家流侘茶の再興に努めた存在です。彼の息子たちが、それぞれ表千家・裏千家・武者小路千家の開祖となっています。そんな大茶人・宗旦には当然のごとく多くの弟子がおり、その中で主だった人々が「宗旦四天王」と呼ばれているのです。ですが、そのメンバーがいささか問題。
といいますのは、宗旦四天王として名をあげられる事がある茶人は、以下の通り。藤村庸軒・山田宗徧(※)・杉木普斎・久須美疎安・三宅亡羊・松尾宗二。確かにいずれも当代を代表する名茶人ではあるそうですが、それにしたって「五人そろって」どころじゃなく、なんと合計六人。もっとも厳密には、庸軒・宗徧(※)・普斎は確定で、残り一枠に疎安・亡羊・宗二の諸説あるという状況らしいですが。
※「徧」はヘンとよみ、ぎょうにんべんに扁(ひょっとすると表示されない人があるかもしれませんので)
以前の記事では、こうした状況に対し「四」以外の呼称で呼ぶよう提唱されていましたが、もしそうしても効果は限定的かもしれません。「芳野三絶」と呼ばれる漢詩も候補が四つあるようですし、茶の湯絡みでいえば「利休七哲」と呼ばれる人びとも似たような状況です。
ちなみに利休七哲とは、千利休の高弟にあたる武将たちをさします。一般的には蒲生氏郷・細川三斎・古田織部・牧村兵部・高山右近・芝山監物・瀬田掃部とされています。しかし書物によっては、掃部ではなく前田利長であったり、織部ではなく木村常陸だったり、掃部・織部・兵部にかわって荒木村重・織田有楽斎・佐久間不干斎が入っていたりするそうです。すなわち、総勢十二人。
どうやら、どんな数字で設定しても、この手の問題が起こる可能性は避けられないようですね。
【参考文献】
『歴史群像シリーズ特別編集 戦国九州三国志』学研
『必携 茶湯便利帳 改訂版』宮帯出版社
『世界大百科事典』平凡社
『日本大百科全書』小学館
関連記事:
四天王に関する過去記事にはこんなのが。
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
※2016/10/15 少し読みにくかったので手を加えました。
by trushbasket
| 2016-10-15 09:51
| NF








