2016年 11月 19日
「戦後復興」の始めは戦中から~浅草の事例~
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日本は災害に巻き込まれがちな国です。今年も、様々な災禍に見舞われた一年だったといえるでしょう。今後の復興が順調であることを祈りたいところです。
さて、我が国が経験した「復興」の中で最も大きなものと言えば、第二次大戦に伴い灰塵と化した各地の戦後復興が挙げられるでしょう。今回は、その一部が終戦を待たないうちから進められていた、という人々のたくましさを思わせる話をご紹介しようかと思います。
昭和二十年(1945)三月十日の大空襲で焼け野原となった東京。浅草もまたその例に漏れませんでした。しかし、その浅草が復興への第一歩を踏み出したのは実に早かったのだそうです。『浅草六区』なる冊子にはこのような記述があるそうです。
六区興行街組合は、焼け残った電気館と帝国館を応急修理して、四月十二日、荒廃の中に開業。三日間の映画無料公開を行い、戦災復興の旗手となった。(松本哉『永井荷風ひとり暮し』朝日文庫 126-127頁)
この時に上映されたのは佐野周二・水戸光子主演『乙女のゐる基地』だったとか。焼け野原の中を人々が集まり連日満員となったと伝えれれています。これが引き金となり、「常盤座、千代田館、富士館、金竜館、東京倶楽部と順次開館」(同書 127頁)しました。まさしく「いかに当時、人々が娯楽に飢えていたか」(同書 同頁)が分かる話です。東京の「戦後復興」は、戦後を待たずして始まっていたのです。
考えてみれば分かりきった話ですが、戦中にも人々の「生活」や「日常」はあるわけです。戦争がいつ終わるのか、当時の人々は知り得ませんでした。ですから、暮らしの場を作り直すのを、わざわざ戦後になるまで待つはずはありません。戦中の段階で人びとが街の復興へ手を付けるのは当然の話であるでしょう。むろん、本格的に取り掛かれるのは戦禍がやんだ「戦後」になるのもまた当然すし、その意味で「焼け野原から戦後に復興」というのも間違いではないのですけどね。 それにしても、人間のたくましさ、娯楽が人々に希望を与える力はかくのごとし、というのを見せつけられる話でした。
【参考文献】
松本哉『永井荷風ひとり暮し』朝日文庫
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by trushbasket
| 2016-11-19 09:42
| NF









