2016年 12月 23日
クリスマスと神農祭~森鴎外は語る、どちらも冬至の祭典~
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もうすぐ、クリスマスですね。我が国におけるクリスマスは明治以来、意外に歴史を有するのは御存じの方も多いかと思います。その明治において、クリスマスをいち早く導入した一人として森鴎外が挙げられます。鴎外はなぜ、クリスマスを祝う習慣を導入したのか。西洋の影響を受けた、というのは無論あるでしょうけれど、それだけではないようです。今回は『鴎外の降誕祭』(リンク先はAmazon)という一冊を参考にそれを見ていきます。
鴎外は、娘婿になる人物に以下のように書簡で述べているそうです。
吾家ハ十数世ノ医家ニテ冬至祭ヲ営ミ来リシニ小生ノ世ニナリテ一時廃絶イタシ候(クラウス・クラハト、克美・タテノ=クラハト『鴎外の降誕祭 森家をめぐる年代記』NTT出版 267頁)
そして、その「冬至祭」を再興するにあたり、西洋のクリスマスという形をとったのだそうです。というのも、クリスマスも元をたどれば「ゲルマニア人ノ行ヒシJul祭ニシテ冬至ヲ期トセシモノニ有之」(同書 同頁)からなんだとか。
ちなみにここでいう冬至祭とは、薬種商・漢方医が冬至の日に医薬の祖とされる神農をまつるもので「神農祭」とも言います。現在でも、大阪・道修町の少彦名神社で行われる事は有名です。
さて神農といえば、鴎外は以下のような漢詩を残しているそうです。
「神農図」賛
期駆二豎活蒸民
百草嘗来苦与辛
末葉漫誇経験法
占先誰識有斯人
二豎を駆って蒸民を活かさんと期し
百草 嘗め来たる 苦と辛と
末葉 漫りに誇る 経験の法
先を占むるに 誰か識らん 斯の人有るを
(同書 266-267頁 旧字体は新字体に直しています)
<現代語訳>
神農は病気を駆逐し民衆を生き延びさせようと志し
多くの草を舐めて薬かどうか試み、苦労を重ねた。
後世の人々は古来の経験から得られた治療法をただ誇るばかりで
先人として神農が苦心した事を誰も思っても見ないのである。
この詩は平起式七言絶句で、韻脚は「民・辛・人」の上平声十一民。平仄は以下の通りです。
○○●●●○◎
●●○○●●◎
●●●○○●●
○○○●●○◎
○は平音、●は仄音、◎は韻脚を著しています。
ちなみに「二豎」とは、病気を意味します。春秋時代に晋の景公が病に倒れた際、夢に病気の神が二人の子供として現れたことに由来するそうです。更に余談を重ねますと、その際にこの二人が「膏」と「肓」、すなわち胸部に入ってしまえば名医とて手が出せない、と語りあった事が、「病膏肓に入る」という故事成語のもととなっています。
この詩からは、鴎外が医者の家に生まれた人間として、先人たち、なかでも医薬の祖とされる神農への敬意・感謝の念を忘れまいとしている事がよみとれます。この詩や上述の書簡をふまえて考えるに、鴎外がクリスマスを取り入れたのは、「西洋文明を取り入れた近代日本に合致する形で、神農への感謝の祭を残そうとした」ものではないかと『鴎外の降誕祭』は指摘していました。従来の伝統を現在のありように合うよう工夫した、と考えると鴎外らしい気もします。我々も鴎外同様に、クリスマスを機会にかつての伝統とか先人たちに思いをはせるのも好いかもしれません。
それでは、皆さま、良いクリスマスを。
【参考文献】
クラウス・クラハト、克美・タテノ=クラハト『鴎外の降誕祭 森家をめぐる年代記』NTT出版
クラウス・クラハト、克美・タテノ=クラハト『クリスマス どうやって日本に定着したか』角川書店
高橋源一郎『故事成語諺語辞典』明治書院
陳舜臣『弥縫録』中公文庫
『大辞林』三省堂
『大辞泉』小学館
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬舎ルネッサンス
『新字源 改訂版』角川書店
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関連サイト:
「少彦名神社(神農さん)」(http://www.sinnosan.jp/)より
11月22日・23日に行われました。
by trushbasket
| 2016-12-23 14:13
| NF








