2016年 10月 30日
森鴎外が「イケメンじゃないから」心がけた事~文豪、劣等感を糧にする~
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「※ただしイケメンに限る」とか聞きますが、実際の所、本当にイケメンでなければどうしようもないものでしょうか。イケメンでない人は、どのように生きるべきなんでしょうか。気になるところです。
さて、文豪・森鴎外は自身の容姿に劣等感を持っていたらしい。そういった内容の事を、以前の記事で取り上げた覚えがあります。もっとも、他人から見てどうであったかは別問題の可能性もあるようですが。また、鴎外がどこまで本気で自らの外見に関する劣等感を持っていたか、という点も疑問なところ。しかしどうやら、鴎外先生、かなり本気で気にしていたようです。
鴎外の小説『半日』には、鴎外自身がモデルと思しき高山博士なる人物が登場します。この博士、妻に「夫(をつと)は好(い)い男ではない」と言われたり、自身も「おれのやうな醜男子」(ともに森鴎外『半日』より)などと言っていたりします。更に鴎外の次女・小堀杏奴は、鴎外が「自分の容貌が幼少の頃から美しくな」(小堀杏奴著『晩年の父』岩波文庫 131頁)いのを自覚していたと証言しています。
鴎外の、自身の容貌に対しての劣等感は、本物だったと判断して良さそうですね。
ただし、これは決して悪いばかりではなかったようです。というのは、小堀杏奴によれば、自身が美男子ではないのを気にしていた結果として、他人の容姿を含む欠点をあげつらう事がないよう心がけていたとか。曰く、
母が子供たちを叱責(しっせき)するような場合、その子供の容貌とか、その他の欠点に触れるような事が少しでもあると、父は縦(たと)い自分の子供に対してであってもそう言う事を言うものではないと言ってよく怒った。(同書 同頁)
とのこと。容姿のように自分ではどうしようもない欠点を云々される心の痛みを、よく理解していた故ということでしょうね。
更に、鴎外は
人間は親から貰った顔のままではいけない。その顔を自分で作って行って立派なものにしなくてはいけない(同書 132頁)
とよく口にしていたそうです。確かに、真偽は存じませんが、「四十歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」(松原泰道『南無の会辻説法 日のくれぬうち』水書房 9頁)とリンカーンが言ったという話はよく聞きます。骨格だけでなく、それまで培ってきた内面が表情などに出てくるという事でしょうね。鴎外は、生まれ持った容貌に自信を持てなかったけれど、それでもそれをバネにして自らの内面を充実させようと務めてきた、という事かと思われます。そういえば、『安井夫人』で鴎外は以下のように記しています。たとえ美しい人でも愚昧であれば、「三十になり、四十になると、智慧の不足が顔にあらわれて、昔美しかった人とは思われぬようになる」し、逆に美貌でなくとも聡明ならば「年を取るにしたがって、才気が眉目をさえ美しくする」、と(括弧内は森鴎外『安井夫人』より)。このくだりは、作中登場人物の思考という形をとっていますが、鴎外自身も同様に考えていたとみてよさそうですね。
そうした生き方の結果でしょうか、実の娘から見ると「その言葉の通り、晩年の父の顔は実に立派な美しさを感じた」(小堀杏奴著『晩年の父』岩波文庫 132頁)のだそうです。
鴎外は聖人君子ではありません。偉大な知識人・文学者ではありますが、その反面で批判を受けて然るべき点も色々とある人物ではあります。それでも、自らの容貌に関する劣等感に押しつぶされることなく、むしろそれを糧にして他人への接し方を考えたり、自らを磨こうと努めていた。少なくともこの点に関しては、立派な事だと思います。見習いたいものです。
【参考文献】
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
小堀杏奴著『晩年の父』岩波文庫
松原泰道『南無の会辻説法 日のくれぬうち』水書房
関連記事:
イケメンでなくとも、「ええ男」にはなれるそうです。
関連サイト:
「ゆうメンタルクリニック池袋西口院」(http://yuk2.net/)より
「【アドラー心理学】マンガで分かる心療内科・精神科in池袋 第3回「劣等感は、あっていい!」」(http://yuk2.net/man/123.html)
by trushbasket
| 2016-10-30 22:30
| NF








